宗教は別物

 TurchinがReligion Is Differentという、なかなかアグレッシブなエントリーをblogにアップしていたので、ヴァルミーの話をちょっと休んで取り上げよう。農業、大規模な組織化された戦争、エリート、官僚機構、文字、記念碑的な建造物といったものは完新世以降、世界の各地で独立に、異なる時代に進化した「複雑な人間社会における真に普遍的な特徴」であるが、道徳的な宗教は違う、という主張だ。道徳的な宗教は歴史上、ある特定の地域で特定の時期にのみ生まれ、そこから各地に広まっていった。
 以前にも紹介したが、Turchinらはこちらの論文で複雑な社会と道徳的な神との関係を調べている。結論としてはFigure 3にある通り、複雑な社会と道徳的な神はそれぞれ軍事的紛争や農業生産性、また後者は牧畜から生み出されたものだが、両者間に直接的な因果関係はない。一方、時系列的には複雑な社会の方が道徳的な神よりは先行していた(Figure 2)という。逆に言えば複雑な社会のために道徳的な神様は必須の前提条件ではないということになる。
 おそらくTurchinがこのエントリーで主張していることは、この研究結果から導き出した結論なんだろう。確かに複雑な社会を作り上げるうえでその原因として道徳的な神が不要なのだとしたら、それが「各地で独立に、異なる時代に」進化しなくても不思議はない。むしろ道徳的な神は社会の進化の中でたまたま生まれ、それが運よく世界各地に広まっただけ、の可能性が出てくるわけだ。しばしば世界宗教という名前で人間社会に普遍的な存在と思われているものが、決して普遍的でも必須のものでもないという主張だとすれば、なかなかアグレッシブといえる。

 Turchinがこのエントリーで取り上げているのは、そうした道徳的な神がどこで生まれどう広がっていったかという話だ。冒頭に紹介されているグラフはSeshatのデータに基づき、世界各地でいつごろから道徳的な神(MSP)が広まっていったかを示している。色が青いとMSPがゼロ、つまり道徳的な神は不在であり、赤は1、つまり実在となる。特に重要なのは完全に発達したMSP、つまり赤い色の部分であり、これはある特定の地域で最初に生まれ、そのあとで世界各地に広まっていった。
 実はそこまで発展していないMSPについては世界の異なる地域で、かなり古い時期から生まれたことをTurchinも認めている。だが赤いMSPはデータを見る限り、以下のような経緯で広がっていった、というのが彼の主張だ。まずそうした完全なMSPが最初に生まれたのは紀元前第2千年紀のエジプト。そこで誕生した神マアトは、超自然的な力や普遍的な原則を概念化したものであると同時に、擬人化され超自然的な代理人として描写されてもいたそうで、それが後に西アジアの唯一神信仰や南アジアのカルマ信仰につながったという。
 続いて紀元前第1千年紀にはこちらで紹介した超越的な宗教、具体的にはゾロアスター教、ユダヤ教、仏教、ジャイナ教といったものが生まれてきた。それらが誕生したのは中央政治軍事ネットワーク(Central PMN)と呼ばれる地域で、その中心にいたのがアケメネス朝ペルシア。この帝国内はエジプト、ステップ地帯、北インドなどで発生した宗教的アイデアを育てる孵卵器となり、それが現存するMSPすべての先祖になった、というのがTurchinの見解だ。
 西アジアの唯一神と南アジアのカルマは異なる考えだが、共通点もある。死後の世界における審判、道徳的規範の内面化、救済・解放・悟りを重視する点などだ。一方、この時期に東アジアのPMNは中央のPMNからは離れて存在していた。奢侈品については両者はネットワークでつながれ、相互に交流していたものの、宗教的なアイデアがそれを伝って東アジアまで伝播したのは次の千年紀になった。前にも記したが、Turchinらの研究によると東アジアに明確なMSPが伝わったのは仏教伝来の後だ。
 Turchinはこの中央PMNにおけるMSPの進化の原動力になったのが騎兵に代表される戦争強度の激化にあると指摘している。そしてMSPもまた、軍事技術(乗馬や鉄の武器、鎧)とともに広まった。騎兵革命だけでなく、火薬革命もまた、それを広めた欧州の世界への拡大と一緒にMSPを広める乗り物となった。
 そして次の段落でTurchinは、完全に発展したMSPが「大規模な社会が効果的に機能するための必要条件ではない」と断言している。その証拠となっているのが、そうした宗教が到達する前に大規模な国家を作り上げていた中国であり、同じくインカ帝国だという。また現代であればデンマークやオーストリアのような世俗的近代国家も、MSPの必要性がないことを裏付ける一例だそうだ。そのうえでTurchinは「民族的に異質な大規模集団を象徴的に統一する能力、教義上の儀式の重視、政府官僚にしばしば仕える識字聖職者たち」といった要素の方が複雑な社会にとっては重要なのであり、その道徳的な性格が理由ではない、と指摘している。

