1800年ドイツ(byナポレオン)その9

 承前。


 7月15日、パールスドルフで休戦が結ばれた。インゴルシュタット、ウルム、フィリップスブルクの3要塞は封鎖状態にとどまるが、休戦が決められた期間は日々の食糧を供給される。ティロル全土はオーストリアの支配下にとどまり、休戦ラインはイーゼルを通ってティロル山地の麓まで引かれた。6月24日以降、クライは彼が情報を得たばかりのマレンゴで結ばれた休戦を遵守するよう申し出ていた。7月の残りの期間と、8月、9月、10月、そして11月の途中まで、両軍はそれぞれ現在地にとどまった。戦闘は11月まで再開されなかった。休戦協定は以下の通り。
 第1条――皇帝陛下の軍隊と彼の同盟国であるドイツ、スイス、ティロル、及びグリゾン諸国は、同じ諸国内にあるフランス軍との間で休戦と交戦の停止を締結する。交戦の再開は互いにその開始より12日前に宣言する。第2条――フランス軍は以下の休戦ラインを含むあらゆる地域を占拠する。このラインはグリゾンのバルツァースからライン右岸に沿ってイン川水源まで伸び、それが流れる峡谷全体を含む。ついでフォーラルベルクの山地の背後を通ってレッヒ川水源まで、さらにレッヒ左岸に沿ってロイティまで伸びる。オーストリア軍はレッヒ右岸に通じるあらゆる渡河点を確保する。そのラインはロイティを含み、シェバッハの背後、ブライテンヴァンク近くまでセバッハが流れ出す湖の北岸に沿って伸び、レヒタール左岸に沿ってアンマー川の水源まで遡上する。そこからヴェルデンフェッツの国境線に沿ってロイザッハまで伸びる。その川の左岸からコッヘルゼーまで伸び、そこを渡ってヴァルヒェンゼーへ達し、その名のついた湖を横切り、ヤッハナイの北岸に沿ってイーゼルの合流点まで伸びる。そしてその川を渡り、マングアルトの背後、グミュント近くにあるテゲルンゼーのロイティまで続き、後者の左岸に沿ってファレイの背後に伸びる。そこからオプ=ラウス、ライフィング、エルクホフィン、フラフィング、エッキング、エーベルスベルク、マルキルヒェン、ホーエンリンデン、クライナッヒャー、ヴェティング、レティング、アイトベルク、イーゼン、ペンツィング、ツフテンバッハを通り、イーゼルに沿ってフルデンとゼンドルフまで伸び、そこでフィルツの水源へ向かい、それがドナウに注ぐところまで進み、それからフィルツの右岸をフィルスビブルクへ、そしてその川の背後をビナビブルクへ、そこからビナに沿ってドルナイヒへ伸びる。スルムスハウゼンで曲がり、コルバッハの水源へ向かってそれから左岸に沿ってフィルツと合流するところまで進む。そして、フィルツに向かって左に曲がり、それがドナウに注ぐところまで伸びる。同じ線はドナウ右岸をケールハイムまで走り、そこで河を渡り、アルトミュール右岸をパッペンハイムまで伸びる。そこでヴァイセンブルクからレードニッツへ伸び、その左岸に沿って川がマインに合流するまで進む。そして後者の河に沿ってその河口まで伸びる。マイン河右岸のマインとデュッセルドルフ間の休戦ラインはニッダを越えてメンツまでは延長されない。休戦期間中にフランス兵がこの方面で何らかの進展を成し遂げた場合、彼らは7月15日に占領していたのと同じ線を保持するかまたは再現する。第3条――帝国軍は上及び下エンガディーネ、即ちグリゾンのその地方とその川がインに流れ込むところ、そしてアディジェへ通じるサント=マリーの谷間を再占領する。フランス軍の休戦ラインはバルツァースからコモ湖へ、それからコイラ、トッサナ、シュプルーゲン、そしてキアヴェナへ伸び、ルツィエンシュタイグを含む。この線とエンガディーネの間にあるグリゾンの一部からは両軍は撤収する。その地の政府形態は現状のままとする。第4条――この休戦ラインに含まれる要塞のうち、たとえばウルム、インゴルシュタット、そしてフィリップスブルクのように帝国軍が占拠しているところは、この目的のために指揮官が任命した担当官が見たのとあらゆる面で同じ状態にとどめられる。守備隊は増やしてはならないし、河の往来や主要街道の通行を妨げてはならない。各要塞の支配地は要塞から2000トワーズの距離まで延長される。彼らは10日ごとに食糧を得られる。この食糧に関する限り、フランス軍に占領された地域に含められるとは見なされない。フランス軍の側は要塞に物資を運び込む車両を妨げない。第5条――帝国軍指揮官は各要塞の指揮官との間で、彼が監視する彼らの行動に関して連絡を取るための士官を送ることが承認される。第6条――休戦ラインが河を横切っていない限り、両軍の間を隔てる河に橋があってはならない。そして橋は休戦ライン内で、将来的に軍や商業の利益を図る準備がなされるような迷惑がなされない限りにおいて架けることができる。双方の指揮官はこの条項に関して相互理解を図る。第7条――航行可能な河が両軍を分けている場所は、どこでも彼らと住民による航行が自由に行える。休戦期間中、休戦ラインを含んでいる主要道路についても同じ規則が適用される。第8条――休戦ラインのフランス軍側にある帝国とオーストリア諸国の領土は名誉と信頼の保護下にある。個人の財産と既存の政府は尊重され、これらの国々の住民は、帝国軍に対する業務の提供や、政治的意見、戦争で積極的な役割を果たしたことなどによって支障を受けることはない。第9条――この協定はできる限り迅速に実行される。第10条――両軍の前哨線は互いに連絡を取らない。


 以下、ナポレオンによる講評のようなものが続くがそちらは省略。

スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック