農業の故地 4

 以前、稲作の故地は長江下流もしくは中流域だとの話を紹介した。特に考古学的な証拠に基づいてそうした推測がなされているそうで、野生種とされるオリザ・ルフィポゴンが1万3500年から8200年前に栽培植物化されたのが現在のアジア稲だ。
 ちなみに稲にはもう1種類、アフリカ稲と呼ばれるものがある。こちらはオリザ・バルシーというアフリカに自生していた野生種から派生したもので、今からおよそ3000年ほど前に西アフリカで栽培植物化されたそうだ。それぞれ別個に農作物になったと考えればいい。
 アジア稲の中にもジャポニカ米とインディカ米という2つの種が存在するが、両者はあくまで同じルフィポゴンから出てきたもの。先にジャポニカ米が生まれ、後にそれがインドまで伝来した際に、インドに自生していた野生種オリザ・ニヴァラと交雑し、そうして生まれたのがインディカ米だと推測されている。インドに伝わったのは今から4500年前以前だそうで、時系列的に見ても先に中国でジャポニカ米が誕生したと思われているようだ。
 だが異論もある。一例がこちらで紹介されている2012年の論文。世界各地から集めた栽培品種と野生種のゲノムを詳細に分析した結果、栽培種と近縁なのは中国の野生の稲で、中でも広西チワン族自治区の系統が最も近かったという。ここからこの論文では、長江流域ではなくもっと南方の珠江流域こそが稲作の故地だったのではないかと主張しているようだ。
 広西チワン族自治区は珠江の中流から上流域に相当する地域で、例えば首都の南寧市は気候的には温暖冬季少雨気候または温暖湿潤気候に属する。長江流域(温暖湿潤)より少し冬場の雨が少ないといった印象だが、稲の育つ時期を考えればそれほど大きな違いはなく、似たような気候条件の地域だと思われる。それでも稲作の故地がこれだけずれるとなればそれは当然、論争を呼ぶ。
 2014年に書かれたArchaeological and genetic insights into the origins of domesticated riceという論文では、これまでの論争を踏まえて稲作が長江流域で始まったとの推測を述べている一方で、珠江説についても紹介し、ジャポニカではなくインディカ米の起源と整合的な説だとしている。そのうえで珠江説は、より正確な栽培種や野生種の個体群史に基づいていないのではないかとの疑問を呈している。要するにコメが栽培植物化された1万年前は今より気温が高く、ルフィポゴンが長江流域でも育っていたのではないかと考えているのだろう
 現時点でどちらの説がもっともらしいかと言われれば、個人的には長江説を取る。野生種の生息地は確かに時とともに移動する可能性があるのに対し、地面の下にある考古学遺跡は時間とともに移動するような性質のものではないだろうからだ。場所を決めるうえでどちらの方がより古い史料になるかと言えば、それは考古学遺跡の方だと思わざるを得ない。もちろん、珠江説を裏付けるような遺跡が今後増加してくるような事態になれば、話は変わってくる。ただし現時点では長江説ほどの説得力は感じない。

 考古学史料とゲノム分析とが必ずしも一致しているわけではない事例は他にもある。例えばトウモロコシだが、野生種であるテオシントを栽培していた考古学遺跡として最も古いのは、メキシコ南部のオアハカにあるギラ・ナキツ洞窟だと言われている。およそ6250年前にはテオシントが栽培されていたそうだ。
 だがゲノム分析からは違う結果が出ている。むしろオアハカの北方にあるバルサス峡谷こそがトウモロコシの野生種が自生している場所だそうだ。The Origins of Plant Cultivation and Domestication in the New World Tropicsという論文には2009年の報告が紹介されているが、それによればバルサス河中流域にあるキシュアトキツラ洞窟で8700年前にトウモロコシが栽培されていた証拠が見つかったそうだ。
 バルサス中流域は「山頂が1,500~1,800m、谷底では標高700~900m」で、気候はサバナ気候あるいは温暖冬季少雨気候だと言われている。これまたオアハカと似た気候であり、どちらで栽培植物化されたのだとしてもそれほど気候条件は変わらなかったと思われるが、稲作とは異なりこちらではゲノム分析と考古学史料との間にあまり矛盾がないためか、今では基本的にバルサス峡谷がトウモロコシの故地として広く認められているようだ。

