ぽりくら!

 このところ英語圏のメディアでちょこちょこ取り上げられているのがPolycrisisという用語だ。経済史が専門のAdam ToozeがFTに記事を書いたあたりから注目が集まってきたようだが、Tooze自身は今年の6月くらいからこの話題をblogで取り上げていた。で、FT以外にも他の媒体取り上げられる例がじわじわと出てきており、ちょっとしたバズワードっぽくなっている。
 Polycrisisとは、個々の問題点が相互に影響しあう結果として、それぞれの問題点の総和を超えるほどの大きな危機が訪れる、のではないかという考えらしい。blogで目を引く冒頭とその次に出てくる図を見ると分かるが、Toozeは様々な事象が他の事象に影響を及ぼし、それが時に危機やリスクを高める方向に働くと見ている。特に2つ目の図のうち、赤い枠で囲まれた部分が彼の注目しているところ。中にはCovidのように包括的な危機もあるし、米国内の政治対立などはそれよりは曖昧だ。核戦争の危機は他の事象の影響はほとんど受けないが、核戦争から他へ及ぼす影響は大きい。逆に世界的な飢餓の危機は他のリスクがそこへ行きつくことになりそうだが、最初に影響を受けるのが貧しく力のない国々であるため、そこから他の事象へと及ぶ影響は限定的になりそうだ。
 Toozeがトータルとして問題点の総和を超える危機が来ると想定しているのは、文中の表に書かれているマトリクスが理由。要するにこれらの事象は相互にエスカレーション、つまり正のフィードバックをもたらす可能性が高く、1つの危機が高まれば他の危機も増幅されると見ているためだ。確かに見たところ、エスカレーションするとToozeが判断しているのは25項目あるのに対し、逆に負のフィードバックが働くと予想している項目は7つにとどまっている。危機が個別に起きるのではなく、それが全体を巻き込んで大きな波になるかもしれないと彼が考える論拠はこのマトリクスにあるのだろう。
 だがこのマトリクスはかなり大雑把なものだし、矢印だらけの図についても、この手の「人物相関図」みたいなものが好きな人には刺さるのだろうが、それ自体が説得力のある論拠には見えない。実際、Polycrisisに対する反論を書いたNoah Smithは、図の細部について細かいツッコミを入れている。中国からロシアのガスボイコットに矢印がつながっているが、中国はロシアのガスをボイコットしていない。米国の内政からレンドリースに向けても矢印があるが、レンドリースは米国の内政が原因で決まったものではないし、現状ウクライナ支援は党派を超えたものとなっている。そして石油価格から気候問題へと伸びる矢印についても、むしろ石油価格が挙がってその消費が抑制されれば気候問題にはプラスのはずだ。
 同じことはおそらくマトリクスについても言える。Smithはむしろこうした個別の問題は互いに別の問題を打ち消すように働くのではないかとの見方を示しており、その場合事態はPolycrisisではなく、むしろPolysolutionにつながると書いている。中国の景気悪化は石油価格を下げて景気へのインフレの影響を抑制する。中間選挙ではToozeが懸念していたほどの共和党の圧勝にはならず、ロシアや中国といった外敵を相手に米国人が団結する可能性が出ている。ロシアのガス供給の減少は欧州でむしろ再生エネへのシフトを進め、それが気候変動を和らげるかもしれない。悪い方ばかりに正のフィードバックが働くという見方は果たして正しいのだろうか、むしろ逆境にあってこそ人々は互いに協力して問題を解決するように動くのではないか、というのがSmithの考えだ。
 実のところTooze自身、あくまでこの図はヒューリスティック的な使い方をするためのものだとblogの中でエクスキューズを入れている。要するに自分の頭を整理するため、ブレインストーミング的な使い方をするためのものにすぎず、この図から結論が出てくるとは思っていないのだろう。査読にかける予定の学術論文ではなく、blogの中で一つのアイデアを示す方法として使うのだから、それ自体には別に問題はない。またSmithの反論についてもToozeの見解同様、「それはあなたの意見ですよね」とツッコミを入れることは可能。どちらも具体的な論拠をほとんど示していない点は同じ(かろうじてSmithがグラフを1つ入れているくらい)だ。ちょっとした思考実験、の範疇なのだろう。

