今回取り上げるのは、彼らとは違うデータを活用しながら同じ結論を導いている論文だ。
Horses and the State では、騎兵の拡大が戦争と国家形成のどちらももたらしたという点について、色々なデータを使って実証しようとしている。Turchinらのデータも使ってはいるが、それ以外も使いながら同じような結論を導き出しているという点で、なかなか参考になる研究だと思う。
使っているデータはp78以降に載っているAppendix Dにまとめられている。Turchinらのデータが使われているのはIndependent VariablesのTime Since Cavalry Emergenceのみで、それ以外に騎兵の広がりを示す2つの変数も、また比較対象となるOutcome Variablesも、Turchinらの研究とは違うところから引っ張り出している。Seshatを使った分析の場合、Seshatのデータに問題点があったらどうするのかというツッコミが当然入ることになるが、これだけ異なる研究者の分析を使った場合、そうした問題は割と回避しやすくなる。
こういった様々な変数を比較するに際し、著者はまずTurchinらのデータ以外の方法で騎兵の広がりを示す2つの変数がどこまで使えるかを確認している。まず1つが
テル・エル=アジュル遺跡 からの距離(対数)だ。遺跡の位置はFigure 1の赤い丸で示されている。パレスチナにあるこの遺跡は最古の金属製のハミが発見された場所であり、要するに金属製のハミこそが騎兵の始まりを告げる重要なメルクマールである、という考えなんだろう。
単なる移動手段でなく戦争で馬を使うためには馬をきちんとコントロールする手段が必要であり、それを可能にしたのが金属製のハミだ、というのがこの論文の考え。非金属製のハミの場合、使用中に壊れるなどの事態が生じると馬をコントロールできなくなってしまうため、馬に騎乗するだけならともかく、騎兵として戦場に参加するのは難しかった。だから金属製のハミが発明され、それが広がるのと合わせて騎兵も広がっていったという理屈だろう。実際、この遺跡からの距離はTurchinらのまとめた騎兵の広がりとうまく相関している。逆に馬を最初に家畜化したボルガ・ドン下流域からの距離を見るとp値がかなり大きくなってしまうようだ(Table 1)。
もう1つは先史時代に馬匹が生息していた地域(Figure A1)と、馬匹の生息に適した地域(Figure A2)とを組み合わせたHistorical Horse Index(Figure 2)。このデータもTurchinらのデータとの相関が強い。さらにこれらの相関は馬匹が戦場で使われたことを示しているのか、それとも農業や運搬用として馬匹が広まったことを示しているのかについても確認し、HHIが農業や運搬用とは異なるルートで広まったものだと指摘している(Table 6)。
そのうえで、実際に騎兵が国家形成や戦争とどう関連しているかを調べた結果が順番に紹介されている。まずは古い都市(Figure A3)の存在と騎兵との関係で、両者に関係があり、なおかつそれは交易や農業、鉄器、穀物といった騎兵以外の要因が働いたものではないとの結論を出している。次に使うのが階層性や自律性、領土といった「国家指標」の歴史的な累計値で、これまた騎兵の拡大との相関が強く出てきているそうだ。
3つめの分析は
こちら でも紹介したEthnographic Atlasなどのデータを使ったもの。中央集権化の度合いや社会の階層化、そしてコミュニティの規模といったデータを使って国家の形成について調べたところ、こちらも騎兵との関連が高かった。4つめは一種の歴史実験と言えるが、コロンブス交換以前に馬匹を利用していなかったアメリカの諸国家を対象に、旧大陸との接触前後に国家指標がどう変わっていったかを調べている。馬匹が入ってくる前にははっきりとした違いのなかったそれぞれの国家指数が、それ以降はHHIとの関連で異なるトレンドを描くようになったという。
