動乱のイラン

 ウクライナ戦争が続く中、世界の各地で不穏さが増している。例えば民主主義国の人口が世界の3割未満になったという記事の中では、国連でのウクライナを巡る投票でウクライナ側に立つ投票数が右肩下がりの傾向にあり、特にアフリカ諸国でその傾向が強まっていると指摘されている。ウクライナ有利な戦局の中でのこうした変化は、ロシアの外交的巻き返しもさることながら、遠方での戦争より足元の情勢不安の方に関心を移す国が増えてきたためではなかろうか。
 それを思わせる一例が、ちょっと話題になっていたこちらの「時局図」。120年前の風刺画をパロって(ゼロコロナ皇帝がプーさんっぽい姿に描かれているように)特に中国を揶揄している絵だが、皇帝にラブレターを差し出す白熊や、その白熊にミサイルを渡している北朝鮮など、欧州の戦局がユーラシア東部にも色々と影を落としている様子を窺わせる部分がいくつかある。
 とはいえユーラシア東部はまだ火を噴くところまでは行っていない。もっと西の方に行くとスリランカでかなりの大騒ぎが起きているし、さらに西に進むとイランが動揺しているように見える。ヒジャブ着用を巡る女性の死をきっかけに沸き上がった抗議行動は第3週に入り、少なくとも52人が死亡し数百人が負傷しているそうだ。ISWなどはウクライナと並んでイラン情勢も報じるようになり、現状は政権にとって深刻かつ増大する脅威になっていると分析している。
 一体何が起きたのか、そして今何が起きているのかについては色々と報じられているが、なぜそうなったかについての説明は必ずしも十分とは言えない。制裁による経済的困難で若者が将来に不安を抱いているという指摘はあるものの、そういった指摘を裏付けるデータなどが紹介されているわけでもない。単なる表面的な騒ぎにすぎないのか、何か構造的な要因があるのか、そのあたりは調べられないものだろうか。

 というわけでスリランカの時と同じようにSDTを使って少し考えてみよう。まずはいつものようにWorld Inequality Databaseでイランを調べてみたのだが、正直富の格差にはほとんど変化がない。2010年代前半に少し格差が縮小した後は横ばいだ。確かに所得の格差は2010年代半ばから少しずつ拡大する傾向にあるようだが、これも20世紀の水準と比べればまだまだ小さく、足元で起きているトラブルの大きな要因と見なすにはいささか苦しいと思われる。
 MMPに影響するとされる都市化はどうか。こちらの数字を見るとイランの都市化率は75.9%であり、日本(91.8%)や米(82.7%)、英(83.9%)よりも、権威主義国であるトルコ(76.1%)、ロシア(74.8%)、そして極右が政権を握ったイタリア(71.0%)と似た数字だ。ただ一方でスイス(73.9%)も似たような水準にあり、この数字だけを持ち出して「産業社会化が進む国家はどこかの段階で権威主義化や政局の不安定化に見舞われる」という説を唱えるのは無理があるだろう。それに同じく動揺しているスリランカの数字は18.7%と全然水準が違う。
 ユースバルジの存在でもあるのだろうかと思ってイランの人口動態も見てみたが、こちらも上手く当てはまるようには見えない。人口ピラミッドは確かにかなり歪だが、バルジ(突出部)になっているのはむしろ30代で、20代(特に前半)は逆にユーストラフ(谷間)と呼びたくなるほど凹んでいる。少なくとも今の若者たちは同世代間の競争と言う点では上の世代より恵まれている、ように見える。
 それにしてもこの人口ピラミッドを見ると、今のイラン国民は世代によってかなり異なる価値観を持っているように思えてならない。大きな論拠となるのが特殊合計出生率で、イラン革命後に6.5を超えていたのが、それから20年もたたないうちに2.0を下回る水準まで物凄い勢いで急落している。一応2015~2017年に2を超えている時期があったが、これは革命後のベビーブーマーが子育て世代になった結果として生まれた見せかけの上昇ではなかろうか。イスラム圏というと子だくさんのイメージがあるかもしれないが、今のイランにはそのイメージは全く当てはまらない。
 この点はもう1つの仮説、つまり「枢軸宗教の賞味期限切れに伴うトラブル」説にとってもアキレス腱となる。包括適応度で有利な女性の台頭が社会政治的不安定性の原因、という説だが、女性に対する家父長制的な圧力が続いていることへの不満が原因と考えるには、いささか出生率が低すぎる。この数値を見る限り今のイランは子供を産む判断において実質的に女性の意思が尊重されている可能性が高く、だとすると「子供を産む機械」扱いされた女性がブチ切れて抗議活動が激化した、と考えるのもあまり説得力がない。
 となるとそれ以外で思い浮かぶのはエリート過剰生産くらいしかない。そして、それを裏付けるblogがあった。イランで教育過剰が起きているという内容で、今から5年前のエントリーだが構造的な要因ならそう短時間で変わることもなかろう。つまり高等教育を受けたエリートの過剰がイランで生じており、それが足元のトラブルに火を注いでいる要因、かもしれないのだ。
 このエントリーによると2015~2016年時点でイランの全人口の5%、成人人口の7.4%が大学教育以上を受けていたという。一方、同時期の米国はそれぞれ6%、8.3%に相当する高等教育エリートがいた。イランの47倍もの経済規模を持つ米国ならこれだけの数の高等教育を受けた労働者を吸収することも可能だっただろうが、イランにはとてもそんな労働市場はない。そして事実、2016年時点で15~24歳の失業率は26%に達していた。1999年には高等教育を受けたイラン人の25%が他のOECD諸国で仕事を見つけることができていたが、現状では事態はもっと悪化しているに違いない、というのがこのblogの結論だ。
 実際にはこのblogでイランよりずっと市場が大きいとされている米国ですら、エリート内競争が一段と激化しているわけで、そりゃイランで騒ぎが起きても不思議はない。もちろん時系列のデータがあるわけではなく、本当にイランでエリート過剰生産が起きていると断言するにはちょっと根拠不足なのは否めない。それでも今の騒動をもたらした有力な要因の1つとして教育過剰があると推測することはできそうだ。

