ちょっと残念な論文

 以前こちらでハラリ批判を紹介した際に、ダイアモンドもとばっちりを受けたという話を紹介した。ダイアモンドの取り組みはチェリーピックであっても妥当性の高い主張をしており、それは後からデータを使って彼の主張を裏付けようとする論文がいくつか出ていることからも推察できるという内容。そうした「後から調べる」取り組みの中には、よりはっきりとダイアモンドの説を立証しようとした取り組みもある。2004年に発表されたGeography, biogeography, and why some countries are rich and others are poorという論文がそれだ。
 アブストにある通り、世界各地の地理的及び生物地理学的な違いが現在の経済繁栄度(1人当たりGDP)の差をもたらした大きな要因である、というのがこの論文の主張。一方で収奪的制度と包摂的制度が足元の経済繁栄に影響を及ぼしていることも認めているが、それとは別に地理的及び生物地理学的な違いが独自の影響を今でも持っているという。こちらで紹介した本は産業革命後は制度の影響ですべて説明できると主張していたが、そうではないという議論だ。
 立証のためにまず取り組んでいるのが完新世が始まった1万2000年前の地理と生物相についてのデータだ。気候は乾燥帯や寒帯が一番低く、以後、熱帯、温帯の湿潤地域と亜寒帯、温帯の冬季少雨地域という具合に高い評価を与える(後半2つについては順番を入れ替えても結果はあまり変わらないそうだ)。また緯度や、大陸の東西の長さも指標化している(ダイアモンド説を入れているのだろう)。生物相については後に栽培化された33種の植物の野生種、及び家畜化された大型哺乳類14種を対象にやはり指標化している。数値が高い方が生物地理学的に恵まれた地域であり、低いとそうでない地域という計算だ。
 地理や生物相で恵まれている地域の狩猟採集民は環境に後押しされて早期に農業を始めることができる。逆にそうした点で不利な地域では環境条件が厳しいためになかなか農業を始められない、というのがこの論文の想定だ。そして農業の故地のうち北米の東部農業複合体、メソアメリカ、アンデス、サヘル地域、中国、肥沃な三日月の6ヶ所について、地理的及び生物地理学的な指標と農業を始めた時期とを散布図にまとめたのがFig. 1だ。Y軸は完新世が始まった1万2000年前からの経過期間で、X軸は生物地理学的に恵まれていた度合いを示す。見ての通り、割ときれいな双曲線を描いている。
 これを基に論文では環境次第で農業へ移行する期間を推測するモデルを作っている(Table 2)。環境に恵まれれば割とすぐに農業を始める閾値を超えるのに対し、環境の厳しい地域(オーストラリアなど)はいつまでたっても農業を始める閾値に到達できないまま他地域から来た者に征服されてしまうことを示しているのがFig. 2だ。
 さらに論文では、農業が始まった後の経過年数によって経済繁栄度が決まるという想定をしている。Table 3では農業後の経過年数と足元の1人当たりGDPとの相関などを調べているが、R自乗を見ると半分以上は農業の開始時期から説明できることが分かる。これに制度の質を加えるとR自乗は8割に到達し、説明力はさらに高まることは確かなのだが、制度の影響を除いてもそれなりの相関はあるし(Fig. 3)、むしろ制度自体が生物地理学によって説明できる分もあるという。ダイアモンドが主張する通り、農業が始まった時の環境の違いが、現代にいたるまで影響を及ぼしているというのがこの論文の結論だ。

