おねがいダーウィン

 モテるために必要なことはすべてダーウィンが教えてくれた読了。こちらの本の題名をパロった、実にしょうもない邦題ではあるが、今の時代この程度の題名はありふれているのでいちいち目くじらを立てる必要もないんだろう。
 帯にある通り、この本の立ち位置は進化心理学の知見を実体験で検証することで、机上の空論ではない数々の使える「モテのアドバイス」を提案する、というものだ。ということは実際にそこで出てくる主張の論拠になる論文や本が色々と紹介されているのだろう、と期待して読んだら肩透かし。その手の脚注らしきものは全然見当たらない。原著にそういうものが入っていたのかどうかは分からないが、少なくとも邦訳ではそういった一般読者から無視されそうな部分は見当たらない。そもそもこの本、あとがきを読むと全訳ではないことが分かる。米国ならではの恋愛ノウハウ的な部分を削ったためだそうで、それも含めてノウハウ本のテンプレートに忠実に作られているのが分かる。
 このため、面白そうな話なのに論拠がさっぱり分からないという、読んでいて欲求不満が募る場面が出てくる。この本によればヒトの言語は50万年前くらいに生まれたとあるのだが、これはいったいどのような研究に基づく主張なのか、この本を読んでも全く分からないのだ。例えばこちらの文章だと「10万年」という数字は出てくるが、50万年前に言語が生まれた説の論拠ではなさそう。もちろん、そういった学術的観点で読まれる本ではないのだからソースを示す脚注などは不要、という考えもあるだろうが、ではこの本に書かれていることがどこまで「進化心理学」的に信用できるかを判断したくなっても、その手掛かりがない。本の中で色々と批判されている科学的論拠のないモテ術とこの本が本当に一線を画しているのかどうか、読者には調べる手立てがないのだ。
 別に論拠などには興味はない、モテるのに役立てばそれでいいのだ、という読者もいるだろう。でもそれって、論拠不明で役に立たないモテ本を読んで失敗したり遠回りしたりするのと、基本的に同じ行動を取っていることにならないだろうか。この手のノウハウ本を買うのは、本当に確実にモテたい、見当違いなノウハウ本を読まされて非効率な努力をしたくない、と思っている読者が中心だろう。いやもちろん、敢えて見当違いな言い分を読んで娯楽として暇つぶしをしたいという悪趣味な読者もいないわけではなかろうが、そういうディープな楽しみ方をするのは少数派だと思う。この本が本当に「進化心理学が教える最強の恋愛戦略」を教えているという証拠が見当たらないのに、この本を信じてモテるために購入する人がいたら、ぜひそのあたりを聞いてみたい。

 とまあ最初に嫌味から入らせてもらったが、ここでは一応この本が看板通り「進化心理学」に則って書いているものと仮定して読んでいこう。興味深いことに、オスがメスから選ばれる方法として「力」「だまし」「買収」「誠実な努力」という4つの方法があると示したうえで、この本では原則「誠実な努力」に焦点を絞ってモテるための方法を説いている。もし本気で「進化心理学」のみに依拠しようとするのなら他の3つの方法についても解説するのが筋のような気もするが、そうしたアプローチは取らない。何しろ最初に示すモテの5原則の中に「正直であること(自分自身にも相手にも)」を入れているくらいで、要するに他の方法は不適切と考えている節がある。
 大きな理由は、これが現代の米国という先進国で求められる「モテ」だからだろう。今の時代、力で女性を手に入れるような方法はほぼ成立しない。だましや買収は使えない手ではないかもしれないが、長期的には自分自身も含めて望ましくない結果がもたらされやすい。先進国でパートナーを手に入れるには「正直で倫理的なアプローチが長期的に見て一番効果がある」のはおそらく確かだし、両者がウィンウィンの関係になるのを目指すというもう1つの原則もその通りだろう。もちろん、これ場所がサブサハラ・アフリカだったり、いまだに名誉殺人が行われる南アジアや西アジアでは話が違ってくるかもしれない。
 これもまた世俗的啓蒙が包括適応度の向上につながっている結果なんだろう。だましや買収といった、一見すると現代米国でもまだ使えそうに見える手法を否定しているあたり、産業化以降の道徳を前提としたモテ術と考えることもできそう。要するにトータルとして見れば誠実な努力の方が、望ましい人生やいいパートナーとの出会い(要は高い包括適応度)にたどり着く最も確実なルート、という視点が窺える。このあたりはどこまで事実なのか、それとも現代的価値観に由来する著者らの主観的主張なのか、そのあたりをできればデータで示してほしかったが、ノウハウ本にそうした期待をするのは無理なんだろう。
 そのうえでこの本はモテる要素を備え、それをシグナルとして発信するためのノウハウを述べている。モテ要素の基本は優秀な遺伝子を持ち、よきパートナーとなり、よき父親になれることだ。そのために具体的には身体の健康、メンタルヘルス、賢さ、意志力、そして最後に局面に応じて発揮されるやさしさと男らしさを備えねばならない。この時点で正直言ってかなりハードルが高そうに見えるし、実際に高いんだろう。でも「高いハードルを頑張って超えろ」ではノウハウ本としては売れない。「高そうに見えるが案外簡単に超えられるんだぜ」という論調にしないと、読者はついてこない。
 そこでこの本が使うのが「睡眠・栄養・運動」だ。身体の健康にシックスパックの腹筋は必須ではない。十分な睡眠を取り、栄養のバランスに気を使い、そして適切な運動をする。そうすれば身体だけでなくメンタルの健康にも効果があるし、意志力を鍛えるのにも役に立つ。遺伝の影響が大きい賢さにだって一定のプラスが期待できるほどだ。さすがにやさしさと男らしさの部分までこの3つを繰り返すことはないが、とにかくそういう基本的な生活の質向上に役立つ取り組みを地道に続けることの大切さを何度も何度も書いている。
 そしてモテのシグナルを発信する方法だ。札束を見せびらかすとか、筋肉を誇示するといった単純な方法ではなく、もっと総合的な見せ方の重要性を説いている。社会的に人気や名誉があることを示し、物質的にはお金を貯め込むのではなくその使い方を見せ、身だしなみを整え、時にロマンチックな行為にも踏み込む。シグナルというと動物による求愛行動みたいなものを思い浮かべるが、何か特定の行為というよりも、幅広く自分の持つ(遺伝子、パートナー、父親としての)価値をアピールしていくことが大切だと言っている。
 本の最後の方では、具体的な恋愛マーケットとしてどの「出会い市場」を狙うべきか告げ、さらにモテるようになったら今度は女性との関係をどう切るかも考えろと記している。最後にこうした話を書いているあたり、この本に従えば間違いなくモテるようになると暗に示唆しているとも読める。もちろんノウハウ本の書き方としてはこれでいいんだろう。
 だが本当にこの本を読めば全ての男性がモテるようになるのかと言われると、個人的にはそんなに簡単ではなかろうと思う。身体やメンタルの健康は、確かに努力でカバーできる部分もあるが、一方でどうにも手の及ばない部分もおそらくある。人によっては誠実な努力をしても平均以下にしかなれない者もいるだろう。意志力についても同じで、これも人によって達成できるレベルには違いがあるのは否定できない。まして賢さのように遺伝の影響が大きいものはそう簡単に逆境を覆せるとも思えないし、やさしさはともかく男らしさのためには護身術や総合格闘技が役に立つと言われても、そう簡単にできない者もいるだろう。
 しかもそうやって誠実に積み上げればかならず出会い市場で頂点に到達できる、などとは一言も書いていない。いやそれどころか、現代の恋愛マーケットでは、まずいい男といい女(パートナーとしての価値が高い男女)がカップルになって市場から退場してしまうことを指摘。だから「出会い市場に残った自分と同等の価値を持つ女性で満足すべきなのだ」と、冷たく宣告しているのがこの本だ。お前はほどほどなんだからほどほどの相手で妥協しろ、「モテないカップルでも、スーパーカップルと同じくらい子づくりを楽しむことができる」のだから、と言わんばかりの書き方だ。
 こちらで紹介したように、過去の英国の歴史を見ると両親の教育度合いの遺伝子型の相関はかなり高かった、という話がある。当時と現代米国とではパートナーに求める資質はもしかしたら少し違っているかもしれないが、それでも互いに釣り合いの取れる相手と結婚するパターンは、昔だけでなく今でも同じ、と解釈できる。もちろんモテるための努力をしなければその「釣り合いの取れる相手」にすら手が届かなくなる可能性があるだろうから、誠実な努力に意味がないとは言わない。これも一種の赤の女王のようなものだろう。
 ただ、最適な出会い市場を選ぶための原則の部分には、なお釣り合い以上を狙うことができそうな方法が記されている。女性の数が多く、男性比率が低く、自分の年齢を武器にできる場所、自分の特性を生かせる場所などを考え、自分にとって需給の都合がいい街で出会いを求めれば、モテを手にすることができる、かもしれない。でもこの手が通じるのは、都市が各地に分散している米国のような地域に限られそうな気もする。日本のような一極集中の国だと、東京とその他の2つくらいしか選択肢がなく、それほど工夫の余地もない、というオチが待っていそうな気もする。なかなか大変だ。
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