エリートの苦境

 エリート過剰生産に関するNoah Smithのエントリーに対し、Turchinが反応している。まずはこちらの一連のツイートで、エントリーに関する色々な感想を述べている。
 最初は反論だ。TurchinはSmithが「エリート過剰生産について供給側だけに注目している」と指摘している点について、もちろん需要側も見ていると否定。あくまで供給が需要を上回った時にエリート過剰生産が起きるとしている。だが正直この反論は焦点がズレている、というのもSmithが述べているのはあくまで「労働需給」の話。Turchinの議論は移民など労働供給に注目しているが、移民たちもまた需要を生み出していることへの考慮が抜けている、というのがSmithの批判だ。これについては以前こちらで紹介している通りであり、個人的にはSmithの言い分の方が説得力があると思う。
 次にTurchinが反論しているのは、Smithが「高学歴の若者の過剰生産のみに注目している」点だ。Turchinに言わせればこれはコインの一面にすぎず、米国の支配エリートのもう一方にいる金持ちについての考察が欠けている。要するにトップ10%に相当する「(大卒以上の)資格保持者」について述べる一方、トップ1%の部分で起きている可能性のあるエリート過剰生産について言及がなされていない、という理屈だ。
 確かにSmithはこの点に触れていない。以前、彼がエリート過剰生産に言及した際にも、学歴に関する言及が多かった。実際にはおそらく金持ちの間でもエリート過剰生産が起きている可能性はあり、それがトランプのような「金持ちの中の対抗エリート」を生み出していると考えられるわけで、そちらにも言及しないと「一面的」という批判を浴びるのは仕方ない。とはいえ単なるblogの記事1つにそこまでの水準を要求されても困る面はあるだろう。Turchinの批判は間違っていないが、そこまで求めなくてもいい気もする。
 むしろ興味深いのは、「上昇する期待に現実が追い付いていない」というSmithの解釈に対するTurchinの異論だ。後者に言わせれば、学歴エリートの世界においては相対的な意味ではなく絶対水準において「貧困」が生じているという。要するに自分の親世代より貧しい「資格保持者」の増加こそが問題、というのがTurchinの考えである。例えば弁護士の所得格差に出ているように、二極化が進むとエリートの平均所得には意味がなくなり、多数を占める「敗者」の側の絶対値の方が問題になるわけだ。
 Turchinは新しい本のために弁護士の給料を改めて調べ直したそうだが、「勝者と敗者の間の格差は引き続き深刻化している」という。そして弁護士資格は政治の経歴を始めるうえで最良の資格であり、過去には不満を持った弁護士、つまりロベスピエールやレーニンやカストロが革命を始めた、というお得意の話も持ち出している。高すぎる期待に現実が追い付いていないどころか、過去の現実に負けているという状況こそが、現状の問題点という認識なんだろう。
 実際にそれを示す実例としてTurchinがリツイートしているのがこちら。大卒の賃金プレミアムが足元で低下していることを示すグラフであり、確かに2020年2月を1とした推移を見ると、大卒未満の方が大卒よりも足元で時間当たりの賃金が高水準を維持している。大卒の方が賃金の伸びが鈍くなっているわけで、要は大卒未満より大卒の方が人が余っている、ということだろう。

