21世紀の電撃戦

 今回はSNS発の情報が多いため、信頼度は玉石混淆だと思ってほしい。

 ウクライナ情勢があまりにも急激に動いている。9月6日にハルキウ方面のバラクリヤでも反攻が始まったのだが、それからたった4日後の10日にはロシア国防省がクピヤンスクとイジュームからの「転進」を発表するに至り、ドンバスの北方にあったロシア側の大きな拠点はあっさりと崩壊した。直近ではオスキル川の防衛線を除きハルキウ州全域をほぼ放棄した状態にあるという。多くの人の目は8月29日から反転攻勢が始まっていたヘルソン方面に向いていたのだが、その間にロシア軍の伸びきった戦線の別の場所に圧力がかかった結果、それまで第一次大戦ぽかった戦場がいきなり第二次大戦になった格好だ。
 この辺りのウクライナ側の狙いについてはこちらのまとめなどで書かれている。ロシア軍をヘルソンに引き付けてハルキウで逆襲に出たという見方はこちらでも早い時期に示されていたが、一方でハルキウの攻撃についてはあくまで「極めて効果的だが日和見的な反攻」との指摘もあった。確かにまとめにも書かれている通りヘルソンが単なる陽動というのは言い過ぎに思えたし、当初は実際に攻めてみたら「ロシア側がスッカスカだった」だけ、のようにも見えた。だがこれだけの規模の反攻となるともう偶然では片付かないとの声も出ているし、最初からヘルソンとハルキウの二本立てという話も出てきた。少なくとも今イニシアチブを握っているのがウクライナなのは確かだ
 実際、ウクライナ軍の進軍は凄まじかった。一応、反攻開始の2日目から3日目にかけて今後のウクライナ軍の作戦を予想したツイートがいくつ出てきいたが、いずれも重要な鉄道拠点であるクピヤンスクへの前進と鉄道連絡線の遮断くらいまでは予想していたが、イジューム陥落まで見通していた者は見当たらない。防衛研究所防衛政策研究室長ですら想像していなかったようだし、ロシア側でもウクライナの進軍が「スヴォーロフのよう」と驚嘆していたところを見るに、この速度は外野にとっても敵にとっても予想外だったんだろう。まあイラク戦争時の米軍が一番調子よかった時の進撃速度を事前に予測しろという方が無茶だ。
 もちろんSNS上でも驚きの声が次々と! 例えばイジュームにウクライナが接近してきたとの情報が出てきた時にはこちらこちらこちらこちらなどの反応があったし、ウクライナの見事な電撃戦についてはこんな声が、ロシアの弱さについてはこんなツイートが出ている。もはや大喜利状態で、あまりに凄いためか、フィクションに例えるツイートもいくつ出てている。逆にロシアにダメ将軍が転生した説も。史実と比較している事例としてはこちらで語られている1944年のアルデンヌと1973年のゴラン高原がある。うち前者は奇襲をかけた側が負けた気がするが、後者のイスラエル側の反撃になぞらえるツイートはこちらにもある。
 ロシア側がダメダメな理由は色々あるだろう。現場にいた兵士たちには「人民共和国」から強制的に集められた者がいたそうで、そもそも質の低い部隊だったと思われる。本当かどうかわからないがイジュームの指揮官は負傷兵とともに先に現地から逃げ出したという話があり、またこれも事実かどうか不明だが中将が捕虜になったという情報も出ている状態で、指揮系統もガタガタだった可能性がある。そして、これまた事実かどうかわからないが、本来イジュームの予備であるはずだった部隊が極東の演習に引き抜かれたという説もある。プーチンら政治家のメンツ優先でそのような対応をしたのだとしたら、まさに彼ら「悪夢のチーム」の面目躍如だ。
 ロシア側の情勢は正直言ってかなり厳しそうに見える。ウクライナの推計では今回の戦争におけるロシアの死者は5万人ちょっとに達しているのだが、「ロシア財務省からリークされた戦死者の家族に支払われた補償」もそれに近い数字が出ているという。少し前にロシア側死傷者数が7万~8万人に達しているという米の推計値を紹介したが、もし死者だけで5万人いるのなら、死傷者トータルは少なく見積もっても十数万人はいると考えられる。加えて今回の戦闘での捕虜が7000人もいるという話もあり、冗談抜きで兵数の損耗がとんでもないレベルに達している可能性がある。もしかしたら舟橋をヘルソンに送りすぎたのも一因かもしれない
