以前
こちら で紹介した
How Life Got This Way について、一通り目を通してみた。前にも述べた通り、この本は宇宙の誕生から足元に至るまでの歴史について、「対数」で区切りながら説明したものであり、どうやら筆者(米国のRed State=共和党支持の多い保守的な州出身)はこの話を一種のポピュラーサイエンス本としてまとめたかったようだ、逆に言うなら本人は決して専門家ではなく、あくまで専門家の知見をまとめ一般読者に伝えることに主眼を置いていると見られる。
この本は最初の章がいきなり「第10章」となっている。副題として
「第10の10乗章」 と書かれていることから分かる通り、今から遡って百億年単位、具体的には140億年ほど前から30億年前までの約100億年強の期間を対象としている。ここで話題になるのは当然ビッグバンによる宇宙の始まりがあり、粒子から物質や星が作られ、さらに太陽系で生命が生まれるまでの話が扱われている。盛りだくさんな章ではあり、また物理に関する話が多いため理系でないと読んでいてよくわからないところもあると思うが、とりあえずは簡潔にまとめられている。
続く第9章(しばらく前まで閲覧できていたが今は非公開になったようだ)が扱うのは、30億年前から3億年前までの期間。舞台は完全に地球に絞り込まれ、真核生物の誕生や有性生殖の登場、さらに単細胞生物から多細胞生物へと進み、一気に脊椎動物の四肢動物まで説明している。興味深いのはこの章で早々に「意識」の話題を取り上げている部分だろう。意識がいつ頃生まれたかについてはおそらく色々な説があると思うが、この筆者は最終的にヒトにまで至る様々な特徴が時間をかけて進化してきたと見ている。
第8章は3億年から3000万年前までの、中生代を挟んだ時期だ。中生代の前と後に大規模な絶滅があったことを説明し、またこの第8章の時期にヒトの歴史に影響を及ぼす石炭や石油が堆積したことにも触れている。しかし話の中心にいるのは我々の先祖である哺乳類だ。彼らの特徴として温血である点を挙げている(哺乳類だけの特徴ではないが)ほか、さらに大脳の新皮質についても説明している。前章における意識の話もそうだが、筆者が割と脳の機能に関心を持っている様子がうかがえる。
第7章は3000万年前から300万年前が対象だ。既に哺乳類の全盛期になっており、その中で前章で登場した霊長類がどのように進化してきたかを示すのがこの章の中心となっている。地球史の中でもあまり取り上げられない時代であるが、この時期にヒトは最終的にチンパンジーと枝分かれして独自の進化を始めている。といっても300万年前だとまだホモ属は生まれておらず、あくまでアウストラロピテクスなどの
ホミニン に関する説明までだ。また近縁の類人猿たちの行動から我々と共通する部分(内なる天使と悪魔)に関する言及もあり、おそらく進化論嫌いなアメリカの読者を想定したと思われる書きぶりになっている。
300万年前から30万年前(ホモ・サピエンスが登場した頃)までをカバーする第6章は、氷河期と重なる時代だ。
ミランコヴィッチ・サイクル のような気候変動をもたらすメカニズムの説明と並び、ホモ属の登場によって脳の容量が拡大した話などを交え、ヒトの本性の起源をこのあたりから説明している。持久狩猟や社会の構築、さらには発声についてまで言及しており、筆者が言語の起源についてもかなり早いと想定していることが分かる。
第5章、本の半分を過ぎたところで、ようやく主役であるホモ・サピエンスが登場する。話も完全に「解剖学的、遺伝学的現代人」に絞り込んでおり、ホモ・サピエンスがどうやって広まったか(筆者はホモ属は完全に別系統になったことはないと見ているが、それでもサピエンスの特徴を持つ者たちがネアンデルタール人やデニソワ人たちを消し去ったことは否定していない)、彼らの
行動における現代性 といったテーマについて言及している。特に宗教の起源についてはかなり詳しく、さすが「赤い州」の人間だと思わせるほどだ。
第4章からいよいよ歴史っぽい話が増えてくる。ただこの章からは正直それほど面白くない、割とオーソドックスな記述が増えてくるのが特徴。まずはアメリカ大陸へのホモ・サピエンスの移動について1節を割いているあたりはアメリカ人らしいし、農業の始まった地点(肥沃な三日月、中国、メソアメリカ、アンデスの4ヶ所を紹介)、あるいは文明の起源(普通に四大文明を紹介)など、言及している切り口がちょっと、というかかなり凡庸。例えば
Morrisのように東洋と西洋に分ける といった切り口でもあれば面白いだろうが、残念ながらそうした観点での記述はほとんどない。