 どこがアグレッシブな主張なのか。Turchinは、極論するなら「複雑な社会を作るのに発達した道徳は不要」とも取れる主張をしていることになる。もちろん全く道徳性が不要とまでは言っていない(完全ではないMSPなら世界の各地で古くから生まれている)が、それが普遍、平等、社会性というMSPが持っているような要素をそろえている道徳的な神という形を取る必要はない、と言っているのだろう。重要なのはそれらの宗教が持つ組織運営上の能力であって、教義の中身ではない。MSPとは言い難い儒教でも、あるいはインカで信仰されていた太陽神でも、そうした機能さえあれば大きな社会は作れるという理屈だろう。
 社会進化を生物進化になぞらえるなら、MSPは自然選択で選ばれたのではなく中立進化の結果として広まった、とでも考えればいいのだろう。あるいは軍事技術や組織運営上の能力という自然選択で選ばれる遺伝子に「寄生」して一緒に広まった遺伝子、と見てもいいのかもしれない。そして必須のものでないのなら、それらはどこかのタイミングで複雑な社会から消え去っても不思議はないとも言える。足元で生じている伝統的宗教信者の減少について、以前成長速度の高い社会で枢軸宗教は適応的ではないという話を紹介したが、Turchinに言わせれば成長度とは関係なくそもそも宗教は社会の適応力を上げるような存在ではなかったことになる。
 さて、この主張はどのくらい妥当なのだろうか。確かにMSPが特定の地域で特定の時代に生まれたものであり、何度も独立に生まれてきたものでない点は、それが自然選択の結果であることを疑わせる理由の1つになるだろう。でも断言できるほどの論拠になるかというと、個人的には疑問だ。確かにMSPは特定のところで生まれ、軍事技術に便乗して広まったのかもしれないが、それはMSPもまた社会の適応度を上げる機能を持っていたことを否定してはいない。それなしでも中国やインカは複雑な社会を作れたが、でも結果的にそれらの地域もMSPを受け入れたのは、そっちの方がより社会の適応度が高まるからだった、と考えてもおかしくはないだろう。
 これまでも書いた通り、成長度の低い状態でも安定した社会運営を進めるうえで、建前とはいえ普遍、平等、社会性を唱えたMSPがメンバーの多くを納得させるだけの力を持っていた可能性はあるんじゃなかろうか。それらの性質がなくても複雑な社会はできるだろうが、そうした性質を持つ社会との生き残り競争にさらされるとMSPを持たない社会はサバイバルできなかった、なぜならそうした価値観を唱える社会の方が参加メンバーにとっては魅力的だったから、という理屈は成り立たないといえるだろうか。
 この辺りは、今後世俗的啓蒙が枢軸宗教化するのではないかという、これまで記してきた予想にも影響しそうな気がする。いや、それがないとしてもTurchinの指摘はなかなか興味深い問題の指摘に見える。できればもっと詳しい論拠について知りたいところだ。
 Turchinのエントリーによればこの文章は今年出版予定のSeshat History of Moralizing Religionなる書物の中にあるThe Evolution of Moralizing Supernatural Punishment: Empirical Patternsと題した章に基づいた記述だそうだ。つまりその本が出ればもっと詳しい話が分かるのだろう。残念ながらこの本が具体的に今年のいつ売り出されるのかは不明。題名にある通りSeshat関連の書物なんだろうが、追加の情報が来ないことには判断できない。
 ただTurchinが使った道徳的な神に関するデータは、SeshatのサイトにあるこちらのページでDLできるようになっているようだ。それも含め、まだこの道徳的な神に関する議論はもうしばらく続きそう。
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