少子高齢化の果て

 国内の出生数が統計開始以来の過去最少を更新したことがニュースになっていた。人口はGoldstoneが提唱してTurchinが深掘りした構造的人口動態理論にとっては重要なメルクマールであり、それでいて過去に減った場面はあまりないだけに、こうした事象が今後の社会にどんな影響を及ぼすかは興味深いところだ。
 そうした点について論じたものの1つに、Noah Smithの書いたHow much does aging really hurt a country?がある。邦訳もあるので、そちらを読むのがいいだろう。題名には高齢化とあるが、当然ながらそこでは少子化や人口減という切り口も論じられている。
 話の枕に出てくるのは中国が人口減に転じて人口世界一の座をインドに譲るという話。公式データを修正すると人口のピークは予想より早くなっており、今後は高齢化が進んでいくと見られる。そのため世界の覇権を奪うチャンスが残っているこの10年ほどの間に危険な賭けに出るかもしれないという説にも言及されているが、今回のテーマはそういった地政学的な問題ではなく、むしろ中国以外に西側先進国も同じ運命が待っているという指摘の方が重要。
 とはいえそこで紹介されているOur World in Dataのグラフを見ると、全体が高齢化するのは事実だとしても細かい所には差がある。現在、最先端を走っている日本に対し、急速にそれを追い上げ2050年までには抜こうとしているのが韓国と台湾。中国もこの2国と似たようなカーブを描いている。一方、ペースが遅いのは米英仏といったところで、日本と並ぶ高齢化国であるはずのドイツも今後はペースが落ちていく。微々たる差と言ってしまえばそれまでだが。
 さらにアフリカでも少子化が進んでいると指摘したうえで、このエントリーは高齢化や人口減が経済にどう影響するかについて説明している。まず指摘されるのは扶養比率の高さが生産性の足を引っ張っていること。日本は実は生産人口の生産性だけ見れば米国より高い伸びを示しているが、高齢者が多いため1人当たりの数字ではあまり変わらない。さらに高齢化がイノベーションを阻害する可能性や、将来の人口減を見据えた投資の減退、若者に比べてモノよりサービス消費の多い高齢者の比率が高まると製造業が離れていくといった懸念点も指摘されている。
 さらに米国の各州の経済における高齢化の影響を調べた研究も紹介されている。それによると高齢者の増加は経済成長、労働力、生産性いずれにおいてもマイナスの影響をもたらしていたそうで、おまけに高齢の同僚がいるとそうでない労働者まで生産性が低くなるという。一応、アセモグルらは逆の見解(高齢者が増えると機械化が進んで生産性が高まる)を持っていることも紹介されているが、それは少数派のようだ。
 ではどんな対策があるのか。機械化以外だと高齢者の労働参加を増やす方法があり、実際に日本ではその傾向が強まっている。だがこれらはあくまで弥縫策であり、その埋め合わせには限界がある。おまけに世界的に人口が頭打ちになっているため、移民に頼る方法も長くは続かない。いつかは「国民に多産を奨励するような方法を見つける必要がある」が、効果的な方法はまだ見つかっていない。高齢化は短期的にはそれほどではないが長期的には過酷で未解決の問題だ、というのがエントリーの結論だ。
 Smithが書いているような真面目な経済学的な切り口ではなく、もう少し簡単に人口の将来像を紹介しているのがこちらのエントリー。20~34歳の若者と、55~69歳のエルダーの数がどう変化しているかについて色々とグラフを並べており、現在の日本では既に後者が前者を2割ほど上回っている。さらに今後、その割合は6割近くまで増え、その後も4割くらい高い水準でずっと継続していくそうだ。全体の人口が減りつつ、かつ高齢者の方が多いという状況がずっと続くわけで、これはなかなかシュールな未来像ではある。
 ちなみに米国では2060年になってもまだエルダーより若者の方がわずかながら多い状況が続いているのだが、日本より急激に少子化の進んでいる韓国ではピークにはエルダーの人口が若者の倍以上にまで膨らむ。中国はそこまで行かないもののエルダーが若者を8割以上上回る局面があるし、今や世界最大の人口国となったインドも「規模を30倍にして、時間を40年ずらした韓国」と言われている状態。要するに今は日本が最先端を走っているとはいえ、少し長い目で見れば世界のどこででも起きる事象なわけだ。

