1815年戦役本

 Pierre de Witの書いたThe Campaign of 1815、結局購入してしまった。現時点ではまだ1巻と2巻だけだが、予想通り実にマニアック。そして実に重い。物理的に。
 ……という話は前にも書いたのだが、その時に読んでいたGoldstoneの本よりも重いと思われる。というかページ数はGoldstone本(646ページ)の方がde Witの第1巻(554ページ)よりずっと分厚いはずなのに、実際の厚みを比べてみると後者が前者の1.5倍以上は確実にある。確かに前者はペーパーバックであるのに対して後者はハードカバーという違いはあるが、それだけで説明できるレベルをはるかに超えている。実際に触ってみてもde Witの本は1枚1枚の紙に厚みがあるのが感じられるほどで、長時間読んでいるとそれだけで疲れるレベルだ。
 なぜここまでご立派な装丁になっているのか。de Witが自らのサイトで販売しているのを見ても分かる通り、この本は自費出版である。そして自費出版本というのはしばしば豪勢な装丁を採用するものだ。要するに当人にとっては一種の記念品であるから、コストを下げて安っぽい本を作るよりも資金の足りる限りきっちりとしたものに仕上げたがる面があるのだと思う。もちろんこの本は自費出版によくある「自分の功績を自慢するための本」ではなく、もっと客観的な内容をまとめたものだが、当人の思い入れと資金次第でこういう書物になることも十分にあり得るだろう。
 そのあたりは序文(たった2ページしかない)の冒頭からも窺える。著者の1815年戦役に対する関心は、何と50年ほど前から始まっていたそうだ。最初は兵士のフィギュアからスタートし、1973年に読んだHowarthのA Near Run Thingと、その翌年に父親に連れていかれたワーテルローの戦場訪問によってより興味が増したという。当時筆者が何歳だったかは知らないが、オランダ人が普通に英語の本を読んでいることに驚く。いや確かにオランダでは英語が広く通じると言われてはいるけど。
 ちなみに私がワーテルロー関連についてある程度詳しい記述を読んだのはおそらく1980年代だったが、その頃には筆者はよりシステマチックにワーテルロー本を調べ始めていたそうだ(1982年から取り組んでいるという)。そしてすぐにこれらの書物が後知恵に毒されまくっていること、また関係するすべての国々の史料を使いこなしている本が存在しないことに気づき、1988年には自ら調査する方向に舵を切ったそうだ。Howarthの本を読んでから15年、ワーテルロー・インダストリー本を何冊も読めば否が応でも気づく問題ではあるとはいえ、まだインターネットもろくに普及していない時代に自分で調べようと決断するのは大したものではある。
 加えてやはり地の利があると言うべきだろう。オランダからならフランスも英国も近く、それぞれの地域の一次史料にアプローチするうえで距離的なハードルはそれほど高くない。ベルリンのアーカイヴはかなり損なわれているらしいが、古いドイツ語の書籍についても図書館などで探すうえでのハードルは日本などに比べればずっと低いだろう。生存者が残っている現代史の方が調べるうえで有利であることは前にも述べたが、地元史の方が遠い地域の歴史を調べるより有利という面もおそらく無視できない。
 そうやって調べた内容を、著者はこうした豪勢な本にまとめたわけだが、自身の人生50年分の調査内容を詰め込んだ本となれば思い入れも一入だろう。重たくなるのも仕方ない。けど読むのは大変。休み休みでないと腱鞘炎になりそうなくらいだ。

 内容は、まあとにかく詳しい。ワーテルロー戦役全体を実に10冊の本にするつもりだけはある。一応10冊目の地図集は50ページのみ、9冊目は非英語史料の原文紹介(それ以外の場所では英訳を載せている)となっているが、残る8巻は短くても300ページ弱。大半は400ページを超える量となっており、1ページ当たりの文字数もそこそこの多さだ。そして予想通りではあるが極端に脚注が多い。第1巻は1200を超える脚注がついているくらいで、さすがに1000を超える脚注は私も他に見た記憶がない。
 本の中には主に19世紀に撮影された戦場や戦役に関連する建物の画像などがいくつか掲載されている。既に今は姿を消している建物もあり、こうしたセピア色の画像は当時を思い起こさせる貴重な資料、という考えなのかもしれない。といっても写真そのものはこの本の中心ではもちろんなく、あくまで著者が調べ上げた各種の史料に基づく史実の探求こそが話の中心。そして大きなテーマの一つではないかと思わされるのが、これまでワーテルローについて語られてきた誤りや史実と思えない話の指摘にある。
