ウクライナ戦争では改めて兵站の重要性がクローズアップされる場面が増えている。もちろん昔から兵站の重要性は何度も語られているのだが、兵站を軽視しているらしいロシア軍が国力の差からは信じられないレベルのもたつきを見せているおかげで、改めて兵站を語る動きが広まっているようだ。
典型例が
こちらの記事 。いきなり三国志時代の官渡の戦いやチンギスハンの兵站、アレクサンドロス大王や古代ローマの事例といった古い時代の話から入り、また近現代へ至る流れとして十字軍やナポレオンのロシア遠征、南北戦争時の北軍によるアナコンダ作戦、さらには第二次大戦中の独ソ戦といった、歴史上の話がいくつも紹介されている。また日本の事例としては白村江、秀吉の朝鮮出兵、日露戦争などを順番に紹介したうえで、第二次大戦中のガダルカナルやインパールにも言及。最後はクレフェルトの
補給戦 を紹介して終わるという、「とりあえずこれだけ押さえておけ」的なリストを載せた記事となっている。といってもウクライナやロシアの現状についての話はほとんどない。
もうちょっと足元のウクライナ戦争に注目して書かれたのが、
Russian Military Logistics と題したpdfファイル。エストニアのシンクタンクの研究者がまとめたもので、ロシアの兵站の何が問題かをシンプルにまとめているという点で参考になる。冒頭で作戦的な失敗の主導的理由は軍事兵站による支援の欠乏にあると指摘しており、戦争目的を達成する能力欠如の主要な要因は兵站にある、というのがこの文章の主張だ。
なぜロシアの兵站はそこまで拙いのか。まずは作戦立案と実行段階の問題だ。侵攻の冒頭から発生した
60キロに及ぶ渋滞 も、また当初からウクライナ軍による自軍兵站への攻撃を許した点も、無理な計画立案と実行における不備とがもたらしたものだろう。正直、初期段階の計画は「最良の軍事兵站システムでも任務達成に失敗したであろう」と言われるようなものだったのであり、プーチンの計画自体が失敗の最大要因だったのは事実だろう。
続く問題はロシアの兵站が「遠征型」ではなかったこと。鉄道とパイプラインに頼るロシアの兵站は防衛戦には向いているが、遠方まで出かける際に機能を発揮できるような仕組みにはなっていなかった。記事中ではプッシュとプルと表現しているが、現地の需要に応じて補給を送るプル型の兵站ではなく、トップの立てた計画に合わせて補給を押し出すプッシュ型の兵站を採用しているロシア軍の兵站は、どうしても柔軟性に欠けたトップダウンのものになってしまい、そうした中央集権的な指揮系統も、刻々と変わる戦況に合わせた補給を難しくしている。
下士官の不足も致命的だった。兵站を考えるうえでよく使われる用語が
Tooth-to-Tail Ratio と呼ばれるもので、最前線で戦う歯と、後方で支援にあたる尾のそれぞれが適切な割合で存在することが大切だと言われている。ロシアはただでさえ尾の比率が低いうえに、双方で組織を動かす中堅どころの役割を果たす下士官の数が少なすぎ、兵站がうまく機能していないという。とはいえ下士官は一朝一夕で育成できるものではなく、この問題は簡単には克服できないだろう。
そして最後はロシア軍の文化だ。いじめと腐敗と書かれているが、
これまでも紹介している 通り兵士を粗雑に扱うという文化が、補給の重要性を過小評価する流れをもたらしている。それに士官層の腐敗が重なり、物資自体が横流しされているために補給がより困難になる。文章の最後には、ロシアを過小評価してはならないが、一方で兵站が常に弱点であることは間違いないし、またロシア軍の文化などはすぐには変わらないため、彼らの潜在的な敵(バルト三国など)にとっては利点になるだろうとしている。
「兵站キャパシティ」の考え方について、この論文は3つの要素を重視している。(1)目標地点までの距離、(2)戦闘部隊である「歯」の物資消費ペース、そして(3)「歯」と「尾」の相対的な移動速度だ。まず目標地点までの距離は、当然「尾」となる兵站部隊の輸送能力に影響する。距離が伸びるほど先端にいる「歯」に届けられる補給は減る。それも減り方は指数関数的(Figure 3.3)だ。政治的な目標が遠方に置かれるほど、兵站部隊の能力が高くなければ「できない作戦」になってしまうわけだ。
次に「歯」の消費ペースだが、これは時代によって異なる。そもそもこの論文は20世紀以降の、「尾」の割合が急増した時代を対象に分析しているのだが、例えば
