翼よ、あれがGDPだ

 ロシアがヘルソン市を含むドニプロ左岸から撤収しそうだ、という話がここしばらく出回っている。住民にドニプロ右岸へ移動しろとの話が出ているそうで、中には1793年にトゥーロンから逃げ出した反革命派のような(分かりにくいたとえだが、フランス革命中に英海軍を導きいれたトゥーロンが革命軍の手に落ちた時に、反革命派の住民1万5000人弱が英艦隊と一緒に逃げ出したと言われている)親ロシア派もいるんだろうが、強制的に移動させられている人もいるように思われるところが実にロシア的、というか古いユーラシア的だ。ネブカドネザルかよ
 ISWによるとロシアは破壊された橋の傍に舟橋を設置し、それを使って撤退するのではないかと見られているようだ。またカホフカ水力発電のダムを破壊し、あたりを水没させることで退却時の防衛に使おうとする動きもあるという。ついでにダムの破壊をもくろんでいるのはウクライナだという偽旗作戦も展開しているそうだが、まあロシア人と陰謀論者以外は誰も信じていないだろう。面白いのは(いやあまり面白いわけではないが)彼らが将校団を逃がす一方で新たに動員された兵を左岸に残しているという話で、本当に末期日本軍的な動きである。
 もちろん未経験な兵士を前線にばら撒いたところで効果がないのは分かり切った話であり、当然ISWもこのままウクライナが攻撃に出るとむしろロシアの敗走を促すだけではないかと指摘している。ある軍事ブロガーは第一線の部隊を退却させるのは事実上不可能であり、残された問題はそれ以外をどう撤退させ、かつその撤退をどう国民に説明するかだ、と指摘しているそうだ。前にも書いたが、ヘルソンのドニプロ左岸はウクライナにとっての「ゴキブリホイホイ」として機能していたわけで、最後までその効果を発揮し続けそうな勢い。もちろんここからロシアが逃げ出してしまうのは軍事的に言えば残念なところだが、政治的にはウクライナの勝利になることを考えるならそちらが優先、ということだろう。

 一方、中国では習近平の3期目が決まり、さらに彼の側近で指導部が固められ独裁体制が強化された。ただ最近の中国はゼロコロナ政策の問題やら成長率の低下やらで指導部の評価が低下しており、「ダメ監督説」も出てきている。そういやNoah Smithも習近平は指導者として世間で言われているほど有能じゃないと言っていた。加えて最近は米国が中国の半導体製造業界で働く米国人に対して、即座に退職するか米国籍を放棄するかを迫っているとの話もあり、もしかしたらハイテク分野で戦略的に中国を締め上げようとしているのかもしれない。
 プーチンや習近平らの威勢はいいが効果に乏しい強硬姿勢を見る限り、確かに彼らを有能と見なすのは難しい気がする。なぜ彼らはあんな行動を取ったのかについて、例えば中国が自分のプロパガンダを信じ込んでしまったという指摘がある。実際には中国が覇権を取るという論評は西側でもよく出回っていたので、「自分たち」のプロパガンダだけでもなさそうではあるが、判断ミスなのは指摘の通り。またロシアにしてもクリミア併合などせずに硬軟両方を組み合わせて行動していれば、今でもウクライナはまとまりを欠き、西側も結束していなかっただろう。彼らが本当の意味での狡猾さを欠いていたと言われれば、そうかもしれないという気になる。
 でもそれだけでもないかもしれない。彼ら自身はそこまで無能ではなく、もっと融和的な方法を織り交ぜながら対応した方がトータルではプラスになると理解していたかもしれない。あるいは彼ら自身でなく他の政治家は理解していたけど、それぞれの国内の政治情勢のために彼らに権力を握られてしまったのかもしれない。「かもしれない」だらけだが、そう思いたくなる理由はある。Smithが書いているAuthoritarians are not governing effectivelyというエントリー内で紹介されている論文がその論拠だ。