 本文中にしばしば差し込まれるobservation、つまり筆者の所見や、脚注の前に入っているappendices、つまり付録部分にこうした「歴史に関する誤ったナラティブ」についての指摘が主に書かれている。逆に本文のところはおそらく事実と思われる出来事を淡々と記しているだけなので、読んでいても正直あまり面白くないかもしれない。まあそもそもこの本を買う人はナポレオニックファンの中でも病膏肓に入った人だろうから、そんなことは気にしないだろうけど。
 戦役に関する歴史叙述の問題点はこれまでも色々と指摘してきたし、その際にはde Witのサイトからの引用もたくさん入れた(こちらなど)。実際、50年をかけてシステマチックに調べてきただけのことはあって、de Witの調査内容は現時点で私がワーテルロー関連の中でも最も信用している。もちろんすべてに同意しているわけではなく、例えば第1巻に載っている戦役開始直前のフランス軍の行動について、de Witは早い段階からプロイセン軍を攻撃することをナポレオンは決めていたとしているが、読んでいる限り割と直前までプロイセン軍(シャルルロワ)ではなく英連合軍(モンス)を攻撃する可能性もあったんじゃないかと感じた。
 もちろん、単純に事実の指摘で面白かったところも多々ある。何より驚いたのが戦役開始の前日、6月14日にスールトが全部隊に発した行軍命令(第1巻、p336-340)だ。ナポレオンの書簡集第28巻にはこの行軍命令が原文(フランス語)で書かれているが、実に5ページちょっとに及ぶ分量(p281-286)となっており、要するに異様に長い、あまりに長すぎたため騎兵部隊の指揮官であったグルーシーが「長すぎて写しを渡せないので予備騎兵司令部まで見に来い」と部下のケレルマン、ミローに命じたほどだ(p342-343)。当時はコピー機など存在せず、手書きで文章を写し取っていたわけで、そうするにはあまりにも命令書が長すぎた。
 サンブルへの行軍に際しては全体の状況を伝える文章と、個別の部隊にどう動くべきかを指示する命令の両方が必要だったが、スールトが用意した文章は全体の状況を伝えるにはあまりに詳細すぎ、一方で個々の部隊が従う内容としてはあまりに不完全だった、とde Witは指摘している(p346)。単純に分量だけなら、例えば1794年にブオナパルテが記した作戦計画(ナポレオン書簡集第1巻のp33-41)などの方が長いが、この計画書は作戦について議論する会議用に準備された可能性が高く、翌日の移動について部下に伝える内容ではない。
 前にも書いているが、ナポレオンはスールトの参謀長としての能力は高く評価しているし、革命戦争中にマルソーやルフェーブルが参謀長のスールトを褒めている。だがこの14日の命令を見る限り、スールトの参謀長としての能力に疑問符をつける人が出てくるのもおかしくない気はする。ベルティエならこの行軍命令を分割し、各部隊によりシンプルな全体像と、具体的な行軍指示の両方を記した命令を個別に出していたのではなかろうか、と思いたくなる。
 もちろんこれらはスールトの不手際ではなく、単にそうした作業を行なう参謀たちの手が足りなかっただけかもしれない。やむを得ず取った措置だとしたら、それを理由にスールトを責めるのはいささか無理筋だろう。だとしてもまさに戦役が始まる直前というかなり大事なタイミングで、部下たちが把握するのに一苦労しなければならない命令が帝国司令部から発せられていた点は、この戦役の行く末に影を落とすものだった。
 組織をできるだけスムーズに動かすのが幕僚たちの役割であり、そのために必要な能力の1つが「簡にして要を得た」文章の作成だとしたら、この場面でフランス軍の幕僚たちにはその機能が不在だったことになる。ただしde Witも指摘しているのだが、プロイセン軍もこの時点で幕僚たちがうまく組織を回していたとは言えず、特に情報連絡において多くの問題を抱えていた。英連合軍においてもその点は完璧からは程遠かったが、相対的に一番マシだったのは彼らかもしれない。de Witのこの本を読む限り、戦争はやはりミスを最も減らした者に勝利の女神がほほ笑むように見える。
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