 だがそうとも言えないくらい熱気の入った言説も見られるようになっている。カナダのCascade Instituteが作っているPolycrisis Projectなどはその例だろう。例えばこちらのページなどではPolycrisisが単なる思考実験ではなく現実に存在しているという主張をやたらと強調しており、そうした問題のメカニズムを調べ、具体的に介入する手段を決めるための国際的な学術連携が必要だと訴えている。
 そのあたりについてまとめたディスカッション・ペーパーがWhat Is a Global Polycrisis?だ。そこではPolycrisisの調査が緊急に必要であり、過去の研究史を踏まえて次に何をすべきかといったことが書かれている、のだが、文中にはグラフは一切なく、概念図が1つと、システミック・リスクとの違いについて記した簡単な表が1つあるだけ。Polycrisisが実際に起きていることを実証する文章にしては、裏付けとなるデータが少なすぎるのではないかとの懸念が浮かぶ。
 そもそも本当に危機が増幅しているのかどうかがはっきりしていないし、またこの手の多元的複合的な危機が現代にしか起きていないという論拠がどこにあるのかも不明だ。足元で特に危機が増幅していないのであれば多数を巻き込まずにそうしたメカニズムに興味を持った研究者だけで調べればいいし、もし過去にそうした事例があるのなら現在進行形の危機よりもデータを集めやすい歴史上の事例を調べる方がおそらく明確なメカニズムが分かるだろう。将来の危機をアピールしたいのならそういう状況を確認したうえで行う方が、学術的にはより誠実な態度に見える。
 だがそうせずに、なぜ足元で危機感を煽り立てるような書き方をしているのだろうか。実のところこうした動き方は、学術よりもビジネス的なものに見える。ビジネスの世界では明確な傾向が見えるまで待球作戦を取るのは機会利益を見逃すのと同じことだ。相場の用語でいうなら「夢で買って現実で売る」のが儲けるために必要な行動。実際に企業が新ビジネスで儲け始めてからその株を買っても、それでは遅すぎるのだ。確実に稼ぐことができるビジネスだと分かってから参入しても、もうその分野はレッドオーシャンと化していて美味しい思いはできない。ビジネスを考えるなら、まだ海の物とも山の物とも分からない段階で投資を始め、先行者利得を狙わなければならない。
 Polycrisisという用語が、本当に危機をもたらすメカニズムを示す学術用語になるか、それとも単なる流行り言葉の一種として短期間で消費され忘れ去られていくのか、現時点で見通せる人はいないだろう。その段階で大声を上げてアピールするのは、つまり「夢で買う」意思があると表明しているのに等しい。もっと明確に言うなら「ここは俺が唾をつけた」と業界内に宣言している状態であり、犬がマーキングしているのとあまり変わらない。Polycrisisという現象が実際に起きているかどうかより、その言葉を使ってどれだけ仕事を生み出せるかの方に関心があるんじゃなかろうか、と思える段階だ。
 別に学者がそうした行動を取ってはいけない、などと堅苦しいことを言うつもりはない。残念ながら今の世の中は(特に人文系では)アカデミズムの世界でも生き残りが厳しくなっているし、正直言って学者といえどもセルフプロモーションの能力がないとなかなかつらい時代だ。Polycrisisで数十年とは言わないまでも数年でも食っていけるのなら御の字、と考える人がいても不思議はない。それに実際にPolycrisisのメカニズムが判明してそこから新たな学問分野が栄える可能性だってある。アカデミズムの世界以外でも、ほとんどの人はどの業種、どの職種が将来儲けを生むか分からないまま仕事や専門分野を探しているわけで、同じことが学者の世界でも行われているにすぎない。

 というわけで私も一応Polycrisisについて言及させてもらった(マーキング)。後でこの分野が発展したらこのエントリーにリンクを貼って色々と書くことにしよう。あと、実はTurchinもちゃっかりBlogの中でPolycrisisに言及している。本当にPolycrisisがあるのかどうかについては、目立つこと優先に見える現下の動きを取り上げようとする取り組みよりも、Turchinらが調べている歴史上のCrisisの方できちんとデータが出てくるかどうかに、まずは注目したい。
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