第3章、つまり3000年前から300年前の記述になると、さらに話がつまらなくなってくる。まずは宗教を大きく取り上げるのだが、
Turchinらの研究 を読んでいると宗教は複雑な社会の1つの側面にすぎないはずだ。筆者は無神論的な観点が重要だと言っているのだが、その割に宗教へのこだわりが強い。またギリシャ・ローマについて1節を立てた一方、中国やインドはまとめて紹介するなど、これまた昔からのユーロセントリックな歴史観がはっきりと出ている。要するに無自覚な「西から目線」が強く感じられるのだ。
東洋の方に勢いがあった中世を1節で終わらせ、ユーラシア外のアフリカやアメリカなどについても1節で駆け足の紹介に終わる(何も紹介しないよりはマシだが)一方、ルネサンス以降の欧州しは妙に細かく紹介している。個人的にルネサンスはあくまで欧州ローカルな
「中世の秋」 であり、欧州の存在感が増えるのは大航海時代以降だと思っているので、このありふれた歴史観は読んでいてつらい。また啓蒙思想についても1節を使って説明しているのは、足元へと至る世俗的啓蒙の重要性を踏まえた記述なんだろうが、それも含めてやはり欧米的な関心に沿った記述の度合いが高い。
第2章の時代(300年前から30年前)は圧倒的に欧米中心の時代なのでそちらの記述が増えるのは仕方ないが、それにしてもこの章の偏りも凄い。アメリカ独立戦争やフランス革命、産業革命、2つの世界大戦と来て、最後には現代文化に触れているのだが、使われている画像がいきなりビートルズなあたり、やはり筆者の視点がどこにあるかが明白に分かる章だ。欧米以外はあくまでヒトの歴史における傍流、あるいは客体といった印象が強く存在する書き方がずっと続いている。
そして第1章。直近30年間の、つまりソ連の崩壊から足元までの歴史をカバーしているこの章では、真っ先にウェブやモバイル端末といった技術を紹介し、続いて現在の世界が米ソから米ロ欧中の4極になったと指摘している(個人的にはロシアを過大評価しすぎだと思う)。さらにはLGBTの話や世代論、アイデンティティ・ポリティクス、陰謀論の隆盛といった最近の話題をいくつか取り上げ、現代の読者の関心に刺さりそうな切り口をいくつか並べる形で話を終わらせている。
ビッグバンから現代までを取り上げるという意味ではビッグヒストリーの取り組みになるはずだが、あくまで専門家ではない人間がやっているためか、個々の逸話はおそらくオーソドックスなものが多いのだろう。知っている人が少ない化石類人猿やホミニンに関する話はそれなりに興味深いが、文章が残っている歴史時代に入ったとたんにつまらなくなっていくのは、そうした紹介の仕方をしている以上、避けられない結果。普通のアメリカ人(赤い州出身)が歴史をどのような視点で見ているかを知る上では参考になるが、歴史叙述そのものが面白いと感じることはあまりなかった。
というより、筆者はおそらく自分と同じ赤い州出身者に、もう少し広い視点で歴史を見てもらえるような本を作りたかった、ように思える。彼らに本を手に取らせるには、彼らが理解できるような歴史叙述をしなければならない。歴史時代に入ったとたん「西から目線」の記述だらけになるのは、吉良邸討ち入りで陣太鼓が鳴るように、あるいは安宅関で勧進帳を読み上げるように、そうした「お決まり」を入れておかないと、想定している読者に届かないからではなかろうか。もちろん本人自身の歴史観もそうした視点にかなり固定されている可能性はあるし、どちらにせよビッグヒストリーならではの新しい視点を期待して読むと落胆することになる。
では読む意味はないのか。そんなことはない。少なくとも筆者は調べた文献については細かい脚注を多数記しており、これを見るだけでもおそらく参考になると思う(
空引用 でなければ、だが)。また記述が少ないとはいえ、欧州外、ユーラシア外についても多少は触れているので、基礎的な情報を知りたければそこに当たることはできるだろう。おそらくwikipediaで済む程度の情報量だと思うけど。
最後にもう一つ、残念な点を。筆者は第1章の最後で、現代を「発見の黄金時代」と称している。残念ながら
前に紹介した論文 が正しいのなら、今は「発見の黄金時代の終わり」になるはずだ。どのような狙いで筆者が読者に期待を持たせるような締めを採用したのかは分からないが、個人的にはそこまで楽観的な気分にはなれない。
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