Peter Turchinが
The Collapse of Simple Societies というblogのエントリーをアップしていた。題名は
Tainterの有名な本 をもじったもので、文中でもTainterを紹介し、「社会は複雑になるほど脆弱になり、崩壊しやすくなる」という主張にも言及している。さらにそうした複雑な社会に対するネガティブな視点として、最近になって流行っているアナーキズムにも触れ、過去にTurchinが書いたアナーキズム的な観点への批判も述べてる(Turchinによれば政治的アナーキズムは完全なたわごとだそうだ)。
一方で彼自身は最近まで、単純な社会は崩壊に対してとても強靭であったと考えていた、とも記している。ただ崩壊という概念は問題が多いため、もっと定量的なアプローチが必要。そう考えた彼は、考古学の発展に伴って増えてきたデータを使い、実際に単純な社会がどう移り変わってきたかを見るようになった。一例がエントリー内にある2つ目のグラフで、新石器時代の欧州における線帯文土器文化の人口密度の推移を示している。見ての通り、人口はいったん大きく増え、だが途中で急減している。今よりずっと単純だったと思われる社会にも、人口の減少という形で一種の崩壊があったように見える、というわけだ。
彼がこのエントリーをアップしたのは、ウィーンの複雑性科学ハブで開かれたワークショップを受けたもの。その簡単な内容については
Busts after Booms, but Why? というページに紹介されているが、ワークショップにおける議論の詳しい内容までは書かれていない。複雑な社会の崩壊については色々な人が研究しているが、単純な社会の崩壊についてはそうした人は少なく、まだまだ研究の余地があると触れられているだけだ。
ただし参加メンバーの名を見ると、
こちら で紹介した論文筆者たちが結構顔を出している。筆頭著者のKondorとTurchinがワークショップの主催者だし、それ以外にGronenbornもワークショップに加わっている。もしかしたらこちらの論文で撃ち出した議論を踏まえ、さらにそこから次の展開としてどのような研究を進めればいいのかといった議論をしたのかもしれない。
論文では人口の増減という現象が起きていることを前提とし、それと整合性の高いモデルとして暴力的紛争の存在が重要だったのではないかと主張している。まだプレプリント段階だったのでこの結論で決まりとは限らないが、外部紛争を重視するという点で、
複雑な社会が作られた原因について分析した事例 と相通じるものがある。おそらく「単純な社会の崩壊」を調べるうえでも、こうした外部紛争の存在は要因の1つとして分析対象になるだろう。
実のところTurchinがにおわせている通り、本当に複雑な社会の方が崩壊しやすいのかどうかははっきりしていない。というか、以前
こちら で紹介した論文でも、いったん国家レベルまで複雑さを進化させた社会が、それ以前の(首長制以下の)社会に戻るケースは極めて少ないと指摘している。
こちらのエントリー でも複雑さの退化について調べてみたが、対象はかなり限られた数しかなかった。最後に記した通り、「複雑な社会」は極めて復元力の高い存在ではないか、と思いたくなるデータだ。
実際のところ、複雑な社会が脆弱で単純な社会が強靭である、という具体的な論拠を見た記憶はない。複雑な社会は構成要素が多岐にわたるため、そのいずれかが崩れれば社会全体の崩壊につながりやすくなる、という想定があるのかもしれないが、それぞれの要素が具体的にどのような関係にあるかを考えなければそうは言えないだろう。
こちら で紹介したToozeの見方が当てはまるなら、つまり各要素が互いに正のフィードバックをもたらすなら、1つの要素の危機が多くの要素の危機をもたらして崩壊に至ることも考えられるが、Smithの言うように負のフィードバックが働くなら、逆に要素の多い複雑な社会の方こそ高い強靭性を持つとも考えられる。上に書いたように複雑な社会の方が復元力が高いのだとしたら、PolycrisisよりPolysolutionの方が一般に当てはまるメカニズムだということも考えられる。
もう一つ気になるのは、ワークショップまで開いて議論したこの論点が、その後の議論を広めていくうえで役に立つのかどうかだ。正直なところ、単純な社会でも崩壊があるという結論が出たとして、それだけでは大きな意味はないと思う。何しろ現代の我々は皆複雑な社会に住んでいるのであり、単純な社会に働くメカニズムが分かったとしても正直大して意味はない。歴史マニアが興味を持ちそうなトリビアが一つ増えて終わり、という展開も考え得る。
Turchinや他の研究者が何を考えてこの問題に注目しているのかは分からない。ただ同じように思っていた研究成果が、その後で大きな展開を見せた例もあるので、現時点で大した意味のない研究と断言するのもよくないかもしれない。具体的には社会の複雑さについて主成分分析を行った論文がそれ。
こちら で触れた際には他のいくつかの論文とまとめて紹介したが、実はこの主成分分析で得られたデータは、その後に道徳的な神や農業、戦争といった様々な要因がどう社会の複雑性と関連していたかを調べる基礎となっている。さらにはそこからのバリエーションとして
2つの閾値 という研究までが生まれてきたわけで、論文単体では分からなかったその価値が後になって見えてきた格好。
もちろんこの「単純な社会の崩壊」研究がそういった位置づけの研究になるという保証はない。単に単純な社会でも崩壊は起きる、もしくは複雑な社会よりも崩壊が多いという結論が出ただけで終わり、となる可能性もある。もちろんそれはそれで、社会の発展がしばしば指数関数的な流れを見せる理由の一つに位置付けられそうな気はするが、でもそんなにワクワクするような研究内容になるかどうかは不明だ。とりあえずは今後の展開を楽しみにしつつ、まずは当面の研究課題についてどんな結果が出てくるかを待つのがいいんだろう。
ところでTurchinのblogエントリーに書かれているコメントの中には、最近日本でも話題になっている
チャットGPT (
ガンマGTP ではない)を使ったやり取りが紹介されている。投稿者がチャットGPTに対して複雑な社会の崩壊について質問し、それに対する回答を載せたもので、
Turchin自身も面白がっていたもよう 。確かに、一見してアカデミックな議論をAIが繰り広げているようにも見える内容で、初見だと感心するのもよく分かる。
ただ実際に読んでみると、AIの回答は基本的に同じ内容のくり返しであり、質問者が「こっちは違う質問をしているのにいつも答えが同じ」とツッコミを入れる場面があったほど。読んでいるうちに、これは議論の内容を理解し、自分なりに咀嚼したうえでの発言ではなく、単にネット上にある知識を整理して並べ直しているだけに見えてきた。
こっち で紹介した「広く薄く仕入れた知識の中身をほぼそのままアウトプットする」手法と同じで、wikipedia代わりに調査のとば口として使うくらいしか用途はないんじゃないかという感想を抱いた。少なくとも詳しく調べようとするならチャットAIを使うより詳しい資料を検索で探し出す方に力を注いだ方が有意義だろう。
ネット上に存在する画像の種類を考えると、おそらく新石器時代の元ネタはそう多くないだろう。日本であれば中世と近世だったら、やはりAIが参考にできる画像の数はかなり異なるはずだ。そして数の少ない時代であれば、うまく「呪文」(
一例 )を唱えないと予想外の画像が出てくるのもおそらく仕方ない。逆に面白おかしく仕上げたいのなら、できるだけネット上に画像の少なそうなテーマで作るのがいいのかもしれない。いずれにせよ今の時点では大喜利的な使い方がベストに思える。
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