橋爆破

 ウクライナではクリミア大橋が爆破された。ロシア本土とクリミアをつなぐこの橋は、実際には道路橋と鉄道橋が並んでいるもので、映像を見る限り鉄道橋では貨物の炎上が起きていたのに対し、道路橋は橋げたが落ちている。後者はどうやら4車線のうち2車線がおよそ250メートルの長さにわたって損害を受けているようだ。
 英国防省によると、道路橋は残る2車線を使って輸送を再開するのは可能だがその能力は大きく低下する見通しであり、鉄道橋はもし何か深刻な混乱を被っていた場合、既に大きな負荷がかかっているウクライナ南部を支える能力に大きな影響を及ぼすという。鉄道は侵攻中、重い軍事車両を南部戦線に送る役割を担っており、確かにその機能が低下すればロシア軍にとっては困ったことになりそうだ。
 面白いのは、この橋の爆破がプーチンの70歳の誕生日が過ぎた直後に起きただけでなく、彼自身に色々なダメージを及ぼすという指摘。どうやら彼はこの橋に個人的に出資し、その建設を請け負ったのは幼馴染で、またこの橋は安全だと公に確認していたロシアの指揮官はプーチンのかつてのボディガードだという。縁故主義極まれりな話だが、その橋をまともに守り切れなかったあたり、ロシアという体制の問題点を象徴する事例になるのかもしれない。
 ISWもこの件について言及している。そこでもロシア側の連絡線は完全に破壊されたわけではないが、しばらくの間ロシアの兵站における摩擦が増えそうだ、と指摘している。鉄道は既に動いているし、損害を受けた道路橋のうえを人が移動している動画もある。それでも機能の低下に伴い、いくらかのロシア戦力はフェリーに頼らざるを得ないだろうし、他のルートを使う必要も出てきそうだ。
 実際、ロシア軍が橋ではなく陸路や海路を使って補給する方針を示したとの記事も出ている。侵攻を通じウクライナ南部を占領していてよかったね、という話になりそうだが、どうもそう簡単ではない。少なくとも鉄道について言うならノーバカホフカまでしか直結していないそうで、ヘルソンへ物資を輸送するにはいったんクリミアまで南下する必要があるという。
 ノーバカホフカまでの鉄路も大半が単線で、輸送能力は低そうだ。加えて重要な結節点のいくつかが前線近くにあり、ウクライナ軍の攻撃対象になりやすい。ドンバス地方で戦線のすぐ背後を通っている部分もあり、そう簡単に補給路の変更というわけにもいかなさそうに見える。鉄道ではなく道路を使えばいいとの意見もあるだろうが、元々ロシア軍のトラック輸送能力の低さは侵攻当初から折り紙付きだ。
 だだっ広いウクライナでは鉄道の輸送能力はかなり重要に見える。少なくともロシア軍は鉄道での補給が無理とわかったとたんにイジュームを放棄しているし、逆にウクライナ軍がリマンの奪取に動いた大きな理由はドンバス方面に延びる鉄道路線を開通させて補給を楽にする狙いがあったとも言われている。クリミア大橋が破壊された同じ日にはイロヴァイスクの鉄道分岐点でも爆発が起きており、相変わらず兵站が重要な目標となっている様子がうかがえる。
 正直、改めて地図を見るとクリミア大橋が復旧したとしてもロシア軍のウクライナ南部への補給路がものすごく遠回りな点に変わりはない。前にも紹介した通りモスクワがロシアの重要な物流結節点なのだとしたら、補給面から見ればクリミアやヘルソンはものすごく面倒くさい場所。むしろドンバスの方が比較的楽に補給できるんじゃなかろうか。以前からロシア人はマゾヒストではないかと何度か書いているが、兵站が最も苦しいヘルソンに主力を集めているあたり、もしかしたらロシア軍、いやロシア政府自体がマゾヒストなのかもしれない。
 そのヘルソンでは北部でウクライナ軍が反攻に出てロシア軍をかなり後退させた。その過程ではハルキウ戦線なみに急進撃をする場面もあったようで、せっかく主力を集めたこちらでもロシア軍があまりうまく回っていないことが分かる。以前から述べている通り、たとえクリミア大橋が機能していてもドニプロ右岸は兵站面で見ると極めて厳しい場所であり、どれだけ精鋭を集めていてもその実力を発揮しにくい場所だ。それでもそこを放棄できないあたり、ロシア軍にとっては不幸と言える。
 そもそもヘルソン地域のロシア軍もまた、ハルキウ方面での第4戦車師団同様にその能力が低下しているという指摘もある。侵攻前はロシアでもエリート部隊と思われていた第76親衛空挺師団はウクライナの反攻を支えきれず後退した。リマンにいた第144自動車化ライフル師団も同様で、初期に失われたいくつかのエリート部隊をはじめロシア軍全体の質の低下が窺えるもよう。動員された兵がいきなり最前線で捕虜になっているという話も含め、本当に兵士が足りてないと思わせる話だ。一方のウクライナでは戦車部隊の半数以上がロシアから供給された装備になっているそうで、自軍を弱体化させ敵を強化するという歴史上でも珍しい事態が進展している。

