成長とIQと性別と

 このエントリーのコメント欄で紹介されていたSex Differences in Intelligence: The Developmental Theoryという本では、男女のIQの差は学生のうちは女性の方が高いが、成人する頃には男性の方が上回るという主張をしているそうだ。この本自体は読んでいないのでその主張の妥当性についてどうこう言うだけの判断材料はないが、本の紹介文によるとこうした差は性選択などの進化的な要因から生まれたものと指摘しているようで、成人男女の間でIQの差は平均して4ほどあるという。
 この本のレビューを見ると、割と挑発的な内容の割に、アマゾンを見ても、あるいはこちらを見ても、高めの評価を得ている。おそらくそれだけ説得力のある材料が示されているのではないかと思った、のだが、あるレビューを読むとちょっと分からなくなった。Selection bias and strange methodological choicesと題したレビューで、最後に参考論文一覧が載っているのを見ても分かる通り、かなり力の入ったレビューだ。
 レビュワーは著者が本の中で紹介している様々な論文のうち実際にいくつか自分で当たって確認したようだが、その結果としてレビューの題名通り、著者の結論には選択バイアスやおかしな方法論の採用といった問題が見受けられたと指摘している。内容は色々あるが、例えば著者が主張する脳のサイズとIQは比例するという説に対しては、他の研究だと双方の相関係数は弱いもので、9割は他の要因で説明できる程度のものにすぎないのだそうだ。
 他にもIQの格差4というのは最近のメタアナリシスにおけるもっと小さな数字とは一致していないという指摘や、紹介しているデータの説明が元論文と違っているとか、場合によってはむしろ女性の方が高いIQになっている研究結果があるのにそれを無視しているといった批判もなされている。いずれも論拠となる論文を示しているところは重要だろう。結論として男性の方が年齢を重ねるとIQが高くなるという主張そのものは批判していないが、IQ差4は大きすぎるうえに、特に学校に通わなくなった大人をどう調査に参加させるかといったサンプリング問題を十分に考慮していないのではないか、と指摘している。
 本そのものと同様、このレビューについても私に成否は判断できない。ただそれぞれの言い分どちらにもそれらしい理屈をくっつけることはできそうに思える。あくまで私個人の思い付きにすぎないが、男性の方が年齢とともにIQで優越するのは、彼らの方が進化的にリスクを取って新しいことに挑戦しやすい立場にあったから、とは考えられないだろうか。女性は子育てをするような年齢になると、リスクを伴う可能性のある新しい挑戦は避ける方が進化的に適応的となる。哺乳類の子育てはどうしても母親が主役にならざるを得ず、そして母親にとっての失敗は子供にとって致命的になり得るからだ。一方、男性は女性よりはそうした自然選択が働かず、リスクを取って新しいことを始めるメリットが相対的に大きくなる。
 もしIQが学習習慣、つまり「新しいものやことに取り組み、そこから知識を得る」行為によって涵養されるのだとしたら、そうした行動がより進化的に適応的である男性の方が子育て年齢になると女性よりIQで上回るのは不思議ではない。ただしヒトの子育ては非常に親の負担が大きいため、ヒトの父親は他の哺乳類の父親よりは子育てへの関与が強い。となるとリスクを取ることに伴う男女のIQ差はそれほど大きくなるとも思えない。レビュワーが批判するように、IQの差が4というのは大きすぎるという主張にも、こうした進化的な影響を踏まえると納得がいく。

