孤立社会とバンドワゴン

 Turchinがマルチレベル選択を支持していることは前にも何度も指摘している。彼のblogでも、例えばDown with the Selfish Genes!といったエントリーで進化論では通説となっている利己的遺伝子仮説を批判し、Cooperation in Humans: Is It Really ‘Strong Reciprocity’?では冒頭ではっきり自分がマルチレベル選択の熱心な支持者だと言明している。ピンカーを批判したblogについては邦訳もある
 個人的には、人間社会の進化を見るうえでマルチレベル選択があまり適切だと思えないことは指摘済み。大きな国ができあがるために対外紛争が常に寄与するとは限らず、むしろ勝ち馬に乗る者が増えた結果として大国が成立するケースもあることを述べた。Turchinがメタエトニー理論の論拠として示した欧州の分析を見ても、例外いささか苦しい事例があることは確かだ。メタエトニー的な状況が働く場面と働かない場面の双方があることを想定して理論を組み上げた方がいいように思う。要するにこちらのツイートと同意見である。
 それにマルチレベル選択の最大の問題は「どのレベルで自然選択が働くのか」が極めて恣意的に決められやすい点にある。生物学の分野でも「種の境界は時に、亜種やエコタイプなど様々な階層を含め非常に曖昧な場合が存在する」ことが指摘されており、マルチレベル選択と名乗るグループ選択の問題点となっているが、Turchinが唱える文化的マルチレベル選択になると、さらに恣意的にグループのレベルを決めざるを得ず、そこに理論としての一貫性の欠如が入り込みやすくなってしまう。
 分かりやすい例が「不和の時代」におけるエリート過剰生産とエリート内競争がもたらす内乱や革命だ(こちらのまとめ参照)。不和の時代になれば国家単位ではなく、国内で相争う党派単位での争いの方が中心になり、人々はむしろ国家を信用せずトライバリズムに基づいて行動する。Turchinはこの局面についてはGoldstoneの構造的人口動態理論(SDT)を使って説明をしており、マルチレベル選択を持ち出そうとはしていない。国家ではなく党派という「レベル」での選択が働くと考え、それに基づいた仮説を構築してもよさそうなものだが。
 それをしないのは、おそらくSDTに比べて説明能力が低いからだろう。ローマ帝国末期にはガリア帝国やパルミラ帝国といった「帝国内帝国」が出来上がる場面もあったのだが、それらの「帝国」は存続期間が短く、マルチレベル選択の結果として生まれたと主張しても説得力がないのだと思う。同じことは南北戦争時のアメリカ連合国についても言えるが、これらの「国家」をマルチレベル選択で生まれた他の「国家」とは別物と判断するための基準をTurchinがきちんと示しているわけではない。
 こうした事例は歴史上、枚挙にいとまがない。例えばチェコスロバキアだ。この国はマルチレベル選択の結果として生まれたのであり、現在はただの内紛状態にあると見なすべきなのか。それとも元々チェコとスロバキアという別のレベルにおいて選択が働いていたのだが、なぜか一時期その複数のレベルの国家が合体していた主張するのだろうか。あるいは百年戦争の頃に存在していたヴァロア=ブルゴーニュ家。フランス王家とは別個の政治判断で動き、時にはイングランドと手を組みさえした彼らを、果たしてマルチレベル選択の対象になる「国家」でなかったと断言してしまっていいのだろうか。
 こうした問題が生じるのは、「マルチレベル」という言い方でどのようなレベルでも選択が働くという主張ができてしまうのが根本的な理由だ。では具体的にどのレベルで働くのか、他のレベルではなくそのレベルで働くようになる理由は何か、そもそもグループ単位で選択を働かせる物理的なメカニズムは存在しているのか。そういった一連の問題から目を逸らし、聞き手にとって耳ざわりのいい(最近は誤用でなくなりつつある表現)主張をしているのが(ナイーブな)マルチレベル選択であるように思えてならない。
 他に説明方法がないのなら、欠陥があってもそうした仮説を唱える意味はある。だが自然選択については包括適応度という概念が存在するし、それを使えば個体の利他的行動、つまり「情けは人の為ならず」という行動をスマートに説明できる。文化的な選択の分野でも、こうした概念を応用すればいいだけの話ではなかろうか。グループが個人の包括適応度に及ぼすメリット、デメリットを考え、トータルでメリットが多ければグループに協力し、少なければ逃げ出す。そういった行動の総体が「国家」なるものだと考えた方が、恣意的なレベル判断をしなくて済む分だけ少ない説明原理で済む。