 以上を前提としたうえで、では人口が減る社会では何が起きるのだろうか。未来のことが分からないなら過去に学ぶしかない、というわけで出生率が下がった局面をまず調べてみる。有名なのは19世紀後半から20世紀初頭にかけて欧米で起きた現象だろう。こちらのグラフには英仏独とスウェーデン、フィンランドの事例が紹介されているが、国ごとに違いはあるものの、ちょうど20世紀に入る境目のあたりでどの国も出生率が大きく低下している様子がうかがえる。
 米国についてはこちらの文章が分かりやすい。19世紀の半ば過ぎまでは4%を超えていた出生率が、その後でずっと右肩下がりになり、1930年には2%を割り込む水準まで下がった様子が分かる(Figure 1)。だとすると、この時代について調べれば今後を知るうえでの指標になるのではないか、と一見思えなくもない。
 だがそれはちょっと難しい。実際にこの時期に起きていたのはこちらのグラフで見られるような現象、つまり先に死亡率が下がり、その後から出生率が低下していったという流れだと思われる。特に乳幼児死亡率は、例えば米国の例を見ても19世紀後半から20世紀前半にかけて急激に低下しており、出生率の減少が即ち少子化につながったわけではないことが分かる。子供が死ななくなったので、それほど多くの子供を産まなくても済むようになった、というのが実態だったんだろう。
 一応、この出生率の低下後、20世紀の半ばに米国をはじめとした西側でベビーブームが生じたのは事実だ。だからいつまでも少子化が延々と続くわけではなく、Ages of Discordで書かれているように大衆のウェルビーイング改善が進めば少子化が止まるという理屈や、あるいは科学的な発見・発明によって成長がもたらされれば子供は増えるという理屈は成り立ち得るかもしれない。でも足元の状況と単純比較できないのは否定できないだろう。
 もう1つ、私が思いつくのは中世欧州の黒死病だ。こちらで紹介した論文だと、1290年に475万人を超えていたイングランドの人口が、1377年には250万人まで減っていたと推計されていた。国連推計によると日本の人口は21世紀初頭の1億2800万人から2100年には7400万人ほどまで減るそうだが、それよりも減少率が大きかったのが中世イングランド、ということになる。となるとこの時期に何が起きたかを知るのは今後を予想するうえで参考になる、かもしれない。
 Scheidelによればこうした人口減は労働の価値を高める一方で資本の価値を相対的に引き下げる。労働者は歴史的には珍しいが豊かな生活を送り、一方で資本を持つエリートたちはむしろ苦労に見舞われる。Secular Cyclesではこの中世イングランドも分析対象となっているが、そこでは黒死病後の人口減少期はエリート内紛争が激化した時代であり、その後には特に大衆を中心とした人口増が進む成長期がやってくるとしている。
 この通りの事象がこれから起きるのなら、それはエリートにとって厳しく、逆に大衆にとっては恵まれた時代ということになる。もっとざっくり言うのなら働くものは過去よりは恵まれ、逆に資産を持つ者は逆風にさらされる。金融資産や物的資産を抱え込むより、自らの働き手としての能力を高めるような人的資本への投資こそが適切、という理屈だ。例えばFIRE(経済的自立と早期リタイア)なる考えについて、前者は望ましいが後者はやめとけという意見が出てくるのも、そうした労働の価値が高まる時代の到来を予想するのなら当然の反応だ。
 ただし、中世と現代とを単純比較できるのかどうかは不明。経済環境は当時と今とではかなり異なるし、それに今問題になっている高齢者にしても中世には経済に大きな影響を及ぼすほどの数はいなかっただろう。また同じ疫病の影響を受けた場合でもその後の労働者の賃金推移は地域によってかなり異なっており(Italy and the Little Divergence in Wages and Prices: New Data, New Results, Figure 5)、つまり人口増減以外にも大衆の生活水準を決める他の要因があったと考えられる。

 少子化、高齢化、人口減といった問題はおそらく今後どの国にとっても避けられない問題となるし、個々人の生活にまでその影響が及ぶのはおそらく確かだ。というか実際には人口が本格的に減る前からコロナ禍を機に働いていない人が先進国で増えるなど、人手不足の問題は人口減より先に顕在化してくる可能性すらある。となるとSmithの言う「国民に多産を奨励するような方法」は、思ったよりも喫緊の課題になるかもしれない。
 実はその多産の推進については、こちらで紹介されているような研究がある。WEIRDな価値観からは到底受け入れられない解決策かもしれないが、本気で多産が将来される時代が訪れた時には、そんな社会が登場しているのかもしれない。
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