 もちろんこの話は何の論拠もない個人の思い付き。だが成人の場合に男性が女性よりIQが高いという主張については、ある観測事実とも平仄が合っているのも確かだ。それは認知症の問題。認知症のリスクを減らすために何が必要かという議論の中で、割と高い比率を占めるリスク要因とされているのが教育歴だ。要するに過去にきちんと学習を積み重ねてきたかどうかは、認知症を避けるうえで結構重要なのである。
 だが今回の議論でもっと重要なのは、こちらの記事に載っている「10年後の認知症確率を予測するチェックリスト」。もちろん年齢が最もリスクとしては高いのだが、その要件の中には他に「教育年数9年以下」「高血圧」「糖尿病」などと並んで「女性」という項目があるのだ。実際、大卒以上の男性の場合は65歳以降に認知症を伴う期間は1.4%にとどまるが、同じ大卒でも女性だとこの期間は15.4%まで伸びるのだそうだ。
 認知症になるリスクの度合いは教育歴と関係があるのと同じく、性別とも関係する。この指摘がもし事実なら、同様に学習習慣とも関係しそうなIQにおいて成人男性が女性より高くなるのも辻褄が合う、ように見える。そしてまたこの両者は、どちらも上に述べた思い付き、つまり「子育てでの役割が大きい女性は学習という新たな挑戦を避ける方が進化的に適応的」だという原因から導き出された結果であると考えても一応、辻褄は通る。
 とはいえこの考えが正解だと言い切る自信はない。というのも、本当に子育て期間に入ってからは男性の方がIQが高まるのだとしたら、最近になって先進国で大卒に占める女性の比率が高まっていることに説明がつかなくなってしまうように思えるからだ。レビュワーの指摘を見る限り、おそらくこの本の著者は16~17歳あたりで男性のIQが女性を抜くと考えているようだ。だとしたら大卒資格を手に入れるうえでは男性が有利にならなければおかしいはず。なのに最近はずっと女性の割合が増えているのは一体どういうことだろうか。
 大卒資格とIQが全く同じというつもりはないが、さすがに両者が真逆を向いているとは考えられない。あるいは著者の想定する「大人になると男性の方がIQが高くなる」その時期は、実は20代半ば以降というかなり遅い時期なのかもしれないが、肉体の成長が20歳前後で終わることを考えるとそうした主張はかえっておかしく思える。大人になれば男性が女性を抜くという理屈と、足元で現に起きている現象とが正直うまくかみ合わない。
 加えてレビュワーが指摘するサンプリング問題を裏付けそうな話もある。こちらの一連のツイートでは、あくまで米国の事例に限られてはいるが、25~54歳で働かない男性が増えているという話が紹介されている。特に目立ってきたのはCovid-19の蔓延以降だが、それ以前から米国では労働市場への参加比率がOECD諸国でも最低レベルにまで低下しており、特に働き盛りの男性で見るとイタリアと並ぶくらいの低さに達しているという。
 もちろん現時点でこれは米国特有の事情に見える。他の国々が豊かさ(1人当たりGDP)を増す一方で労働時間を減らしているのに対し、米国は20世紀末頃からほとんど労働時間が減っておらず、つまり他の先進国が一種のワークシェアによって全員が労働時間を減らしながら多くの雇用を守ったのに対し、米国では相変わらず働き続ける人と労働市場から完全に脱落する人の二極分化が起きている、と解釈できるのが現状だ。ただその中でも女性の労働市場参加は足元で男性ほどの低下は見せていない。
 他にも色々な話がこのツイートには書かれているが、米国で起きているこうした「働かない男性の増加」みたいな現象が、成人男女のIQを調べる場合のサンプリングにどのくらい影響しているかは知りたいところ。いわゆるWEIRD問題(心理学の実験で対象者が西洋の高学歴で豊かな人々に偏っているという問題)をどこまで踏まえた研究になっているのか、仕事からも脱落しているような男性をきちんと拾い上げたうえでの分析になっているのかは気になる。逆にそうした問題はないのだとしたら、ではなぜ知識社会に適応的だと思われるIQの高い成人男性が、どうしてここまで仕事から離れる傾向を見せているんだろうか。

 こうした疑問全部に辻褄を合わせる理屈は正直ちょっと思い浮かばない。というか無理やり辻褄を合わせてもおそらく意味はないだろう。分かる範囲で言えることを少しずつ探していくしかないと思う。また実際には男女差よりも男性内、女性内での個人差の方がずっと大きく出てくるであろうことも踏まえるのなら、あまり男女の違いばかりを重視するのもよくないとも取れる。というわけで冒頭に紹介した本についても、その見方が正しいか間違っているかといった結論に飛びつくのは控えておく。
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