開戦時の計画

 ウクライナ戦争で開戦当初のロシア軍の計画に関する報道がなされていたようだ。開戦初日の2月24日の午後3時前にはキーウに最初の部隊が到着する計画になっていたようで、さらにその後には「通勤時間帯の山手線」のような頻度で次々と部隊がキーウにやってくる予定を立てていたもよう。そりゃ「絵空事」と言われても仕方ない。ロシア側は冗談抜きで戦闘なしでウクライナを支配できると思っていたようだ。
 面白いのは侵攻開始当初にキーウに単独で突入して壊滅したロシアの特殊部隊OMONに関する記述があることだろうか。彼らに何が起きたかはKnow No Mercy: The Russian Cops Who Tried to Storm Kyiv by Themselvesという記事にまとめられており、そこでは彼らが道に迷ってキーウに迷い込んだのではないかとの推測が記されていた。だがこの侵攻スケジュールが正しい場合、彼らが真っ先にキーウに到着したのはむしろ予定通りだったということになる。
 一応、彼らは空挺部隊と一緒に行動することになっており、またそれより前に先行する部隊(第5戦車旅団)もいたそうなので、彼らが単独で突っ込んだのはやはり何かの間違いだったとも考えられる。でもほとんど最前線に近いところに治安維持目的の部隊がいたのは予定通りだったわけで、つまりそれだけロシア側の計画は現実離れしたおかしなものだった。誰が計画を立案したのだとしても、その人物は現実をまともに分析する能力なり意思なりに欠けていたんじゃなかろうか。
 もうちょっと詳しい分析はこちらの一連のツイートでなされている。それによると本来の前衛部隊のさらに前に空挺大隊本隊と治安特殊部隊が進んでいたことになるそうで、やはり意味不明な計画であるのは間違いない。こちらなどで指摘されている通り、ロシアが戦争ではなくプラハの春やハンガリー動乱のような無血介入を想定していたと考えるのが妥当なんだろう。軍事力を行使するのにあまりに楽観的過ぎる前提を置いているあたり、プーチンは孫子(兵者國之大事死生之地存亡之道不可不察也)を読んでいなかったと見られる。
 問題は戦争開幕からこれだけ時間が経過したにもかかわらず、相変わらずロシア軍の行動がとても合理的に見えない点だろうか。バフムートでの攻撃はまたも食い止められたそうであり、にもかかわらずその戦場で無駄に死者を積み上げているワグナーグループのプリゴジンが指揮系統上で一定の力を握っているそうだ。彼は引き続きロシアのウルトラナショナリスト内での地位向上を図ろうとしているそうで、指揮系統の改善につながる動きとはとうてい言い難い。
 その結果として何が起きるか。A Russian tank unit deliberately attacked another Russian position in Ukraine, report says, illustrating vicious rivalries within Putin's armyという記事で紹介されているように、ロシア軍の戦車が別のロシア部隊に襲い掛かるという事態が起きているようだ。ロシアの内部ではライバル同士の摩擦が激化し、統合された指揮権は存在せず、これでは敗北は運命づけられていると言われているほど。ロシアの現状を一種のエリート内紛争と見ることも可能かもしれない。
 もちろん彼らとて何の工夫もしていないわけではないようだ。こちらの一連のツイートでは、ワグナーグループが練度の低い兵をどう使って戦おうとしているかが紹介されている。どうやら代替が効かない幹部要員の損害を防ぐために小隊長などは後方にとどまり、兵に対してはスマホやタブレットで指揮を送っているらしい。もちろんこの状態では状況の変化や戦場の霧には対処できないと思うが、一番重要な現場指揮官クラスを無駄に死なせないという点では意味があるのかもしれない。
 あとオペラ歌手などで構成される慰問旅団をロシアが創設したという話もある。ただしこの話を紹介した英国防省は、それでロシア軍の問題が解決できるわけではないと指摘しているし、実際に戦況が大きく変わるとも思えない。またショイグはロシア軍を150万人にまで増やすことを提案したようだが、こちらもISWから「ウクライナの戦争にとって意味があるタイミングでそれほど大きな通常軍を編成できそうにはない」と指摘されている。侵攻初期の、まだ装備が整っていた段階なら、数を増やす効果もあったかもしれないが、イランの弾薬に頼るようになっている現状では、兵士の数だけ増やしても効果は限定的なんだろう。