 そうやって戦争を支えるピラミッドの基盤が崩れていく一方、ロシア軍上層部は政府も巻き込んだ政争に忙殺されているようだ。ロシアの情報空間について分析しているISWは、そこに軍事ブロガー、元軍人、シロビキという3つの派閥が存在していると指摘。最初の面々が戦争支持のプロパガンダを、2つ目が動員キャンペーン支援を、シロビキが戦場での戦闘力を供給しているため、プーチンは彼ら全員の支持を必要としている。だがウクライナの失敗と動員の混乱とが彼らの不満をかき立てているようで、プーチンは彼らをなだめるのに四苦八苦しているようだ。
 特によく名前が出てくるのはチェチェンの独裁者カディロフと、ワグナーグループを作ったプリゴジン。彼らが主に攻撃対象としているのがロシア軍中央軍管区の司令官ラピンや国防相ショイグなどで、シロビキたちもそれに便乗している。一方、軍事ブロガーたちはラピンを擁護しているそうで、プーチンはこの情報空間における「世論」の流れを見ながら、足元の失敗の責任を負わせる人身御供を誰にするか考えている真っ最中、というのがISWの分析だ。カディロフを上級大将に任命したのも、彼の軍事的能力とは関係なく政争がらみの判断で行っているのだろう。
 しかしイジューム、リマン、ヘルソンでの戦線の後退と、動員の混乱、さらに今回のクリミア大橋の爆破まで不手際が相次いだためか、非難の対象はロシア軍だけでなくプーチン本人にも向き始めている。巡洋艦モスクワの沈没やクリミアの飛行場攻撃の時に、ロシアはウクライナを名指しした批判を控えていた。今回もクレムリンは当初、ウクライナへの直接批判をしなかったのだが、軍事ブロガーたちはこの対応を「大統領自身の弱さ」と見なしているようだ。クリミア大橋の破壊はレッドラインを超えることを意味する、と言っていたくせに何もしないのでは舐められる、というマフィア的思考だろう。トップがマフィアだから下もそうなる。プーチンが後になって「橋の爆破はウクライナのテロ」と非難したのも、手下に舐められたら首が危ないという危機感が理由ではなかろうか。無差別な都市部へのミサイル攻撃でこの手の不満を鎮められるという判断も、チンピラ相手ならではだ。
 一方、末端の兵士たちは冬服もなく、酷い場合は指示すら与えられていない。外から見ていると、こんな時に何をくだらない内紛をしているのか、足元に火がついているのに見えないふりをしていると思えてならないのだが、もしかしたら体制末期というのはこういうものかもしれない。先が見える人間はさっさと逃げ出し、欲にまみれた人間はどさくさ紛れに権力が手に入るのではないかと期待して上の足を引っ張る。もちろんここまでの戦争を見てもトップが無能なのは間違いないが、たとえトップを引きずりおろしても、末端まで腐っている現状を踏まえるなら事態は改善しないだろう。
 つまり、ロシアという仕組みそのものを守る気のある人がそれだけ少なくなっている、のかもしれない。混乱の中で自分の利益を増やすことには熱心だが、全体の利益はどうなろうと構わない、というのが本音の人間がかなり混じっているんじゃなかろうか。アサビーヤが低下し、利他的行動(囚人のジレンマにおける協力)によってグループ全体を繁栄させるより、利己的行動(裏切り)を取る方が合理的な局面が到来した、と判断している人が、それだけ増えている可能性がある。
 そういう人が一定数を超えた時に社会は崩壊する、のだろう。今のロシアがその段階にまで至っているかどうかは分からないが、例えば財政面での苦境など、そう思いたくなる情報がちょくちょく出てくるようになっている。ここから態勢を立て直すにはエリート自身が率先して犠牲を払う必要があると思われるが、さてロシアのエリートたちにそのような行動は取れるだろうか。

 あとはいつもの大喜利。クリミア大橋が爆破されるという派手な絵面もあってツイッターもにぎやかだ。
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