バルバロッサ作戦 時のドイツ軍師団と、
砂漠の嵐作戦 時の米軍師団とでは物資の消費量はけた違いだ。もちろん作戦を活発に行わずに消費を減らすといった方法もあるが、そう大きく減るものではない。最後の移動速度は、やはり速いほど兵站への負荷が増える。ただ距離とは異なりこちらの減り方は指数関数的ではなく直線的(Figure 3.4)。ゆっくり動けば兵站への負担は減る格好だ。
こうした前提に基づいて筆者が編み出した「兵站キャパシティ」は方程式4.1に記されている。それぞれの記号の意味はTable 4.1にあるのだが、基本的にこの方程式が算出しているのは「歯が消費する物資を尾が供給できる最も遠い位置」だと考えればいい。それ以上、遠い距離に軍事目標を設定されても、兵站が届かない以上「歯」もそこまで到達できないし、たとえ到達しても戦えない。「兵站キャパシティ」は軍事目標を達成するうえでの十分条件ではないが必要条件、というわけだ。
具体例を見た方が分かりやすいだろう。まずバルバロッサ作戦(p88)だが、ヒトラーが立てた政治的目的地は国境から1600キロ近くも遠い場所で、そこまでの到達時間はたった42日を想定していた。だがドイツ軍の持っていた兵站キャパシティは1092キロ。たとえ「歯」の前進速度をゼロにしても1191キロにしかならず、そもそも無謀すぎる計画だったことが明白に数字に表れている。今回のウクライナ侵攻もそうだが、ドイツのソ連侵攻もかなり酷い計画だったと言えよう。
次の実例は朝鮮戦争時の1951年における中国・北朝鮮軍の兵站(p112)だ。この時点で彼らは防御側だったために前進速度はゼロになっているが、兵站拠点から最前線までの距離が長すぎた(111キロ)ため、それを維持できなかった。当時の彼らの兵站キャパシティが届いた距離は89キロまでだったそうで、進みすぎた軍が反撃を受けた時に持ちこたえられなかった事例となっている。
最後は砂漠の嵐作戦。こちらについてはより詳細なデータがあるため、燃料(p113)、弾薬(p136)、水(p141)のそれぞれについて兵站キャパシティを調べている。いずれもクウェート解放のために進まなければならない必要距離は208キロだったが、燃料については想定速度で225キロ、速度ゼロなら259キロまで兵站が届く計算になっていた。弾薬はそれぞれ356キロと409キロ、水は300キロと345キロだ。1個師団あたり各種輸送用トラック計564台を備える米軍の充実した装備があって、初めて必要な兵站キャパシティを確保できることが分かる。
もちろんこの計算式は完全ではない。そもそもトラック輸送を想定したものとなっているため、海輸や空輸、そして鉄道を使った輸送の場合にはさらに工夫する必要があるだろう。それにここで分かるのはあくまで兵站が「歯」を支えられるかどうかであり、前線部隊がきちんと敵を撃ち破れると保証するものではない。もちろん兵站の届かない軍にはろくに戦う能力はないわけで、そうした軍が弱いのはおそらく間違いないが、どちらも兵站が届いている場合には勝ち負けは他の要因で決まると考えられる。
また今回の戦争でウクライナが採用しているような「兵站への攻撃」をこの方程式にどう反映させるかも課題だろう。その意味でこの方程式は、あくまで計画立案時の参考数値として使われることを想定したものだと考えられる。実際の戦争になればトラックの損害が増えたり、「歯」の物資消費ペースが想定以上に早かったり、あるいは移動速度が変わったりといった不確定要素が加わり、想定通りの距離まで進めないケースももちろんあり得る。
それでもこの方程式を使って、今年2月24日のウクライナ侵攻開始前時点でのロシア軍の「兵站キャパシティ」がどうなっているかを誰かに調べてほしいのは確かだ。あるいは前に
こちら で紹介した4つのシナリオそれぞれについて、でも構わない。そうした数字が出てくれば、ロシアが戦争を始めるに際してどこまで真面目に兵站を考えたのかが見えてくるんじゃなかろうか。
もう一つ、誰かに調べてもらいたいのは
シュリーフェンプラン 。実際の計画実行に際しては兵站面で問題があった、とクレフェルトなどは指摘しているのだが、本当にそうだったのだろうか。立案時点で兵站キャパシティが足りないことははっきり数字で出せるのだろうか。興味がある。
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