士気と物理

 これまで著名人の発言とされているが実際には怪しい例をいくつか紹介してきた。ナポレオンのものとされているのが実はグナイゼナウのものだったり、同じくナポレオンかと思われていたら英国人だったりダーウィンの発言とされているものは後の時代の経営学者がざっくりまとめた内容だったりビスマルクの発言なるものが後世のでっち上げだったり。いずれの事例もまずは本当かどうか確認する作業をした方が安全だと思わされる内容だった。
 上に紹介したものの中にはウクライナ戦争で見かけたものもあるが、実はそれ以外にナポレオンのものとされる発言も紹介されている。例えばWall Street Journalのこちらの記事には、皇帝の言葉として「戦争において、士気の力の物質的要素に対する割合は、全体の4分の3になる」という言葉が紹介されているし、前にこちらで紹介した米退役大将へのインタビューでは質問者がナポレオンの言ったこととして「戦争において、士気は物質的要素の3倍の重要性を持つ」と述べている。これがかなり知られている台詞である様子がうかがえる。
 過去に同様に紹介されていた「ナポレオン曰く」がかなり怪しげだったことも踏まえるならこれも慎重に確認した方がいいんじゃないか。もちろん調べたうえでなければ間違いかどうかは判断できないが、というわけで調査したのだが、まずはかなり古い文献にもこの話が出てくることが分かった。たとえば1846年に出版されたこちらの雑誌にはナポレオンの言葉として「戦争では士気と物質的要素の比率は3対1となる」(p250)という言葉がイタリックで書かれている。
 フランス語だとさらに前の1832年に出版された雑誌の中に、「戦争では士気の力は成功の4分の3を占めるのに対し、物質的な力は残る4分の1にしか影響しない」というフレーズを紹介したうえで、その言葉を語った「偉人」に関連する1796年のイタリア方面軍の逸話を紹介している(p359-360)。名前は出していないが、19世紀前半のフランスでこの人物がナポレオンを示していることを理解できなかった人はいないだろう。
 この文章を書いているのはニコライ・アレクサンドロヴィッチ・オクネフ(1788-1850)で、1812年のロシア戦役に関する本なども書いている。ほぼナポレオンの同時代人と言えるし、その人物が明白にナポレオンの発言としているあたりは注目点だろう。過去に紹介した著名人の言葉と違い、もしかしたらこれは本物かもしれないと思わせる証言だ。
 オクネフだけではない。他にもナポレオンと同時代の人物でこの発言を取り上げている人物がいる。半島戦争に関する本を執筆したネイピアだ。1904年に書かれたDictionary of quotations French and Italianには、ネイピアの本からの引用として「戦争では4分の3は士気の問題だ。物質的な力の割合は残る4分の1にすぎない」という言葉が紹介されており、さらに引用元も明記されている。
 その引用元とは、History of the War in the Peninsula and in the South of France, VOL. Iに載っているAppendixのNo. Vだ。p467の真ん中下あたりにまさにこの文章があるのだが、この文章がナポレオンの口述したスペイン情勢に関する覚書の一部であり、サン=クルーで1808年8月に書かれたことまで分かっている。英語の書物に長々と引用されているフランス語の中にあるセンテンスなわけで、これはかなり確度が高い。
 年月も分かったのだから、あとはナポレオンの書簡集を調べればいい。そして書簡集第17巻を見れば、p469からまさにネイピアが引用した文章がある(覚書ではなく所見Observationsになっているなど、細かい違いはあるが)。該当部はp472の上の方にあり、カンマの有無といったちょっとした違いを除けばセンテンスは同じ。ただしなぜか挿入されている位置が違う(ネイピアの本では第6項の直前に書かれているが、書簡集では第8項の直前)。
 書簡集の脚注を見ると、これらの文章はジョセフ王の公文書には残っておらず、本当に送られたのか、ジョセフのところに届いたのかどうかは不明だそうだ。文章自体はフランス側の議事録から再現したものだそうで、だとするとネイピアの引用と比べてセンテンスの位置が違っているのも不思議ではない。ただし、どちらにせよナポレオン自身がこうした発言をし、それが議事録に残されているのは確かだろう。
 というわけで細部に気になるところはあるが、今回の発言についてはナポレオン自身のものと考えて問題ない。これまで色々な発言に「疑わしい」という烙印が押され続けてきたが、今回はようやく真正の「ナポレオン曰く」案件が見つかったわけで、まことに喜ばしい事態である。今までずっと三振を続けてきた強打者にようやく快音が聞かれたようなもので、これにて一見落着、めでたしめでたし、幸せに暮らしましたとさ。

 ……とはもちろん行かない。この件について調べているうちに、変な文章に行きあたってしまったからだ。1960年に書かれたReview of the Space Programという書物の中に採録されている質疑応答文において、妙な発言をしている軍人がいるのだ。彼はソ連との宇宙開発競争について、異なる哲学同士の衝突であり、軍事、経済、外交、政治、心理学、精神といった様々な分野で争いが行われていると指摘したうえで、「クラウゼヴィッツの見解によれば、人間の紛争において士気の物質的要素に対する比率は3対1となる」(p809)と言及しているのだ。
 さて困った。上にも述べた通り、この発言はナポレオンのものであってクラウゼヴィッツのものではない。もちろん彼もそれに類したことは述べている。戦争論第3部第3章で彼は士気の持つ力について言及しているのだが、その中で「物質的力はほとんど木製の柄でしかなく、士気こそが貴重な金属、真に洗練された輝かしい武器なのである」と述べている。つまり、クラウゼヴィッツもまた物質的な要素より士気の方が大切であると考えていたのだろう。
 だが3対1という数字はこの文章中には出てこない。他の文献を見ても、この数字はナポレオンのものとしている例が多い。例えば1909年出版の本では、上で紹介したクラウゼヴィッツの文章を引用したうえで、ナポレオンの言葉である「3対1」と比較せよ、と述べている(p52)。1910年の本はクラウゼヴィッツの別の言葉を引用しているが、一方で「3対1」という言葉はナポレオンのものとしている(p170)。後の時代になってもそれは同じで、1970年出版の本にもクラウゼヴィッツとナポレオンの言葉は別々に紹介されている(p271)。
 見つけた中でもっとも怪しかったのは、1916年出版の本。そこには「もしクラウゼヴィッツが、現代の戦争において指揮の力と物質的な力の比率が3対1であることに同意するのなら」(p59)という文章があった。確かにこれ、コンテキストを無視して個別の単語だけ拾って読むような人であれば、クラウゼヴィッツが「3対1」と言ったかのように理解してしまうかもしれない。だがここで述べられているのは、クラウゼヴィッツがその言葉に「同意するのなら」という仮定の話。実際に彼がそう言ったとは書かれていない。
 幸いにしてこの1960年の本に出てきた勘違いがコピペされ、再生産される流れは生じなかったようだ。最近の本でも報道でも、3対1という数字を持ち出したのはナポレオンであると書いているものが大半であり、クラウゼヴィッツと結びつけている例はほとんど見かけない。とはいえこれはおそらく偶然。たまたま滅多に読まれない本で生じた間違いだったから他者も見過ごしただけで、もし誰か有名人がこうした間違いを口にしていたら、おそらく原典に当たることなく孫引きする人間が大量発生していただろう。事実がきちんと伝わるかどうかというのは、実は結構危うい偶然に頼っていることがよく分かる事例だと言える。
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