さらに放射性炭素年代測定を使った考古学遺跡との関係も調べ、騎兵の存在度合いが高い地域ほど新石器以降の遺跡がそれ以前の遺跡に比べてよく見つかると指摘している。また最近になってまとめられた
World Historical Battles Database を使った戦争と騎兵との関係についても調べており、騎兵が早く広まったところほど戦いが近場で起きている(おそらく戦いの起きる頻度が高まっている)ことも指摘している。新大陸でも騎兵に向いた土地ほど戦いが多く起きているようだ。
以上を踏まえ、論文では騎兵の発生が国家や戦いにポジティブなインパクトをもたらしたとしている。騎兵という軍事革命が戦争の頻度という形でその激しさを高め、同時に国家形成にプラスの影響をもたらしたというあたりは、Turchinらの研究と結論はほぼ同じ。さらにはよりよく機能する国家の方が国民の経済的な繁栄ももたらしていると指摘されており、武器の歴史は諸国民の富に持続的な影響をもたらしてきた、というのが結論だ。
この論文で何より面白いのは、馬匹の家畜化よりも金属製のハミの発明こそが軍事技術としての騎兵の誕生に重要である点を統計的に証明した点。テル・エル=アジュルで最初の金属製のハミが発明されたのは紀元前の15世紀。そこからの距離の方が、ポントス・カスピ海ステップ地域からの距離より騎兵の拡大との整合性が高いというのだから、この説には確かに説得力があるんだろう。「騎乗」を生み出したのはヤムナヤ文化を担った人々だったかもしれないが、
「騎兵」が生まれたのは文明の中心地である肥沃な三日月地帯だった 、という結論になるのかもしれない。
もしそうだとしたら、印欧語族のご先祖様とされるヤムナヤ文化の担い手たちが、どうやってその勢力を広げたのかも気になるところだ。前に
こちら で紹介したように、現代の家畜馬の先祖はヤムナヤ文化より後にボルガ・ドン地方で生まれたとされるわけで、加えて騎兵発祥の地も中東だとしたら、いよいよヤムナヤが馬に乗ってヨーロッパを征服したと考えるのが難しくなってくる。戦闘時以外に馬を利用することで高い機動力を発揮し、それを生かして欧州にいた農民たちを圧倒した、といった流れでもあったのだろうか。
論文の主題とは離れるが、金属製のハミとチャリオットとの関係についても気になるところだ。チャリオットの起源は紀元前2000年前後の
シンタシュタ文化 だと言われており、その時代には金属製ではなく
有機物(骨や角)のハミが使われていた という。金属製に比べて耐久性では劣るとしても、そうしたハミがあったのにもかかわらず彼らはどうして一足飛びに騎兵を生み出そうとしなかったのだろうか。なぜチャリオットの方が先に広まったのか。色々と気になるところはある。
さらにこれは完全に論文とは無関係だが、武器の歴史が社会の複雑さや国家の高度化に影響をもたらすのだとしたら、騎兵以外の武器がどうだったかについても知りたいところだ。というかはっきり言うなら火薬のもたらした影響を同様にデータで調べることはできないのだろうか。残念ながらテル・エル=アジュルからの距離といった単純な方法でのデータ化は難しそうだが、騎兵よりずっと新しい時代の現象なのだからデータをかき集める方法も使えそうな気がする。
火薬革命の900年 の中では火薬技術が社会を変えたという話をあくまでナラティブを通じて言及しているが、もっとデータで見ることもできるのではなかろうか。まあ、まだ期間が短いために影響を統計的に見るのが難しい可能性もあるが、誰か試してもらいたいところ。
それとは別にこの論文には過去における騎兵の歴史について、第2節Historical Evidenceの中で色々と面白い話を載せているところも注目だろう。古くはチャリオットの話から比較的最近だとモンゴル帝国まで、また場所としてはユーラシアのみならずアフリカにも言及しており、これはこれで興味深い話がいくつか紹介されている。歴史好きとしてはそれだけでもありがたい部分だ。
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