 もちろん、そういったメリット、デメリットの判断に際しては、「メタエトニー」的な要素も影響するだろう。敵対するグループが異質であるほど、自グループに協力するメンバーは増えるだろうし、逆に同質性が高ければ無理に抵抗するのではなく敵対グループという「勝ち馬に乗る」メンバーも増える。異国人や異なる宗派の政治勢力に支配された結果として酷い略奪を受けた三十年戦争後の各国政府は、負担が増えても自前で常備軍を揃える方向に舵を切った。一方戊辰戦争時の会津藩では利益を独占していたエリート以外は戦おうとせず、新政府軍という勝ち馬に簡単に転じた。これらの動きをマルチレベル選択で説明しようとすると恣意的なレベル選びを繰り返さざるを得ないが、包括適応度であれば単に「個々人がどちらの利益が大きいかを考えて行動した」の一言で済む。

 今回の本題は実はここから。以上のように包括適応度に基づく行動がグループの文化的進化をもたらすと考えた場合、各グループ内の個々人がTurchinの想定するように「アサビーヤの高い」行動をするか、それとも「バンドワゴン」に乗ろうとするかは、メンバー各人の利益によって異なってくる。そしてそのメンバーたちの利益を決める要因の中には、地理的な特徴、具体的に言えばより「孤立した」状態にあるかどうかも含まれるのではないか、という話だ。
 以前こちらでも指摘しているが、日本は情報を大陸から仕入れることが容易な程度には大陸に近いが、一方で簡単に攻め込まれるほど近いわけではない。このような攻め込みにくい地域では外圧が少なくなる分だけ、内部での利益争いが激しくなる(緩やかな内紛)。こうした環境下で成立した複雑な社会は、対外紛争の激しい地域に比べるとグループ内での利己的な行動が容認されやすくなるのではなかろうか。バンドワゴン寄りな社会ができやすくなるわけだ。
 日本だけでなく、他にも地理的に孤立しやすい地域であれば同じ傾向が存在し得るだろう。同じくバンドワゴン寄りではないかと言われている中国も、北方の遊牧民を除けば孤立感の強い地理的条件に囲まれている。そしてもう1つ、個人的に孤立している印象が強いのがエジプトだ。少なくとも古代においてエジプト以外の複雑な社会はスエズ地峡の反対側にしか存在せず、ナイル沿いに存在する古代エジプトは比較的孤立した状態で独立した政治勢力として長い時間を過ごした。
 彼らが最初に他の複雑な社会に征服されたのは紀元前7世紀のアッシリア支配の時だ。ただそれ以降、エジプトはむしろ外国からの支配の方が珍しくない時代に突入する。アケメネス朝からプトレマイオス朝、ローマ、イスラム勢力と次々に他地域から来た政治勢力の支配下に置かれるなか、言語までよそから来たものに置き換わっていった。かつて使われていたエジプト語は、今ではほぼ話者が存在しなくなっているという。
 これは、同じく古い歴史を持ち、同じくイスラム勢力に飲み込まれたイランでのペルシア語の現状と比べると非常に対照的だ。後者はまだ7000万人もの話者をかかえ、イランでは公用語となっている。この両言語の違いは両地域の住民たちの行動傾向の違いに、さらに遡るなら地理的な孤立度の違いに由来するのではなかろうか。
 イラン高原は昔から文明の通り道であり、数多くの帝国や遊牧民国家が成立しては滅んでいった。こうした争いが多く、よそから攻撃されやすい地域ではメンバーは自グループに協力した方がメリットが大きくなる。つまり高いアサビーヤを維持しやすい行動傾向が生まれるわけで、ペルシア語が残ったのもおそらくはそれが理由だろう。逆にバンドワゴン寄りだったエジプトでは、メンバーが勝ち馬に乗るのを厭わなかった結果、言語をアラブ語に変える流れがより強く現れた。ペルシア語話者がイスラム化してもアラブ語に抵抗したのに対し、エジプトでは「バスに乗り遅れるな」と考えた者が多かったのだと思う。
 つまりエジプトは、地理的孤立度が高い地域が他地域からの勢力に併合されると、急速に文化面でも変容するケースが起こり得る事例になるのではないか、と考えられる。もちろん常にそうなるわけではなく、例えば中国などはむしろそこを征服した王朝が中国化するのが一般的だったわけで、実際には個々のケースにおける各メンバーにとっての利害得失を考えなければならない。それでもこういう地理的特性を踏まえれば、エジプト語が姿を消してしまった理由の一端に説明がつくかもしれない。
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