 Luis Martinezの書いたこの論文の題名はHow Much Should We Trust the Dictator’s GDP Estimates?というもの。衛星から観測した夜間の光量と、表に向けて発表されている各国のGDPとを比較し、それぞれの政治体制ごとに光量から推定される実際のGDPと表向きのGDPにどのくらいの格差があるかを調べた、という実に意地の悪い研究である。そしてその結果もなかなか意地の悪いものとなっている。
 SmithはEconomist誌に載ったこの論文の解説記事から分かりやすいグラフを引用しているが、見ての通り自由主義国家では想定1人当たりGDPと報告GDPにほとんど格差がない。だが部分的に自由な国家の場合にはこの格差が広がり、自由でない国になると実際のGDPに比べて報告GDPが実に倍の差がついている。さらに細かくはこちらのツイートに載っているグラフが参考になるだろう。最近20年間の成長率を見ると中国では両者の差がほぼ倍に広がっており、ロシアでは1.5倍くらいとなっている。
 このデータが事実なら、中国はいずれ米国を追い抜くどころかやっと日本を追い抜いたばかりであり、人口が減り始めることを考えるなら将来的にも米国を抜けるかどうか怪しい、という結論になる。まして1人当たりのGDPで言えば中進国の罠に嵌る可能性がかなり高いと言えそう。ロシアにいたっては韓国より下どころかもっと小さいわけで、いよいよ大きな北朝鮮化がリアルに思えてくる状態だ。
 Smithはこういった権威主義体制を擁護する人々がしばしば「ムッソリーニは列車を定刻通りに動かした」と主張することを紹介し、実際にはムッソリーニは定刻通りに動かすことはできず、単に豪華な駅を作っただけだと指摘している。そのうえで彼はこうした権威主義国家の独裁者たちを「ムッソリーニもどき」と呼び、「癇癪を起し、人の顔をブーツで踏みつけるのは、列車を定刻通りに動かすより簡単だが、そこには未来はない」と締めくくっている。
 Smithのエントリーは権威主義体制の問題点を指摘するものであるが、同時にそこから「彼らがなぜ今になって慌てだしているのか」を推測する材料としても使えそうだ。要するに彼らは、表向きのGDPという建前と実態とを乖離させすぎたのだと思う。権威主義国家に生きている者たちにとって、表面的な数字は最初は自分たちを鼓舞する効果も持っていたのだろう。だがそれが実態と離れすぎれば、もはやそうした効果は失われ、逆に期待と現実の落差に不満を抱く流れが生じる。そうした不満の増大はSDTによれば対抗エリートを強めることにつながり、エリート内競争を激化させる。
 権威主義国家でエリートが威勢のいいことを言い始めたのは(あるいは威勢のいいことを言うエリートが権力を握るようになったのは)、民主主義国と同じ「大衆の困窮化」「期待と現実の落差」といった現象が起きているから、と考えてもおかしくないんじゃなかろうか。結果として反習近平派は権力中枢から排除され、ロシアではオリガルヒが次々と不審な死を遂げている。彼らは偽のGDPという「自分たちのプロパガンダ」を信じ込んだ大衆を前に引っ込みがつかなくなった結果、実態のない大国に実態を持たせるための一か八かの手法として強硬姿勢に走った、のではなかろうか。
 一度そうした姿勢を取った権威主義国家の権力者たちには、もはや退路はない。弱気な姿勢を見せれば、国内の他の対抗エリートが彼らの寝首を掻きに来るからだ。というか実際にロシアではワグナーグループのプリゴジンがクレムリンの意向を無視して勝手に防衛線を敷き、そうすることでロシアのナショナリストたちを煽り立てている。だがそもそもそれだけの底力がないのに大国を目指した冒険的手法に出るのは、ほとんどの場合破滅への道筋である。私がプリゴジンならむしろロシアの戦争からどうやってうまく逃げ出すかを考えるところだが、権力闘争で視野が狭くなった人間はその程度の判断力すら失う、ということなんだろう。
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