 一方ロシアはドネツク州内にあるリマンからの撤退を発表した。ハルキウ州の時のように「転進」と言いつくろうことすらできなかったあたり、いよいよ残念さが増しているように思える。ウクライナ軍に包囲された戦力のうちどのくらいが脱出に成功し、どのくらいが降伏に追い込まれたのかは不明だが、ロシア軍の損害はかなり酷いようで、イジュームに続く大敗ではなかろうか。おまけに次は北方のボロバが目標との見方もあり、ウクライナ軍の手によってロシア軍の拠点が1つ1つ奪われる流れになっている。
 この間、ロシアは予備役動員を行ない、またウクライナの4州について一方的に併合を宣言した。さらに天然ガスパイプラインであるノルドストリームが損傷した件についても、ロシアによる人為的行為との見方が出ている。それに対しロシアは相変わらず偽旗作戦を展開しているようだが、今や信用する人は陰謀論者くらいのもんだろう。
 戦線を安定させるために行なった動員にしても最初から問題が起きているようで、動員したばかりの兵士が訓練すら受けずに最前線に投入されたとの情報もある。日本のSNSではさっそく「合宿免許より短い」とか「セベロドネツク冬景色」といった具合に大喜利になっているが、そもそも現在起きているのが「学校に立て篭ってるロシア人達に向かってなぜかロシアが学校に向かって砲撃し始めてロシア兵が投降してくる」という「何を言ってるのかわからねーと思うが」状態なので、もう笑うしかないのかもしれない。
 ちなみに今のような恰好で動員が続けばロシアは20代男性の1割以上を失い、今後5~10年は帰還兵及び父親不在となった子供たちの起こす新たな犯罪の波が押し寄せる、との見方も出ている。もちろん目端の利くもの、あるいは経済的に余裕のあるものは動員される前に逃げ出すだろうし、その数は動員令が出た後で既に20万人を超えているが、一方で逃げられない者も大勢いるだろう。というわけで、プーチンにはグナイゼナウの言葉をちょっと変更したものを送りつけたい。

「場所は取り戻せるが、人命は決して取り戻せない」

スポンサーサイト



コメント

非公開コメント