 時にゲノムと考古学のずれが生じてしまう根本的な理由は、栽培植物化や家畜化といった現象が長期にわたり、またおそらくは一定の広さを持った範囲で進むからだろう。ここまでいくつか紹介しているblogがイヌの起源について記したエントリーでは、イヌの野生種であるオオカミがヒトによる「無意識の選択と繁殖」の対象になっていたのではないか、との考えを述べている。
 オオカミはもともと自ら獲物を狩るハンターだが、ユーラシアへと進出してきたヒトが大型動物の狩猟を行なうようになると、その際に出てくる残飯をあさる形で食料を手に入れるオオカミも出てくるようになった。そうやってオオカミがスカヴェンジャーになることを、このblogではオオカミとヒトが「延長された表現型」の関係になると表現している。ドーキンスがビーバーの作るダムなどを説明する概念として持ち出した表現だが、ヒトは別にオオカミを家畜化しようと考えていたわけではないが、結果としてオオカミの行動を変えるような影響を及ぼしていたわけだ。
 植物についても同じような傾向がまず事前に存在し、それがやがてより意識的な「栽培植物化」に進むというのが、こちらのblogで主張されている内容だ。あらゆる家畜や農作物にこの原則が当てはまるかどうかは分からないが、そのような段階を追って次第に家畜化・栽培植物化が進んだ事例があることはおそらく確かだろう。考古学史料やゲノム分析で幅のある結論が導かれるのも無理はない。
 似たような事例がアフリカにおける農耕の始まりにも言える。Africa's Earliest 'Farmers' Grew Cereals in The Lush Sahara 10,000 Years Agoには1万年ほど前にサハラで穀物の栽培や貯蔵が行われていたとの話が載っている。事実だとしたら、以前こちらで紹介した「アフリカで農耕が始まったのは5000年前」という説を大幅に前倒しする大発見、ということになりそうなのだが、よく読むとここで発見されたのは「野生種」の穀物であり、現代人にとってはむしろ雑草の一種だそうだ。
 野生種の段階ではまだ栽培植物化されたとは言えない、サブサハラ・アフリカでの農耕という点では、例えばこちらの論文中にはソルガムが5000~6000年前に栽培植物化されたとの研究が紹介されているし、こちらの論文ではトウジンビエが4900年前に西サハラで栽培植物化されたと分析している。アフリカの農耕の起源がいきなり1万年前まで遡ったわけではない。今ほど乾燥化する前のサハラの遺跡で見つかった穀物は、まだ「無意識の選択と繁殖」段階のものだったのではなかろうか。
 それに「無意識の選択と繁殖」が農業の前段階として必要だったとしても、その重要性が「農業の始まり」そのものより高いとは思えない。それを示す一例がRapid, Global Demographic Expansions after the Origins of Agricultureという論文だろう。ミトコンドリア・ゲノムを使って欧州、西アフリカ、東南アジアの人口推移を推計し、それと農業の起源とを比較したものだ。
 論文では最初の農業の証拠が現れる時期について欧州は7800年前、西アフリカは5000年前、東南アジアは4400年前になるのだが、これらは人口増加が始まると推計された時期とほぼ重なっている(Table 1)。この推計が正しいのであれば、農業の開始はまさに人口の増加という形で人間社会に大きな影響を及ぼしたと言える。一方、その前段階にあたる「延長された表現型」が及んだ時点でそうした明確な変化は見られなかったわけで、一般に栽培植物化がなされたと見られる時代の方が重要なのは間違いない。
 農業は一日にしてならず。とはいえ農業が歴史的に意味のある閾値を超えた瞬間は間違いなくあった。それをどう見極めるかも考えるべきなんだろう。
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コメント

Hiroshi
「考古学史料とゲノム分析とが必ずしも一致しているわけではない」点については現在、考古学試料が直接ゲノム解析できる時代になっていますから、それまでの「現在の栽培種や野生種のゲノム解析」による問題点を克服できる時代になったと思います。現役時代にも既に相当データーが出始めていましたのでそのうち矛盾は解決するのではないかと思います。

因みに原人からの全ゲノム解析も完了していて。あのデニソア人やネアンデルタール人の全ゲノム解析から、アフリカ人以外の現代ユーラシア人にはネアンデルタール人のゲノムが全ゲノムの2~3%程度伝えられていることすら知られているとか。
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12700696198.html

desaixjp
そうした取り組みはおそらく既に行われているでしょうね。
国内でも10年前に出土炭化種子を使ったゲノム分析の論文が出ていました。
https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010831342.pdf
まだ結論が出ていないのか、それとも調べたうえでなお議論が続いているのかは分かりませんが。
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