 戦車の損耗も激しく、これまたウクライナ側の言い分によれば2000両超を失っている計算防衛白書によればロシアの所有戦車数は2900両だそうで(p107)、だとしたらその3分の2以上を既に失っている計算。OSINT勢によればさすがにそこまで多くはないがそれでも1000両以上が失われている。そりゃ1万両以上のこっている「保管状態」のもの(つまり骨董品)を引っ張り出すわけだ。戦車は「兵站集約型の兵器」であるため、兵站の弱いロシア軍ではさらに損害が増えている面もあるんだろう。
 状況の厳しさは、最前線にも現れているようだ。壊走状態とまでは言われていないヘルソンでもロシア兵の脱走が増えているとの報道があるし、実態は不明だがイジュームでは同士討ちの話も出ている。ナポレオン戦争期なら命がけで奪い合いの対象となっていた軍旗も、あっさりウクライナに奪取されているようだ。一方、ウクライナは「兵士や国民の高い士気」を誇り、そのうえで「欺瞞のアート」である戦争をうまく使いこなしているらしい。改めてグループ間競争がグループを強くする「外部紛争理論」が思い起こされる。さらにはウクライナの勝利を日露戦争のツシマ(日本海海戦)奉天会戦に例える声も出ている。
 ISWの10日の記事を見ても、冒頭に「ハルキウ州でのウクライナ軍の反攻はロシアの戦力を壊走させ、ドンバス北方軸を崩壊させた」と、かなり厳しい表現を使ってこの戦闘におけるロシアの敗北を伝えている。ウクライナは一部では深さ70キロまで進軍し、取り戻した領土は3000平方キロ以上とロシアが4月以降に奪った全領土よりも多いそうだ。しかしおそらくより重要なのは書かれていないこと、つまりロシア側の予備がどう動き新たな戦線をどう形成しているかである。単にISWがロシア軍の動きを把握できていないのか、それともロシア軍がいまだ戦線再構築できていないのだろうか
 一番新しいISWの地図を見ても、ウクライナ側の打ち込んだ「バルジ」は両翼を大きく広げており、ロシア側の後退が止まっている様子はない。こちらで紹介されている動画も、今回の突破劇の威力をまざまざと示している。こちらの地図ではウクライナ軍が既にイジュームのみならずリマンも奪い、またヘルソンでも前進を続けていることを示している。挙句にセベロドネツク対岸のリシチャンスクにまでウクライナ兵が姿を見せているとの情報も出てきた。
 ここから先は妄想。ロシアはこの事態にどう対処すればいいのだろうか。対策として思いつくのは、他の国境を全てがら空きにして全軍をウクライナに投入する、特別軍事作戦を諦めて戦争に切り替え総動員を図る、そして核兵器を使用するの3種類なんだが、いずれも政治的なリアクションが大きいため容易に踏み切ることができない手段に思える。1つ目は国内の治安が崩れるリスクがあるし、2つ目はそれに加えて動員をかけても使い物になる兵士まで育てるにはかなりの時間がかかる。そして3つ目は、当然その可能性を懸念している人もいるが、最悪の場合勝者のない戦争に至る。得られるメリットに比べてどれもリスクが大きすぎるように見える。もちろんさっさと戦争をやめて撤収するのが国家と国民にとっては最良の選択なのだが、残念ながらそれが最悪の選択になっている人物が政権の座についている。
 逆にウクライナにとっては、引き続きヘルソンを使いながらロシアをジレンマに追い込むのがいいんだろう。前にも書いた通り、ヘルソン(特にドニプロ右岸)はロシアにとって兵站上のアキレス腱だ。できれば切り捨てる方が損害は少なくて済むのだが、一方でクリミアの水源を守るためヘルソンは保持する必要がある。ウクライナにとってのヘルソンはゴキブリホイホイみたいなもので、ここをチクチクやっていれば勝手にロシア軍がやってきて勝手に補給切れになってくれるわけだ。
 もちろん経済制裁を受けてもいまだ国力はロシア側が圧倒的なのは変わらず。今回の快進撃を経てもすぐにウクライナが勝利して戦争が終わるとは思えない。それでもプーチン政権から見て、リスクの高い手以外に打つ手がなくなりつつあるのもまた事実。西側にとってこれからの最大の課題はプーチンの暴発を止めながらいかにウクライナを勝たせるか、になってくるのかもしれない。
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