「ラシェフスキーの夢」 と題した文章が公開されていた。副題が「歴史と文化の心理学―数学的基礎」となっているが、Keywordのところを見れば分かる通り、Turchinらが手掛けているcliodynamicsをテーマにした文章だ。
出版社のサイト によると、この本はあくまで歴史に数学を活用するための「最初の一歩」として書かれたものだそうで、具体的にはある均衡から別の均衡へ移る際の動力学、偏見の役割やその崩壊のメカニズム、地理的要因(海岸線など)や貿易の度合いが歴史の発展速度に及ぼす効果といったものについて言及しているらしい。さらには「歴史の製作者たる個人」についても触れているようで、なかなか面白そうな取り組みだ。同時に「学部レベル」とはいえ数学を使っているのだから、難しい話も多いんだろう。
見ての通り、彼の取り組みは足元でTurchinらが行っているCliodynamicsと結構似通っている。加えてこの文章ではしっかりアシモフの
「ファウンデーションシリーズ」 にも言及している。もちろん心理歴史学Psychohistoryに触れるためだろう。時期的にはラシェフスキーが件の本を書くよりも20年ほど前にファウンデーションシリーズの刊行が始まっており、そう考えると遡るなら「アシモフの夢」と題する方が正確なのかもしれない。
アシモフの考えた心理歴史学がうまく作用するためにフィクション内で2つの条件が付せられている、とこの文章は紹介している。十分に大勢(750億人という、現在の人口よりさらに10倍近くも多い)の人間の存在によってモデル化されること、そして個々人が心理歴史学の分析結果について無知なままであることだ。足元のCliodynamicsについて見ると、例えば
中世イングランドの構造的人口動態分析 のようにずっと少ない数(数百万人)で理論の適用が行われているし、また
足元でTurchinがちょくちょく取り上げられている のを見ても分かる通り、別に分析結果は人々から隠されてはいない。だから心理進化学がCliodynamicsと同じとは言えないのだが、数学と歴史学を組み合わせる取り組みという点では確かに共通している。
アシモフのフィクションを紹介した後で、この文章はラシェフスキーについて説明をしている。進化論と数学を結びつける数理生物学の分野で活躍した彼は、上にも紹介したLooking at History through Mathematicsの中で「幅広い歴史的プロセスに対するエレガントな数学モデルのコレクション」を紹介したそうだ。実は彼より前から人間社会を支配する一般法則を調べる取り組みはあったそうで、もしかしたらそうしたものも紹介しているのかもしれない。だがそうした取り組みは歴史学の世界では冷遇され、「ほとんど忘れ去られて」いた。このあたりはラシェフスキーの後に定量的な歴史の法則に関して論じた
Goldstoneの体験談 からも分かる。
そのうえでこの文章の主題と言えるTurchinの紹介に入るが、さすがにヴァレンシア大学の出している雑誌だけあって、メディアによく見られるいい加減な説明(50年周期の永年サイクルといった類のもの)はない。Turchinがまず文章で書かれた理論を数学モデルに変え、それを使って理論の妥当性を確認しているところや、彼らがSeshatを使ったデータ集積に取り組んでいる部分などは、割と正確な説明になっていると思う。
面白いのはフィクションの歴史心理学を裏付けるような研究結果も紹介されている部分だろうか。リーダーシップが集団の意思決定に及ぼす影響などに関する研究を紹介し、アシモフが言うような大人数ではない小規模集団での文化進化には、個人の意思決定が不釣り合いなほど重要な影響を及ぼす可能性があると指摘している。以前
こちら で、歴史の法則は「むちゃくちゃ幅の広い道路を端にあるガードレール」のようなものではないかと書いたが、おそらくそれに近い理屈だろう。
結論として、歴史を数学と結びつける難しさを指摘しつつも、この文章は将来に対して楽観的な見方を示している。「今日では大規模データを集めるプロジェクトが進行中で、歴史と文化進化の理論的・計算論的モデリングでも多くの努力がなされている。豊富なデータに基づいて文化的歴史的なダイナミクスをモデル化することが可能な、心理歴史学2.0に向けたラシェフスキーの夢を実現する機は熟している」と締めくくりの言葉にあるように、この文章の筆者らは歴史や文化進化の分野で定量的分析が力を発揮すると見ているわけだ。
Turchinの議論(Cliodynamicsと言いつつ、実際にはFigure 1にも紹介されている通り構造的人口動態理論が大半)を紹介している文章としては、それほど深く踏み込んでいないものの、割と妥当な内容と言っていいだろう。ただ細かいところを気にし始めると、やはりツッコミどころはある。例えばFigure 1の上の図だが、左側の3つの説明についてはまだしも、右側の「永年サイクル」のところに「古い帝国の端で新たなネイションが生まれ、再びサイクルが始まる」と書いている部分は永年サイクルの説明ではない。むしろ
メタエトニー とか
アサビーヤ に基づく議論が紛れ込んでいる。
一方、Culturomics絡みではNgramを使ったグラフがFigure 2の下に描かれている。ラシェフスキーが最もよく登場したのは1960年頃で、彼の数理生物学などへの貢献が一番評価されていたのがこの頃なんだろう。それに対しアシモフや心理歴史学という言葉がビークを迎えたのは実は1980年代。ファウンデーションシリーズの出版が1950年代であることを考えると、このズレはある意味で興味深い。Ngramは出版された書籍に出てくる文言をまとめたものであるため、実際のブームに比べてタイムラグが発生するのはおかしくないが、それにしても30年(ほぼ1世代)のズレは尋常ではない。おそらくファウンデーションシリーズが広く世間一般に受け入れられるようになるのは、それを読んで育った世代が社会の中核になるまでの時間が必要だったんだろう。足元でガンダムやエヴァンゲリオンが広く受け入れられるようになっているのと同じ現象かもしれない。
逆にTurchinやCliodynamicsの登場頻度は、データで見る限りまだまだ全然低い。でもこれもまた当然ではある。上に紹介したタイムラグ問題に加え、現実に足元で売れている本が
ハラリ だったり
GreaberとWengrow だったりするのを見る限り、Turchinの名がアシモフ並みに知られているというデータが出てくる方がおかしいだろう。
問題はこれが10年とか1世代とか経過した後にどうなるかだ。ラシェフスキーの取り組みのように忘却されていくのか、それともアシモフのように時代のスタンダードにまで成り上がっていけるのか。個人的には前者の可能性がそこそこあると思っている。何より(ラシェフスキーもそうだったろうが)Turchinの数式とグラフを多用する主張は、正直難しい。アシモフのようなエンターテインメントと比べればどうしても知名度では不利だ。
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