人類の起源

 「人類の起源」読了。1年ほど前に出版された本だが、副題にある通り「古代DNA」を使った最近の研究成果をまとめた本だ。この手のものとしては以前「交雑する人類」も読んだことがあるが、何せ進歩の早い分野なのでここいらで一回知識をアップデートした方がいいだろうと思ったのが読んだ理由だ。実際に読んでみると改めて知らなかった話、最近になって論じられているテーマなどがいくつも出てきており、大変に役に立つ。そして改めて学ぶのをやめると拙いことも実感した。

 実のところ最も驚いたのはゲノム分析がその多大な力を発揮する最近数万年以内のホモ・サピエンスの動向だけでなく、それ以前の話の部分だったと言ってもいいかもしれない。もちろん初期猿人のデータは不十分だとか、アウストラロピテクスにも色々な種類がいるといった話は昔からあったが、頑丈型猿人とも呼ばれるパラントロプス類について「もし彼らがアフリカで絶滅せずに生き延びていたら」我々の最も身近な親類になるという指摘は、なるほど重要だと思わされた。
 ヒトの歴史としてよく紹介されるのはチンパンジーとの共通祖先から枝分かれしたおよそ700万年前以降の時期になるが、さてこの時期に生きていた者たちをすべて「ヒト」と呼んでいいのかどうかという問題を考えるうえで、パラントロプスが生き延びていた場合を考えるのは意味があるだろう。正直その場合、パラントロプスをヒトの一種と考えるのは難しかったんじゃなかろうか。そしてその場合、ヒトの歴史はホモ属が生まれた250万~200万年前から始まったという解釈が一般的になったと思われる。
 我々はホモ・サピエンスであり、同じホモ属をヒトのグループに入れることにはあまり異論はないだろう。一方、アウストラロピテクスに代表される「猿人」たちをヒトに入れていいのかどうかは難しい。一応330万年前には剥片石器が見つかっているので、それを踏まえるなら彼らの中に石器を使う者がいた可能性もあるが、最近は道具を使うのはヒトだけでないことが判明しつつあるので、これをヒトのメルクマールにするのも難しい。完全に直立し、さらには持久狩猟までやるようになった段階でヒトが生まれた、と解釈することもできそうだ。
 こちらでも紹介したように、チンパンジーとの共通祖先から枝分かれした後で、ヒトは解剖学的に段階を経て変化してきている。だからその意味では厳密な境界線を引くのは無理だろう(人類の起源の筆者も種の境界が意外に曖昧だと指摘している)。それでも歴史について語る場合はどうしても区切りを付けながら話すケースが多い。ヒトの歴史の開始地点としてどこに区切りを置くべきかは、結構難しい問題だ。
 ホモ・サピエンスの登場時期についても同様の問題が生じる。こちらでもちょっと触れているが、ホモ・サピエンスはある時点でネアンデルタール人及びデニソワ人の共通祖先と枝分かれし、その後でネアンデルタール人とデニソワ人が分岐したとされている。しかしそうした分岐が起きていた時期には各地にまだ他の様々なホモ属(エレクトゥス、ハイデルベルゲンシス、ナレディなど)も生きていた(図2-5)。しかもこれらは化石記録が残っている分だけであり、他にも色々なホモ属がまだ生き延びていたと考えられるし、実際にデニソワ人のように不明なホモ属との交雑が推測されている例もある。
 問題はホモ・サピエンスが枝分かれしたのが64万年ほど前と推測されているところだ。これも猿人をヒトに含めるかどうかという問題と一緒だが、ホモ・サピエンスがネアンデルタール人らと枝分かれしたところから現在のホモ・サピエンスと同じ特徴を持っていたかどうかは分からない。そもそも頭骨は古くて30万年前のものしか見つかっていないし、それも解剖学的に言うと現在のホモ・サピエンスと全く同じではないことが指摘されている。頭骨がホモ・サピエンスとして「完成」するのは10万年前以降、というのがこの本の指摘だ。
 この問題はこちらで紹介した現代的行動がいつから生まれたかという議論とも整合的と言える。あちらでは中期更新世(チバニアン)を通じて行動的な現代性の起源が漸進的に登場したという説を紹介したが、そうした変化の過程を通じて10万年ほど前に今のホモ・サピエンスが完成に至ったと考えるなら、それ以前とは頭骨の形が違っているのも不思議ではない。この場合、ホモ・サピエンスの歴史はネアンデルタール人及びデニソワ人の共通祖先と枝分かれした64万年前や最古の頭骨が見つかった30万年まえではなく、10万年ほど前から始まる計算となる。
 あと細かい話だとネアンデルタール人の脳の容量について。しばしばホモ・サピエンスより大きかったという話が出てくるが、この本ではその平均は1450ミリリットルで、「中にはホモ・サピエンス(平均1490ミリリットル)を凌ぐものもいた」という表現にとどめている。

 そして本題というべき古いホモ・サピエンスのゲノム分析を使った人類の動きについてだが、この本ではアフリカ、ヨーロッパ、アジア、日本、アメリカの各地域ごとにまとめている。アフリカについては詳細はまだこれからとしながらも、最初は中央アフリカ付近から一部は南のコイサン族に、一部は東の後に出アフリカをする者たちも含めたグループに、そして一部は西アフリカに分かれたとの見方を示している(図3-5)。なおホモ・サピエンス内で色々なグループへの分岐が始まったのは34万~20万年前であり、ネアンデルタール人らと別れた64万年前から30万年前までの期間の動向は不明。そもそもネアンデルタール人らとの分岐が起きたのがアフリカかユーラシアかもよくわからないようだ。
 アフリカから出たヒトの移動についても興味深い指摘がある。一時期東アジアやオセアニア方面で古いホモ・サピエンスの骨と見られるものが色々と発見され、6万~5万年前に出アフリカをする以前からインド洋沿いの地域では先にアフリカを出たホモ・サピエンスがいた(あるいは出アフリカ自体が前倒しされる)との説があった。だがこの本では、古いとされる骨については証拠能力が決して十分ではないと指摘(5万年を超えると放射性炭素年代測定法が通用しなくなるそうだ)。最近ではむしろこうした早い段階での出アフリカに対しては疑念が持たれるようになっているという。うーむ、やはり動きが早い業界だ。
 続いてヨーロッパでの動向については研究が進んでいるせいか割と整理して紹介されている。そこで見られるのは、時に別のグループに置換されたり、時には飲み込まれたり、そしてしばしば混ざり合うという形でヒトのグループがダイナミックに動いている様子だ。孤立して暮らしているとゲノムは分岐し、しかし何らかの事情でヒトの動きが生じるとゲノムは混ざり合い、均質化していく、ということが各地で何度も繰り返されている。時には前にいたグループがほとんど姿を消すこともあるようだが、大半においてはやはり「交雑」が中心。もちろんグループも明確な区別のつくグループが存在しているわけではなく、しばしば主成分分析の分布図上にでてくる大雑把なまとまりをグループと呼んでいるのが実情だ。
 アジアを含めたそういう大雑把なグループを見ると、1万年前までには大きく9つのグループがユーラシアに存在していた(図5-1)。しかもそれらのグループはその後も移動して交雑を続けている。例えばヤムナヤの者たちは欧州には進出したようだが、南アジアへ向かったのはヤムナヤ文化とは直接関係ないグループだったようで、インド=ヨーロッパ語族の仲間であってもゲノム的には別のグループがインドへと進出したようだ。あるいは西遼河からの農耕民が日本のゲノムに影響したという話(図5-8)も載っており、これは言語学の分野では色々と批判する声もあった論文をゲノム面では支持する内容、と言えるのかもしれない。
 日本の分析については、縄文人と弥生人という2分法に割とざっくりまとめられてしまう傾向について、より精緻な分析が進んでいる話を紹介。縄文人の血が濃いと安直に言われることが多い琉球とアイヌについても、話はそう簡単ではないと指摘している。またコラムで触れられている「倭国大乱」期の古代都市についての話もなかなか面白かった。ゲノムの分析からだと最近親婚を避ける傾向がある一方で、決まったグループ内での交配が多いのがヒトの特徴らしいが(だから孤立した地域内のゲノムは似てくる)、この古代都市では非常にバラエティーに富んだゲノムが発見されており、様々な地域から人が集まっていたようだ。
 最後に取り上げるのはアメリカ。どうやら最近では氷床の間を通り抜けてアメリカへ進出したという説は流行らなくなっているようで、むしろ海岸沿いに南下したという見方の方が強まっているようだ。またアメリカに行ったホモ・サピエンスはその前にベーリング地峡で数千年間滞留したという「ベーリンジア隔離モデル」なるものも登場しているそうで、これもまた新しい動きと言えるだろう。なお南米の住民と台湾から太平洋及びインド洋へと広がったオーストロネシア人はイースター島に到着する前に交雑していたそうで、彼らが南米あるいは太平洋上のどこかで接触したことも間違いなさそうだ。
 他にも色々と面白い(もしくはややこしい)話がこの本には色々と書かれている。読んでいてやはり知識のアップデートは欠かせない、そうしないと「孔子の罠」に嵌るのは避けられない、という認識を新たにした読書であった。さあて、また何年かしたら改めてこのテーマの本を探すとしよう。
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