産業革命の「移行期」

 今回はほぼ妄想。火薬史についてまとめたこちらの文章でも紹介しているが、軍事革命が始まってからその影響で社会の複雑さが大きく伸びるまでには300~400年の時間がかかるとTurchinが指摘している。この「移行期」は、もしかしたら軍事革命だけでなく、生産手段の革命(即ち産業革命)にも存在するんじゃないか、という話をしたい。
 産業革命が始まったのは18世紀半ばの英国というのが一般的な見解だが、他国へ拡大し始めたのは19世紀に入ってからであり、つまり1800年を中心としたその前後の時期が革命の開幕と見ていいんだろう。となるとそこから300~400年かかった時期は2100~2200年といったタイミングになる。現代社会はまだ産業革命が社会に定着するまでの移行期に相当すると考えられる。

 移行期の特徴は何だろうか。1つはまず高い成長率だ。以前、Y染色体の多様性が7000年前から減ったという話を紹介したが、その要因として耕作可能な土地があらかた農業へ移行してしまい、それ以上の高度成長が難しくなったためという推測を述べた。逆にいうなら新石器革命が始まった1万年前から3000年間は成長が続いたとも考えられる。産業革命後に急速に成長率が高まったのはピケティのデータでも示されており、それ以前のゼロサムが当たり前だった社会がいきなりプラスサムになった様子がうかがえる。
 プラスサムになると何が起きるのか。社会の価値観が安定重視から成長重視へ変わる、と考えるのが普通だろう。実際にそれを窺わせるのが、こちらで紹介した論文。産業革命開始前には、長年農業社会を支えてきた枢軸宗教の価値が高い地域の方が都市人口が多かったのに対し、革命後になるとむしろ非宗教的な地域の方が急激な成長を成し遂げている。ゼロサムだった農業社会においてより適応的だった枢軸宗教は、それだけ安定重視の価値観を社会にもたらしていた一方で、急速な成長に対応しやすい思想ではなかったのだろう。農業社会ではむしろ劣後していた非宗教的な社会の方が、環境の急激な変化の後には適応しやすい仕組みだったと思われる。中生代に繁栄した恐竜が、急激な環境変化の際についていけなくなったのと同じ現象ではなかろうか。

 問題はこうした「移行期」がとことんまで進み、定着期になった時にどんな社会が生まれているかだ。おそらく定着期になると、移行期の特徴である高い経済成長は衰える。既に科学分野でそうした傾向が出ているし、産業革命の進展度が高い先進国ほど低成長になっていることは指摘済み。18世紀に始まった産業革命のもたらした高成長は20世紀半ば以降、次第にその速度を緩めている最中だと思われる。まだその恩恵に与っていない地域もあるため、世界全体ではしばらく高成長が続く可能性はあるが、産業革命から300~400年も経過したタイミングにまで至ればおそらくそうした余熱はほとんど収まってしまっているだろう。
 そういう社会では成長を看板に掲げたイデオロギーやエリートは生き延びることができない。実績を上げられないのだから当然だろう。むしろ安定をもたらす思想やイデオロギーが必要になると思われる。その際に候補になるのは古い枢軸宗教か、あるいは現代の道徳とも言える世俗的啓蒙のどちらかになるんじゃなかろうか。成長というエサで釣るのが難しくなるのだから、いかめしく道徳を説く権威を作り上げ、人々をその道徳に平伏させることで低成長下での安定維持を図る方がより適応的になると思われる。
 その際に枢軸宗教と世俗的道徳のどちらが有利かと言えば、それはおそらく後者だろう。成長が鈍るのは仕方ないとしても、今の生活水準を維持するためには複雑な社会を回し続けなければならない。知識社会を解体してしまえばそうした体制は持ちこたえられなくなってしまい、つまりより貧しい世界へと後戻りすることになる。誰にとっても包括適応度の下がる社会が生き延びる可能性はあまりないだろう。以前こちらで22世紀に世界文明が崩壊するという妄言を述べたことがあるが、もちろんその可能性は現実的にはあまり高くない。ヒトの社会は短期的にはともかく長期的にはずっと複雑さを増す方向へと進化してきたのであり、その傾向が変わるだけの要因がそう簡単に出てくるとも思えない。
 そうした価値観の大きな変動が起きる場合、世界は具体的にどう変わっていくのだろうか。個人的には地域別に世俗的啓蒙の支配がグラデーションを描くように変化していくのだと思う。西欧や北米など先進国では既にそうした変化がかなり進んでいるし、おそらくその流れは他の地域にもじわじわと広まっていくのではなかろうか。日本はかなりその方向に変わったし、これからは世俗的啓蒙がまだ弱い地域、具体的にはユーラシアの中核方面にその流れが進んでいく。
 具体的に言えばロシア、中国といった古い帝国の遺産を引き継いでいる地域と、イスラム、ヒンドゥーといった枢軸宗教を掲げている地域が、これから22世紀にかけて世俗的啓蒙化していくのだろう。これらの地域は文明の始めから多くの帝国を生み出してきた、つまり歴史的にいえば過去に多くの成功を収めてきた地域と言える。そういう成功体験が積み重なっていたからこそ、これらの地域では枢軸宗教を含む家父長制的な仕組みを今でも守り続けているのだろう。だが結果として彼らの多くは1人当たりGDPで先進国に追いつけず、つまり低い包括適応度に甘んじている。
 既にイランが建前はともかく実態としてはかなり世俗的啓蒙寄りの価値観になっているらしいことは指摘済み。他の地域がそうならないと考える方が難しいだろう。ましてそちらの方が実際に高い適応度を達成できるとの期待感があれば、人々はトータルとして見ればそちらの方向へと動いていくだろうし、それを押しとどめるのは難しい。彼らの変化が西欧や北米に比べて遅れたのは、過去に帝国ベルトという成功の罠に嵌ったためだと思われる。