 大変に面白い主張なのだが、問題もある。最大の問題はこの論文が書かれたのが2004年であること。おそらく当時の最新情報を取り入れて書いたのだろうが、それ以降に農業が始まった時期について付け加えられた知見が反映されていない。分析対象とした6つの農業の故地において農業が始まった時期を、こちらと同じ想定にしているのだが、実際にはこれらの想定とは異なる時期に農業が始まっている可能性があるのだ。
 特に問題なのがメソアメリカとアンデス。メソアメリカが原産地であるトウモロコシについては、およそ9000年前に栽培化がされたという点で考古学的及び分子学的な研究が一致している。またアンデス原産のジャガイモは8000年から1万年前が栽培化の想定時期だ。論文がこの2地域の農業開始時期として想定していたのはもっと新しい5000~6000年ほど前になるが、実際にはずっと早い時期にこれらの地域では農業が始まっていたと考えられる。
 論文が「あいまい」という理由で排除したニューギニアでも、少なくとも6000~7000年前には農業が始まっていたと考えられているし、候補地はユネスコの世界遺産にもなっている。アメリカの事例も含めるのなら、農業が始まった時期と生物地理学的な豊かさとの間には必ずしも論文が主張しているような双曲線的な関係はなく、むしろ安定した気候が2000年ほど続けば同時発生的に農業が始まるという説の方が説得力を持つようにも見える。
 もちろんサヘル地域や北米の東部農業複合体のように農業が始まるまでにもっと時間がかかった地域もあるし、それらはこの論文とむしろ整合的と言える。またニューギニアについても、動物が関与せず、栄養源としての重要性が不確かという論文の主張には一定の論拠もあるだろう。いつ栽培化されたかではなく、それが余剰生産物を生み出し、労働にいそしむことなくテクノロジーの発展に寄与できる人口を生み出したことが重要なのだとしたら、むしろ「何を栽培化・家畜化したか」を問うべきなのかもしれない。
 このあたりはTable 3のデータからも窺える。確かにGDPと農業開始からの期間とのR自乗は0.53あるのだが、そうではなく地理的条件とGDPの相関を見てもR自乗はほぼ同じ数値(0.52)を記録しており、農業開始の時間を修正しても現代の繁栄がかつての地理と関係していると主張することは可能。つまり農業の開始時期は、論文の結構重要な部分を否定し得る問題点ではあるが、その全部(及びダイアモンドの主張)をひっくり返すだけの重要な欠陥かと言われると、必ずしもそうは言いきれない。
 ただ、この論文の中身だけでは欠けている部分があるんじゃないかと推測はできそうだ。上に述べた通り、それぞれの農業の故地が余剰生産物をどれだけ生み出せる余力を持っていたか、そういう生物相や地理的環境を備えていたかについて、この論文ではきっちりと詰めた議論を行なっているとは言えない。それを窺わせる一例が、こちらで取り上げた「複雑な社会は農業生産性や農業を始めてからの期間だけでなく、戦争強度や軍事革命によって生み出された」説だ。農業の期間に注目している点は最初の論文と同じだが、そちらには戦争というグループ間の関係性についての言及はない。その分だけ説明力が落ちているのではないか、と思いたくもなる。
 そうした関係性はユーラシアと他の大陸との格差をもたらす一因とも考えられる。グループ間競争が激しいほど複雑な社会は発展しやすく、それに伴って経済も繁栄する(限界利益が増える)。多くのグループが生まれやすいのは資源が多く面積も広く、加えて人口が増えやすい中緯度地域の東西に伸びているユーラシアの方だろう。さらに成長をもたらすのがイノベーションであり、そうしたイノベーションは人口が多いほど発生しやすいと考えれば、その点でもユーラシアの優位性があったと解釈するのも可能だ。
 もう一つ気になるのは、地理や生物相が今のGDPと相関しているのはいいとして、では過去もずっとそうだったのかどうかだ。たとえば100年前のGDPと比べた時のR自乗はどうなるのか、産業革命前の500年前だとどうなのか。あるいは逆に100年後は、500年後は。もし本当に地理や生物相といった環境条件がヒトの繁栄に影響を及ぼすのなら、ずっと一定の相関が続いていたはず。このあたりが判明すればまた面白いと思うが、この論文はそこまで踏み込んではいない。

 私個人はダイアモンドの主張に説得力があると思っているし、地理や生物相といった環境は、全てではないにせよ一定の範囲で歴史の流れを決める「ガードレール」になるのだろうと考えている。だからこの論文の主張の一部については同意する。一方、農業の開始時期を重視しすぎている点については疑問を持っているし、むしろTurchinがやったように農業の生産性の方にも焦点を当てて分析した方がよかったんじゃないかと思う。面白い試みだし、この主張がそのまま成立するならそれは「美しい理論」になったかもしれないが、残念ながら「醜い事実に殺される」結果が待っていたようだ。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント