1800年ドイツ(byナポレオン)その2

 承前。


 ジェノヴァ[ジェノラの間違いか]で敗北したイタリア方面軍は、混乱の中アペニンの峠で再編していた。コニ要塞は降伏し、ジェノヴァは脅かされていた。しかしサン=シール中将はオーストリアの軍団をボチェッタの彼方へ撃退し、名誉の剣を得た。これはナポレオンが国家の首長として最初に行った国家的な報奨だった。両軍は冬営に入った。オーストリア軍は美しいピエモンテとモン=フェラートの平原で、フランス軍はアペニン山脈の反対側、ジェノヴァからヴァールにかけて。長期に渡って海側から封鎖され、ポー河渓谷との連絡がなかったこの地域は疲弊していた。うまく組織化されていないフランス軍の管理組織は、不誠実な手に委ねられていた。
 騎兵と他の馬匹は欠乏によって消滅させられていた。感染病と逃亡は軍の組織を壊していた。悪行がはびこり、全部隊が陣地を離れ、軍鼓を鳴らし軍旗をはためかせながらヴァール川を再渡河し[退却し]ていた。この混乱はナポレオンからイタリア方面の兵士に多くの命令を出させることになった。彼は言った。『兵士諸君、私を政府首班に引き止めている現下の状況が、私を諸君の中に居させることを妨げている。諸君の欠乏は大きい。諸君への補給のためあらゆる手段が採られている。兵士にとって第一の資質は、疲労と欠乏に対する忍耐深い耐久力である。勇気は副次的な資質に過ぎない。いくつかの部隊が陣地を離れた。彼らは士官の声に耳を傾けてこなかった。第17軽半旅団もその中に含まれる。カスティリオーネ、リヴォリ、ノイマルクの勇者たちはもはや存在しないのか? 彼らは軍旗を離れるくらいなら滅びるべきだった。彼らは若い戦友たちに名誉と義務に立ち戻るよう呼びかけるべきだ。兵士諸君、諸君は食糧が規則的に配分されないことに不満があるのか? もし諸君が、第4及び第22軽半旅団、第18及び第32戦列半旅団のようにパンも水もないまま砂漠の真ん中で馬とラクダに頼っている時、諸君はどうするつもりか? 彼らは勝利が我等にパンを与えるといった。そして諸君は――諸君は軍旗を離れた! イタリア方面の兵士諸君、新たな将軍が諸君を指揮する。彼は諸君の最も輝かしい栄光の時にいつも第一線に立っていた。彼を信頼せよ、彼は諸君の戦列に勝利を取り戻すであろう。私は兵士全ての行動、特に第17軽半旅団と第63戦列半旅団に関する日々の報告を私に送るようにさせた。彼らはかつて私が抱いていた信頼を思い出すであろう』。
 これらの言葉は魔法のように悪行を止めた。軍は再編され、必需品は供給され、脱走兵は戻ってきた。
 ナポレオンはマセナをエルヴァシーから呼び戻し、彼にイタリア方面軍の指揮権を与えた。アペニンの全ての峠を熟知しているこの将軍は、他の誰よりもこの機動戦に向いていた。2月10日、彼はジェノヴァの司令部に到着した。
 当初議会に呼ばれたブリュヌ将軍は数週間後に西方軍を指揮するためロワールへ送られた。オージュロー将軍が彼の後をついでオランダの指揮を執った。軍に以下の布告が出された。
 『兵士諸君! フランス人民に平和を約した私は諸君に訴える。私は諸君の勇気と、諸君がオランダ、ライン河、イタリアを征服し、ウィーンの城下で講和した時と同じ存在であることを知っている。兵士諸君! 諸君が招集されるのはもはや国境を守るためではなく、諸君の敵が侵略しようとしている国を守るためである。諸君のうち戦役を経験した者の中に、兵士の最も重要な資質は忍耐深く困難に耐える力であることを知らないものはない。長年にわたる管理組織の欠陥は一日にして直るものではない。共和国第一執政として、この規律と勇気によって国家の支援者と見なされるにふさわしい兵士たちを全国民に知らしめるのは喜ばしいことだ。兵士諸君! ふさわしい季節になれば私は諸君の中に居ることになろう。そして欧州は諸君が勇敢な民族に所属していることを思い出すはずだ』。
 これが軍の状況だった。第一執政はすぐにライン方面軍とエルヴァシー方面軍をライン方面軍の名称の下に一つにまとめることを命じた。彼はブリュメール18日に於いてナポレオンに自分の全てを捧げる姿勢を見せたモロー将軍にその指揮権を与えた(注)。フランス兵はあらゆるものが欠乏していた。彼らの苦悩はかなりのものだった。冬の間は全てこの軍の徴兵、衣服の補充、未払い金の支払いに充てられた。オランダ方面軍からの分遣隊がメンツに振り向けられ、ライン方面軍はすぐに共和国がかつて持った軍の中で最も素晴らしいものの一つになった。兵力は15万人に達し、全て古参兵で構成されていた。

(注)モローは総裁政府の敵であり、それよりもさらにソシエテ・デュ・マネージュ[ジャコバン派のことか]の敵だった。ちょうど終わったばかりの戦役で彼が敗北のみを喫しており、チューリヒでスイスを、アルクマールで英国王の息子を降伏させることでオランダを救った将軍たちより低い評価しか受けていなかったにもかかわらず、彼はドイツ方面軍が作戦を行うであろう地域に通暁していたため、第一執政は彼に完全な信頼を置くことを決断し、彼を軍の長に据えた。


 以下、次回。

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