1815年6月15日の情報 4

 これまでも書いてきた通り、ワーテルロー戦役の開幕時、英連合軍の対応が遅れたのはプロイセン軍からウェリントンへの情報提供量があまりに少なく、かつそれが遅れていた点にある、といのがPierre de WitのThe Campaign of 1815の主張だ。実際、細かく調べてみるとフランス軍の攻撃を警戒してプロイセン軍が各軍団に集結を命じはじめて以降、それから丸1日が経過した15日の真夜中までの24時間に、プロイセン軍からウェリントンに向けて送ら得た情報は計4件しかなく、しかもそのうちプロイセン軍司令部からのものは2件にとどまった。あまりにも情報交換の密度が薄すぎる、というのがde Witによる批判の1つだ。
 もう1つはこの時期のプロイセン軍にとっては宿痾と言うべきかもしれないが、とにかく伝令に時間がかかっていたこと。ツィーテンが午前9時頃に出した手紙がミュフリンク経由でウェリントンに届いたのはおよそ9時間後の午後6時だったし、ナミュールの司令部から正午に出された手紙がブリュッセルに到着したのは10時間近く後だった。前者は50キロの距離で普通の伝令ならおよそ6時間でカバーできたはずだし、後者は63キロあったので7時間もあれば十分なはずだった(第2巻、p156)。Napierが書き残している「30マイルに30時間をかけて移動した」という話は完全なフィクションであるとde Witも認めている(p208)が、それでも遅かったのは間違いない。
 その遅さは、前にも書いているがシュタインメッツの情報が英連合軍の複数個所を経由しながらツィーテンが直接送った情報よりも先にブリュッセルに到着したことからも窺える。シュタインメッツのいたフォンテーヌ=レヴェークからサン=シンフォリアン、ブレーヌ=ル=コントを経てブリュッセルへ至る道筋は長さ約80キロ。シャルルロワからブリュッセルまでの52キロより1.5倍以上長いにもかかわらず、どちらも午前9時頃に出た命令のうち先に到着したのは前者の方だった。もしプロイセン軍が英連合軍並みの伝令速度を持っていたなら、ツィーテンの報告は午後2時過ぎにはブリュッセルに到着していたはずで、史実より早い3時から4時頃に英連合軍は集結命令を出すことができただろう。
 ただし英連合軍の伝令も、ケースによって速度の違いはあった。一方では時速15キロでブレーヌ=ル=コントからブリュッセルまで駆け抜けたウェブスター中尉のような事例もあったが、他方では情報が到着するのにものすごく時間のかかる例もあった。ウェリントンが最初の集結命令を出したのは午後7時とされているが、これが30キロちょっと先(de Witはp194で20キロと書いているが、これはおそらく間違い)のブレー=ル=コントに到着したのはようやく11時半になってからだったし、ウェリントンの司令部から1キロもしない場所にいたピクトンに命令が到着したのは9時から10時の間だった。
 もちろんこれはウェリントンが命令を記した後で、それを各部隊に分配するよう命令を書き写したり必要な伝令を確保したりといった作業にかかった時間を含んでおり、従って移動速度そのものを反映したものではないだろう。ウェリントンの命令は7時に出されたことになっているが、それが実際にブリュッセルを出発した時間についてde Witは早くて9時、遅いと11時頃になったと見ている(p194-195)。前に紹介した長すぎる命令文の写しを作る余裕がないから見に来いという話もそうだったが、コピー機も何もない時代に大きな組織を動かすのがいかに大変だったかがわかる話だ。
 ただその中でもプロイセン軍の手際の悪さには特筆すべきものがあったとde Witは見ている。それはウェリントンへの連絡だけではなく、16日のリニーの戦いに間に合わなかったビューロー第4軍団との情報のやり取りにも表れている。第4軍団への命令はまず14日の夜9時にかけて出されており、そこではアニュ近くに集結することになる可能性を指摘している(第1巻、p251)。続いて同日真夜中には15日中にアニュに第4軍団を集めるよう命令が出された(同、p253-254)。
 これらの命令は一種の駅伝によって運ばれていたようで、ナミュールとリエージュ間ではユイに中継地点があり、そこに伝令が詰めていた。問題はその伝令がたった1人しかいなかったことで、この伝令が最初の命令をリエージュまで運んでいる間、2つ目の命令はユイにとどめ置かれたという(第2巻、p136)。1つ目の命令をリエージュに15日午前5時に届けた伝令は、それからユイに戻り、次の命令を再びリエージュへと運んだが、彼の到着は午前の相当遅い時間になってしまった(p115-116)。プロイセン軍の連絡網に存在した問題が、さっそくこうしたトラブルを引き起こしたことが分かる。
 加えてここでビューローが判断を誤った。彼はアニュへの第4軍団集結を達成する時間はまだあると考え、配下の各部隊に移動開始は16日と伝えてしまった。彼がグナイゼナウより先任の将軍だったことも影響していたのかもしれないが、命令に合わせて15日のうちに少しでも兵をアニュへ接近させておけば、もう少し早くリニーの戦場近くに到着できていたかもしれない。またビューローは15日にアニュへ各旅団の幕僚を送るよう伝えたが、第4軍団の司令部から送り出したベローに対してはその後でナミュールのプロイセン軍司令部へ向かうよう伝えており、つまり第4軍団の代表者がアニュにいない状態が生まれてしまった(p138-139)。そして運悪く、このタイミングで3つ目の命令がアニュに届いた。
 ブリュッヒャーが伝えた命令は、15日にフランス軍の攻撃が始まったことを知らせ、遅くとも16日夜明けにはアニュを出発してジャンブルーへ向かえと記してあった(p117)。だがこの午後の間に出された命令の宛先はアニュとなっており、そしてアニュで第4軍団の代表者を見つけることができなかったメッセンジャーは、命令書をそこに置きっぱなしにしてしまったのだ。さらにその後にグナイゼナウはロート中尉に口頭の命令を与えてアニュへ送り出した。15日の午後11時にアニュに到着した彼は、第4軍団の影も形もなく、それどころかその前に送った命令が封も開かれないまま置き去りになっているのを発見した。ロートが3通目の命令も持ってリエージュに到達したのは16日の午前5時(p118)。同日午後に行なわれるリニーの戦いに第4軍団が間に合う可能性はもはやなくなっていた。
 先に送った手紙が相手に届くこともなく放り出されているのを見たロートは、ブリュッセルへの道ががら空きになっていると聞いた時のコンスタン=ルベック同様、さぞや驚いたことだろう。とはいえ仕事をしている者なら、この手の「ポテンヒット」みたいなミスについての経験を誰しも持ち合わせているに違いない。人間はいつの時代も変わらないものだ。

 プロイセン軍の、特に幕僚たちの不手際が、英連合軍の初動遅れの一因であることは間違いないだろう。後に名声を恣にしたドイツ参謀本部の始祖たちも、この当時はまだまだ不格好で不手際の多い組織だったわけだ。だが一方で、彼らだけを責めて話が終わるのかと言われると、そこにはやはり疑問がある。
 そもそもプロイセン軍司令部にしても、あるいは第1軍団のツィーテンにしても、ウェリントンへの連絡は重要ではあったが最重要とは思えない事項だ。特にツィーテンはこの日、ほぼ単独でフランス軍の攻撃を受け止め、大きな損害を出さないようにしながら一方でプロイセン軍が集結するための時間稼ぎもしつつ、広範囲に散らばっていた軍団をフルーリュスへ後退させるという実に大変な仕事を請け負っていた。配下の部隊をうまく動かすことの方が最重要であり、またその次に彼らの行動次第で味方の集結がうまくいくかどうか決まるプロイセン軍司令部との密接な連絡が求められる。ブリュッセルにいるミュフリンクへの報告は、それらよりも優先度は低い。ワーテルロー戦役本ではしばしば彼のブリュッセルへの連絡が異様なほど注目を集めるが、それは後知恵に基づく関心に過ぎない。
 同じことはプロイセン軍司令部の行動についても言える。もちろん彼らにとってウェリントンとの連絡はツィーテンよりも重要度は高い。味方の集結の次くらいには入っているだろう。だが彼らはそもそも味方の集結についても失敗しているわけで、それを踏まえてもウェリントンとの連絡がうまく行かなかったのは故意というより不可抗力に近かったと考えられる。それにまばらだったとは言え、彼らは少なくとも2回はウェリントンへ情報を送った。全く仕事をしていなかったわけではない。
 実はこの15日に全く仕事をしなかった男が1人いる。プロイセン軍司令部に送られていた英連合軍の連絡将校、ハーディングだ。この日、彼がウェリントンに出した報告は1通もなく、逆にウェリントン側から彼へと送られた問い合わせや命令もまた1通もない。de Witの第2巻には索引にすら彼の名が出てこず、辛うじて脚注の中に言及があるくらいだ(p314)。ハーディングとミュフリンクという2人の連絡将校は、両軍の間で連絡を取り交わす2つのルートとして、いわば相互にフェイルセーフとして機能するように配置されていたはずなのに、戦役が始まったこの日、その1つが全く不通になってしまっていた。
 ハーディングが何をしていたのか、なぜ全く情報を寄こさなかったのかは分からない。翌16日には普通にビュシーでウェリントンとブリュッヒャーの会議に顔を出しているので体調不良だったとも思えないのだが、はっきりしたことはとにかく不明だ。ただ、de Witの本を読む限り、これだけは言える。15日に最も仕事をしていなかったのはプロイセン軍司令部でもツィーテンでもなく、ハーディングだ。
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