都市人口と軍事革命

 都市化については前にも触れたことがあるが、それに関連してちょっと面白い論文を読んだので紹介しよう。Turchinらが編集したHistory & Mathematics: Historical Dynamics and Development of Complex Societiesに掲載されているAndrey KorotayevのThe World System Urbanization Dynamics: A quantitative analysis(p44-62)だ。2006年出版とちょっと古い文章だが、興味深い話をしている。
 論文ではまず紀元前5000年頃から足元に至るまでの都市人口の推移とそのモデル化について話をしている(Figure 1)。といってもそのモデル自体の話は単なる話の枕。足元では都市人口の増加がいずれ頭打ちになる可能性を指摘している(Diagram 6)。実は既に1960年代から都市人口の伸びは鈍ってきている。都市化そのものは進んでいるが、世界全体の人口増加率は1960年代初頭をピークにその後はずっと低下傾向を続けており、足元では既にピーク時の半分ほどになっている。母数となる世界人口の伸びが鈍っているのだから、当然都市人口も伸びが鈍るわけで、論文ではその新しい状況に合わせたモデル方程式も示している。
 ここまではいわば当たり前。ここからが興味深いところだ。まず論文では歴史上の都市人口の推移について、改めて対数グラフで示している。通常のグラフだと産業革命前はずっと横ばいが続いていたように見えるが、対数グラフ化すると時期に合わせて特徴的な動きが見られる(Diagram 7)。論文では急速に成長している3つの時期(A1からA3)と、都市人口が横ばいの時期(B1、B2)があることを指摘している。A1は紀元前第4千年紀の後半から同第3千年紀の前半、A2は紀元前第1千年紀で、A3は19世紀以降となっている。
 横ばいと見られる時期にも実際にはサイクルを描くように人口が増減する傾向がある。B1の時期についてはDiagram 7に、B2の時期については他のデータを使ったDiagram 8にその様子が描かれている。後者で興味深いのは最初はゆっくりとしていたサイクルが次第に加速しているように見えることで、こちらで紹介した憲章国家と、それに続く時代とのサイクルの違いを思わせる。さらに都市人口を大都市人口にしたDiagram 9でも同様のサイクルが見られる。さらに単なる人口の絶対値ではなく世界人口に占める都市人口の割合は、Diagram 10と11にそれぞれ別個のデータを使ったグラフが掲載されている。
 こうした都市人口の推移は、その時点での政治体のサイズと相関している。他の研究から引用しているグラフ(Diagram 13)を見ると、政治体のサイズから推測した政治体の数の時系列での推移が載っている。それぞれPhase 1が最初の成長期とその後の停滞期、Phase 2が2つ目の成長期と停滞期、そしてPhase 3が19世紀以降の成長期となっている。さらにそれぞれの時期は識字率でも分けられており、A1のタイミングでは人口1%未満が、A2だと数%が、そしてA3には数十%が文字を読めるようになっていたそうだ。論文では都市が生まれる前の時代(B0と呼んでいる)が中程度の複雑さの農業社会、B1が複雑な農業社会、B2が高度に複雑な農業社会としており、これから訪れる都市人口が横ばいとなる時代(B3)はポスト産業社会と見なしている。
 以上のグラフを見ると思い浮かべるのは、前に紹介した4つの軍事革命の話だ。あそこでは最大規模の帝国の面積から軍事革命の時期を推測していたが、今回の都市人口の推移を見るとその4つの軍事革命のうち、青銅器革命と鉄器・騎兵革命の時期が都市人口増加の時期とかなり重なっている印象がある。一方、チャリオット革命は長期にわたる都市人口増にはつながらなかったように見えるし、火薬革命はその移行期が終わった後にようやく都市人口増が始まった印象だ。
 安易に軍事革命と都市人口を結びつけるべきではないだろうが、一方で政治体のサイズと都市人口が相関しているように見える点は重要だろう。Turchinが調べたように規模や情報処理に関する複雑さは多くの社会で手を携えるように一緒に進化しているのだとすれば、国家の面積拡大と都市人口とが比例するのはおかしくないわけで、だとすれば都市人口も軍事革命と何らかの関係を持っている可能性はある。
