彼はまずソ連末期の経済の失敗について説明している。工業国として失敗していたソ連は次第に単なる産油国となっていき、石油価格の低迷で食糧すら十分に輸入できなくなった。その根っこには社会主義的な計画経済の問題点があり、そのために最終的にはソ連自体が崩壊して1990年代の混乱に陥った。それを救い出した、ように見えるのがプーチン政権だった。
彼が政権の座についた2000年代になって1人当たりGDPは上向きとなり、ソ連崩壊前を超えた。その一部は単に落ち込んだ分のリバウンドであり、別の一部はこの時期に起きた急激な原油価格の上昇によるものだったが、一方でリカードの比較優位に則ったプーチンの経済政策、つまり石油ガスの生産に特化して他の製造業は輸入で代替していったことが成果につながった面もあった。この時期にアルコール消費が大幅に減り、極端に高かった殺人率が大幅に低下するなど、社会情勢も安定してきた。ソ連末期から70歳に届いていなかった平均余命も、Covid-19が来る前には大きく上昇した。
加えてこの時期には旧ソ連の中でロシアより経済的に厳しい国からいくらか移民がやってきた。死亡率の低下も相まって一時期低下していた人口は2010年代にはいったん上向くようになった。プーチンはロシア経済に再び「控えめだが本物の」活力を与えたのであり、その原因にはツキもあったが彼自身の政策が功を奏していたことも確かだ、とSmithは書いている。
だがこうしたプーチンの功績をあまり評価するのは「行き過ぎ」だと彼は指摘する。例えば人口増についても女性の特殊合計出生率は1度たりとも2を上回ったことはなく、移民が止まると人口は再び減少に転じた。大幅に低下したと言われている殺人率も、実はそこまで下がっていないのではないかという研究が出てきている。そして2008年の金融危機以降、経済面でも「プーチンの奇跡」は終わりを告げ、気が付くとソ連時代は彼らより貧しかった国々(バルト三国、ポーランド、ルーマニア)にも1人当たりGDPで追い抜かれている。
平均値ではなく中身を分析するとさらに問題は深刻に見える。
前にも指摘したが、ロシアの格差はかなり大きい。実のところロシア人の1人当たりGDPは中間値で見るとベルリンの壁崩壊時の1989年から2016年にかけてむしろ落ち込んでいる。ロシアのGDP回復過程で本当に豊かになったのはトップ10%だけだった。
そして戦争が始まったところで大きな問題として浮かび上がったのが、リカードの比較優位を単純に適用したプーチン政策の欠点だった。ロシアは比較優位がある原油の生産に注力したのだが、資源の罠によってその成長は鈍り、一方で機械や電子機器といった分野のテクノロジーについては西側に完全に依存した結果、戦争で制裁を受けると戦場における武器の喪失を埋め合わせるだけの生産力が国内にないことがバレた。つまりかつてのソヴィエト時代における「機能不全の製造業中心経済」が、プーチンの下で「さらに機能不全な産油国経済」へと落ちぶれていったわけだ。
Smithはこのプーチン時代の失敗から、欧米にとっての教訓として「比較優位を追求しすぎてはならない」という結論を導き出している。例えばリチウムやコバルト関連の技術について中国に任せきりにするのは危険である、というのが彼の主張。食料安全保障の他産業版といった趣だが、短期的には比較優位への集中は利益につながっても長期的にはむしろコストになるからやめとけ、というわけだ。しばらく前まで新自由主義経済をあれほど褒めそやしていた米国でこういう意見が出てくるのだから、改めて流行りのオピニオンリーダーの言うことなんか話半分くらいで聞いておく方がいいことが分かる。
ついでにこの話から日本向けの教訓を導くのなら、「いつまでもあると思うな技術力」といったところだろう。ソ連は少なくとも自前で生産できるだけの力はあったが、ロシアにはそれすらなくなった。そしてソ連がまだ残っていた時代に技術立国とはしゃいでいた日本に、今果たしてどこまで技術力が残っているだろうか。ネットを見ると未だにそうした美しい思い出に浸っている人が大勢いるように見えるが、せめて政府は日本の技術力をきちんと評価して政策を打ってほしい。プーチンの二の舞だけは絶対に避けなければならない。
陰謀論は政治にかかわると危険になる。にもかかわらず世論が陰謀論に傾くようだと、政治家がそれに引きずられる可能性がそれだけ高まる。陰謀論に嵌った政治家がどれほど危険であるかはまさにプーチンを見れば分かる。問題は陰謀論者の多くが
「取り残された人々」かもしれないこと。今の日本のようにかつての経済大国の地位から滑り落ちようとしている局面にある国では、取り残されたと思っている人が増えている可能性がある。彼らが政治を陰謀論で動かすようになると、ロシアの惨状は他人事でなくなってしまう。
実際、ロシアの現状について厳しい話はいくつも出ている。例えばプーチンは、亡命した護衛担当者の証言によるとネットすら見ず、
限られた側近の報告以外の情報を受け入れていない「裸の王様」状態だそうだ。まるで宦官の話しか聞かずに行動していたかつての中国皇帝のようだが、そういう皇帝をなかなか辞めさせられずに問題が大きくなった事例は中国史上、枚挙に暇がない。
一方ちょっと関心を集めていたのが
2008年にロシアの雑誌に掲載された対ウクライナ軍事作戦の話。作戦のシナリオの1つとしてキーウを攻撃して独立国家としてのウクライナを壊滅させることも検討されていたそうで、もしこの計画が2014年と2022年に分割されて実施されたのだとしたら、むしろ遅らされたおかげでウクライナの準備が整ったことに感謝すべきなのかもしれない。まあこの記事自体、筆者の
「妄想のようなシナリオ」にすぎないかもしれないけど。
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