歴史の授業

 世界史講義録"http://www.geocities.jp/timeway/index.html"というサイトがある。高校世界史の授業について文章化したものらしいのだが、項目を見ていると19世紀中ごろまでで97回分の講義になっているうち、実に4回がフランス革命、さらに4回がナポレオンに当てられているのだ。もちろん、特定個人について述べているものとしては最長。さすが世界史こぼれ話風の本が出るとほぼ必ず表紙を飾る人物だけのことはある。最大の人気者と言えるだろう。
 ではその中身はどんなものなのだろうか。ざっと目を通して気になったところを以下に記しておく。別にケチをつけるのが狙いではなく、高校生相手にどういった内容の授業が行われているのかに興味があるからだ。

 第82回 ナポレオン1

「アンシャン=レジームのフランスです。将校になれるのは貴族だけ、平民は兵士と決まっていた」
 旧制度下でも平民出身の将校はいた。主に砲兵や工兵といった兵科が中心だったが、ブルジョワジーたちの社会的地位が上昇していたのに伴う現象。ナポレオンが幼年学校に入ったころには何代か前まで遡って貴族だった人物でないと将校向けの教育が受けられない制度が作られていたが、それはブルジョワの進出で将校の地位を奪われかけていた貧乏貴族を助けるために作られた仕組みだったという。

「ツーロンという港町を占領していたイギリス軍と王党派の反乱を撃退するという功績をあげ、25歳で少将に昇進」
 トゥーロン陥落は1793年なので、昇進した時は多分24歳。また、彼が昇進した地位はgeneral de brigadeであり、普通これは少将とは翻訳しない(准将との言い方が多い)。

「イタリアの民衆は、喜んでフランス軍を歓迎します」
 今号のナポレオン漫画に載っていたように、イタリアの民衆はフランス軍に対して反乱を起こし、力づくで鎮圧された。ちなみにナポレオンがイタリアに侵入する以前からフランス軍の侵入を歓迎しない他国の民衆は大勢いた(ベルギー、マインツなど)。「物資を現地調達できる」のも、民衆の自発的協力というより現地政府と軍事力を背景に結んだ協定のおかげであることは何度も指摘している。

 第83回 ナポレオン2

「ナポレオンはイギリス上陸作戦を実施する」
 海軍の失敗に終わった作戦をもって「上陸作戦」と呼ぶのなら実施したことになるが、実際にはナポレオンはトラファルガーの戦いより前に英国上陸を諦めて大陸側へと陸軍部隊を反攻させている。普通、上陸作戦といえば海陸共同作戦のことを言うのでは?

 第84回 ナポレオン3

「フランス軍がなぜ圧倒的に強かったのか」
「一番大きな原因は、フランス兵の士気の高さです」
 多くの兵が戦場へ向かった理由として士気の高さをあげるのはありかもしれないが、戦場で特にフランス兵だけが士気が高かったというのはどうだろうか。何より「フランス以外の兵士は全然戦う意欲はありません」というのは無理がありすぎ。連合軍の兵たちもしばしば勇敢に戦っている。

「フランス軍には、被占領地、被征服地の民衆の協力があったこと」
 決してそうとは言い切れないことは上に書いた通り。

「ナポレオンは軍の機動力を重視します。スピードです」
「フランス軍はなぜ早く移動できるのか。簡単です。兵士が走るのです」
 それは俗説。フランス人もただの人間なのだから、普段から走りっぱなしであれば疲労困憊し戦うどころではなくなる。軍隊の移動に影響を及ぼしたのは、むしろ軍隊に同行してその移動力を制限する要因となった各種の車両が少なかったことが理由だろう。その数の少なさも「何ヶ月分かの食糧を、荷車に積んで、ゴロゴロ引っ張っていく」というより、貴族士官たちが持ち運ぶ個人の荷物が減った方が要因として大きかったのではないかと思われる。ヴァン=クレヴェルトが書いているように、ナポレオン戦争以前も軍隊はしばしば現地調達をしていたからだ。もちろん、現地調達のやり方が前の時代よりも洗練されていたことによる速度アップも否定はできない。

 第85回 ナポレオン4

「ロシア農民も、協力的ではない」
 ナポレオンのロシア遠征開始時、最初に攻め込んだのはロシアというより元ポーランド領(正確にはリトアニア)である。ロシア領になったのはごく最近のことであり、彼らはむしろイタリア民衆よりも本気でナポレオンを解放軍と見なしていた可能性がある。最終的に失望した点はイタリア民衆と同じだが。

「60万ではじまったロシア遠征軍が5千になっているのです」
 数の取り方が出鱈目。そもそも60万人という数字自体に疑問が提示されているが、たとえこの数字が正しかったとしてもロシアに侵入した全部隊(60万人)と、最終的にロシアから撤退したときに中央軍に所属していた部隊のみ(5000人)を比べるのはおかしい。大陸軍の左翼と右翼を含めれば、もっと大勢の部隊がロシアから退却している。日本語文献によく見られる問題点だが。

「ワーテルローの戦い」
「ナポレオン率いるフランス軍の兵力は約10万。対する連合国はイギリス軍6万8千とプロイセン軍4万5千。総司令官はイギリスのウェリントン将軍です」
 これも数がなあ。フランス軍の数は論拠不明だし、イギリス軍というのは正確には英国・オランダ・ドイツ諸領邦連合軍。それにここで紹介されている連合軍の兵力はワーテルローの戦場にいた部隊だけで、ベルギーに展開している部隊数はそれよりずっと多かった。

「実はその二日前、6月16日に、リニーという場所で、フランス軍とプロイセン軍が戦いました」
 世界史の授業でリニーの戦いについて触れていること自体が驚きだ。

「これは、死を前にしたナポレオン最後の言葉。やっぱり、一番愛していたのはジョセフィーヌ?」
 これはモントロンのでっち上げという説もある。間違いないのは「フランス、軍の先頭」まで。

 以上、いろいろツッコミを入れさせてもらったが、全体的な感想としてはむしろ頑張って調べていると思われる。生徒たちに興味を持ってもらうべく、様々な本にあたったのだろう。普通に教科書をなぞるだけに比べれば随分と詳しい。フランス革命の部分にあるロベスピエール関連の記述(ロベスピエールが女性と関係したことがあるかどうかという研究まであるらしいが、結論は「なし」)などは少しやりすぎな気もするし、単に理解不足と思える問題点もあるが。
 それよりも問題なのは、やる気のある教師が調べようとする教科書以外の本の質が悪すぎることだろう。日本語で書かれたこの時代の本は、一部の翻訳本を除くと見るに耐えないものが多い。ナポレオンのような伝説まみれの人物の場合、伝説を横から縦に直しただけのようなものが大手を振ってまかり通っているのが現状だ。おそらく、こうした問題はこの時代固有のものとは言い切れないだろう。明治維新から150年近くも経過してなおこんなことを言うのも変な話だが、世界史に関するまともで基本的な文献の日本語訳を進めることがまだまだ必要なのかもしれない。

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