 こうした「期待との相対的な関係ではなく絶対値で低下している」という話に反応したのがこちらのツイート。元ネタとして紹介しているMillennials as a Social Class?というエントリーでは、ベビーブーマー、X世代、ミレニアルの3つの世代について、両親の社会経済的地位や学歴と絡めた分析を載せている。
 最初に出てくるのは職業的威信と世代との関係だ(Table 1)。グラフを見れば分かる通り、ブーマーが高い水準を維持しているのに対し、ミレニアルは大幅なマイナスになっている。また両親の社会経済的地位あるいは職業的威信と本人の職業的威信とを世代ごとに見ると(Table 2)、グラフのように時を追うごとに威信が低下していく様子が分かるし、またミレニアルは同世代内でも格差が大きくなっている。
 もっと興味深いのはTable 4の下にある2つのグラフだ。それぞれ社会経済的地位と学歴を政党支持の傾向と比較しているのだが、ブーマーやX世代は社会経済的地位が高いほど共和党を、学歴が高いほど民主党を支持する傾向があるのに対し、ミレニアルは社会経済的地位が高い方がむしろ民主党支持に傾いており、学歴による民主党支持の度合いは上の2つの世代よりさらに極端になっている。普通、社会経済的地位の高い人は保守的になるものだがミレニアルにはその傾向が当てはまらず、学歴で見ればミレニアルは他の世代よりさらに酷い分断に晒されていることが分かる。
 こうした環境下に置かれているミレニアルの間では、特に反人種主義の姿勢が強く現れている。Table 5やTable 6のグラフを見ると、ブーマーとX世代が人種主義に対して似たような傾向を示しているのに対し、ミレニアルは極端に人種主義を批判している。なおここで言う人種主義とは「アイルランド人やユダヤ人などのマイノリティは偏見を克服して出世してきた。黒人も特別扱いされることなく同じようにすべきだ」という主張に同意するという意味で、日本風に言えば自己責任を認めるか否かとなるだろう。
 またAsymmetric Information and Professional-Class Reprodunctionというエントリーでは、エリート内での格差問題に触れている。米国では確かに所得格差は大きいのだが、所得上位の者ほど狂ったように働いているし、彼らの所得に占める労働収入の割合は実は所得下位や中位の人々よりも高い。そしてこういった格差はエリートの中でも見られる。
 米国でトップ1%に入りやすい職種についてはTable 4に載っている。トップは内科医や外科医、次に歯科医があり、その後に経営層などが並ぶ。競争が激化している弁護士も、これで見る限りまだ職種としては悪くない選択肢だ。だがそうした職種にたどり着こうと多くの人が高い学歴を求めた結果、彼ら彼女らエリート専門職が(例えば高度なアルゴリズムを生かして住宅ローンの与信ができるようにするなどして)中間層の仕事を奪ってしまった。結果、米国の仕事は中間層が乏しい「砂時計型」になった、という指摘だ。
 一方でこうした専門職のエリートたちは富の伝達ではなく、子供の人的資本への投資と、そして有能な専門職エリート同士の結婚によって、こうした地位を次代に引き継いでいる。彼ら彼女らの子供たちは3歳時点で労働者階級の子供より語彙が70%も豊富であり、既に幼いうちから競争で優位に立っている。のみならず、専門職エリートの子供は親から「秘伝のタレ」として競争に打ち勝つための克己心(英語では自己開発self exploitationと書かれている)も引き継ぐ。
 結果、エリート専門職の連中は永遠に続く競争に打ち勝つために過労と不安に常にさいなまれ、働きすぎで余暇がなくなる。一方、庶民の方は仕事を十分に与えられず、産業や収入、地位へのアクセスを否定されている。「誰も幸せになれない」のが今の米国社会、というのがこの文章の結論だ。こちらでメリトクラシー体制下でのエリートがひたすら競争に追われていることを指摘したが、同じ問題意識の文章と言える。
 なおこの文章内には、こうした勤勉なエリート層の存在を「勤勉革命」と結びつけて論じている。その中で紹介されているのが、インドと日本の経済成長格差をもたらした要因について、特に紡績や織物の分野における両国の違いを紹介したサイトだ。こちら、前にちょっと読んだことがあるが、こういう歴史があったのかという意味でなかなか興味深い話が書かれていた。
 他にもこのツイート主は、経済成長が次第に低迷している点にも言及している。特に2010年代の低迷は著しいものがあり、発見や発明の減少がやはり影響していると言いたくなるデータだ。

 というわけでSmithのエントリーは、メリトクラシー下におけるエリート競争の激化がどれほど深刻になっているかを示す話がいくつも出てくるきっかけとなった。既にこういう本が出版されていることも踏まえるなら、おそらく足元でメリトクラシー批判が強まる流れが生じているのだろう。確かに「誰も幸せにならない」仕組みを続けることがいいのか、と疑問を抱く人はいるだろう。
 だが個人的にはメリトクラシー批判にはあまり意味はないと思う。というのも、そもそも歴史上のどの時代でもメリトクラシーは常に存在していた、と考えているからだ。理由はこちらにある通り。中世の身分制社会も現代北欧の平等な国家も、さらには文化革命期の中国のように知識層を組織的に破壊した社会でも、結局世代間の相関係数はいつも同じ0.75前後になった。逆に言えばどの時代もどの社会も、現代社会と同じくらいにはメリトクラシーだったわけで、「世界は思ったより公平」なのである。おそらく実力のない者がいつまでもエリートの地位にとどまっていられる社会は、外部紛争を通じて淘汰されていったのだろう。ヒトは決してメリトクラシーからは逃れられない。

追記:Turchinのツイートについても日本語訳が出た。
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