 一方で「暴力が格差を縮める」というScheidelの指摘を裏付けているかのうような現象も起きている。ロシアの侵攻を受けウクライナ国内でオリガルヒがその力を失ってきているそうだ。戦争になれば一部の人間に集まっていた財産も戦争のために駆り出され、あるいは戦禍によって失われるなどして、金持ちほど大きな損失を被るとされているが、ウクライナのオリガルヒも同じ状況に陥っているようだ。暴力は全てを解決するわけではないだろうが、中にはその波及効果でケリがついてしまう問題もあるのだろう。
 といってもその解決法は、どちらかというと全員がゼロに近づいた結果として格差が縮まるといった印象が強い。ロシアでは経済制裁によって鉄鋼需要が急減し、生産活動や雇用に大きな影響が出そうだと伝えられている。もちろんこれは経営者たちにとってマイナスだが、そこで働く労働者にとっても、さらには経済全体の縮小の影響を受けるロシア国民全体にとってもマイナス。
 こちらで紹介した、ロシア産原油を輸送する船舶への保険を認めないという措置も、ロシアの石油輸出を急速に縮小させる原因になっているという。どうやら12月に彼らが海上輸送した石油はたった4ヶ国(インド、ブルガリア、中国、トルコ)にしか送られておらず、彼らにとってのマーケットは急速に縮小しているっぽい。技術関連の分野から締め出されることが戦争に影響している事例はこれまでも多々紹介されているが、金融サービスからの排除も真綿で首を絞めるように効いているのかもしれない。
 ウクライナの電力インフラに対するロシアの攻撃でウクライナが冬場の暖房に苦戦しているという話はよく知られているが、実はロシア国内でも特に地方でインフラの整備不良からセントラルヒーティングが機能しなくなっているらしい。実は戦争前の昨年にもロシアでは5557人が凍死しているそうで、セントラルヒーティングに不調があればその数はさらに増える恐れがある。元々地方では貧しい人々が多いわけで、そこで働き手が戦争に取られたりすればヤバいのは間違いない。
 一方でウクライナのゼレンスキー大統領は米国を訪れ、バイデン大統領と会談し、パトリオット供与などで合意した。というわけでウクライナ側については着々と戦争を優位に続ける準備が整っているようにも見える。心配があるとしたら、米国議会で行った演説に共和党の議員の半数以上が出席しなかった点だろうか。来年からは共和党が下院を支配するわけで、その分だけウクライナ支援の足を引っ張る可能性が出てくるかもしれない。一つだけほぼ確実なのは、戦争が年内では終わらず、来年も続くであろう点くらいか。

 なお日本にとってはウクライナより重要な問題である中国についてだが、ある記者は台湾有事について「今後数年間はない」との見通しを示している。共産党は成功率の高くない台湾侵攻というギャンブルをするよりも経済問題の解決を優先するだろうとの理屈で、まあその理屈自体に異論はない。もちろん習近平がプーチンのように理性的でない判断を下すリスクはあるが、ロシアのあの派手な失敗を見ている状況でなおそういうギャンブルに出るのはかなり難しいだろう。第二次大戦でポーランド侵攻の時点で失敗に終わったドイツ軍を見た場合に日本政府がどう行動したかと考えれば、そりゃ史実ほど安易に開戦に踏み切ることには躊躇っただろう。
 むしろ中国にとっては、ゼロコロナ解除のとたんに2億5000万人近くが感染したという現状の方が優先して対処すべき課題かもしれない。実際にやるのは感染抑制ではなく「患者の急増が社会問題化しないように対処する」ことかもしれないが、いずれにせよ海を渡って戦争を仕掛けることの優先度が高い状況ではないだろう。……なんてことを言っていたら実際にやらかすかもしれないし、権威主義国家にはそういう予測不可能な面があることを常に頭に入れておくことも必要だが、必要以上に怖がるのは何の警戒もせず油断するのと同じくらい避けるべきなんだろう。
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