 そのように変化した後の、産業革命の移行期が終わって定着期を迎えた時の世界は、どうなっているのだろうか。農業社会に比べて知識が重視され、結果として女性の地位が以前より高まる。複雑な社会を回すための頭脳労働が多くの人に求められ、おそらく教育の高度化が進む。グループ間競争においても物理的な力よりも頭を使うことが重要になり、経済的繁栄度を誇示しあう社会となる。特に今世紀半ば以降、移民の取り合い時代がやってくると、経済的に魅力のない国は衰亡の一途をたどる。
 こうした世界において新たなイデオロギーとなる世俗的啓蒙は、しかし今の我々が知っているそれとはかなり色合いが異なっている可能性がある。それは今よりずっと安定重視の、権威主義的で保守的な思想として人々の上に君臨するのではなかろうか。おそれくそれは英語ならwoke(お目覚め系)、日本語ならツイフェミが持っている価値観と似通ったものだと思う。こちらの本の訳者あとがき(一時公開された後で炎上し非公開になった)で「変な考え」とされているようなタイプの主張だ。だから権威主義的な国が世俗的啓蒙を受け入れたからと言って、彼らがより自由主義的な国になるという保証はない。単に正教やイスラム教の代わりに、同じくらい抑圧的な世俗的啓蒙が社会を支配するだけになるからだ。既にこの新たな「宗教」の修道士たちと呼ぶべき存在も生まれつつある
 もちろん一直線にそういう社会が生まれるわけではない。新しい世代は前の世代の大義に反発するのが世の常であり、だからより包括適応度の高い思想があっても世の中はそちらへ真っすぐ向かうことはない。足元で起きている現象などはまさにそうした反動から生じているのだと思う。だが忘れてはいけないのは、上の世代に反発している「新しい世代」も、いずれは次の世代に反発される点だ。そうやって行ったり来たりを繰り返しながら、全体として長い目で見れば社会は包括適応度の高い方に流れていく。そして革命から300~400年が経過する頃には、新たな環境に適応した社会が生まれている、という発想だ。
 以上が今回の妄想。もちろん未来を見通すことなど人間にはほとんど無理なので、ここで述べたことが当たる確率はさして高くない。ただここで書いた見方が妥当であれば、現代の先進国は自由を好む人にとって珍しいほど恵まれていた時代、と考えてもいいんだろう。人類史上でも滅多にない、大きなプラスサムが得られるタイミングで生きることができたのはラッキーであった。
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