 ただしこの考えには問題もある。まずチャリオット革命が都市人口に全く影響を及ぼしていないこと、そして上にも述べた通り、火薬革命から都市人口の本格的増加までにタイムラグがあることだ。後者などはもっと素直に産業革命が都市人口増をもたらしたと説明した方が話が早い。ただしこの場合、ではA1とA2は何によってもたらされたのかという説明が必要になる。論文にあるように農業社会の複雑さが一段と増したという理屈が本当に成立するだけの生産手段の変化があったのかどうか、きちんと調べる必要があるだろう。例えば主要穀物であるコムギやコメの品種改良(こちらで紹介した論文内にある)を見る限り、A1についてはコメの生産能力増加が寄与したとは言えそうだが、コムギについてはそうした例はないし、A2についてはそれに相当する生産能力増加は見当たらない。
 むしろA1は国家という機能の成立自体に、そしてA2は国家という機能を持つ地域が横に大きく広がった時期だったから、という理屈を持ち出した方がいいのかもしれない。こちらのサイトでA2が始まる前の紀元前1001年を見ると、オリエント近辺にいくつか小さな国があるほかは、インダス流域のインド=アーリア人、中国の西周くらいしか政治体が存在しない。ところがA2が終わる紀元前1年を見ると、東は朝鮮から西はイベリアまで、アフガンと中国の国境付近を除いてユーラシアの帝国ベルトが政治体によってほぼ埋め尽くされている。
 そう考えると、それだけ広い領域国家を生み出した鉄器・騎兵革命のインパクトはやはり大きかったと言えるのだろう。逆にチャリオット革命は4つの軍事革命の中では重要度(社会への影響度)が最も低いのかもしれない。社会の複雑さが一本調子ではなく階段状に、断続平衡的に進む面はあるとして、ではどの段階で急速な変化が生じたのかを見る際には色々と注意した方がよさそうだ。

 あとは追加でちょっとした雑談を。こちらは最近の研究だが、Genes and languages aren't always found together, says new studyという記事で紹介されていた論文が面白いことを指摘していた。言語とゲノムがどのように分岐してきたかを調べたところ、同じような分岐を示している事例の方が多いが、全体で5分の1くらいは分岐の流れが一致していない例がある、という話だ。
 元ネタとなった論文はA global analysis of matches and mismatches between human genetic and linguistic historiesというもの。最もよく発生する「ミスマッチ」は、ゲノム的に異なる隣接地域の住民の言語を使うようになる事例。アンデス東部の熱帯地域に住む住民はゲノム的に異なる高山地帯の人々が使うケチュア語を話し、ナミビアに住むバンツー系の住民は、非バンツー語であるコエ語を使っている。逆にバンツー族とゲノム的には縁のないアフリカ中央部の狩猟採集民族の中にバンツー語を話す者もいる。
 こうしたミスマッチの中でもかなり珍しいのがハンガリーだ。彼らはゲノム的には周辺諸国の人々とほぼ同じ、つまりインド=ヨーロッパ系のゲノムを持っているにもかかわらず、言語はシベリアで話されているものと近い言葉を使っている。似たような事例としてはゲノムも言語も周囲とは異なる事例(52のケースがある)と、言語は同じだがゲノムが違う事例(27例)があるのだが、ゲノムが同じで言語が異なるのはハンガリーだけ。ゲノムを経由せずに言語が生き残るのはそれだけ難しいのかもしれない。
 この話が重要なのは、文化的進化と生物学的進化は必ずしも一致しないことを示す分かりやすい事例だからだ。言語の進化はまさに典型的な文化的進化と言っていいと思うし、言語が系統図を描くあたりも生物学の進化と似ている。ただし、両者は同じではない。真核生物において水平伝播はほとんど起こらないが、言語のような文化的進化では水平伝播は珍しくない。確かに似てはいるが、一方に働くメカニズムが他方でも同じように働く証拠はない、と言っていいだろう。
 Turchinは生物学的なマルチレベル選択の論拠と称するものについても紹介しているが、正直あまり説得力は感じない。最近も彼はそうしたツイートをしているのだが、ツイートだけではその論拠を説明するには不十分だろう。マルチレベル選択についての彼の発言は、論理的な主張というより信仰告白に見えて仕方ない。
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