ちなみに稲にはもう1種類、
アフリカ稲と呼ばれるものがある。こちらは
オリザ・バルシーというアフリカに自生していた野生種から派生したもので、今からおよそ3000年ほど前に西アフリカで栽培植物化されたそうだ。それぞれ別個に農作物になったと考えればいい。
アジア稲の中にもジャポニカ米とインディカ米という2つの種が存在するが、両者はあくまで同じルフィポゴンから出てきたもの。先にジャポニカ米が生まれ、後にそれがインドまで伝来した際に、インドに自生していた野生種
オリザ・ニヴァラと交雑し、そうして生まれたのがインディカ米だと推測されている。インドに伝わったのは今から4500年前以前だそうで、時系列的に見ても先に中国でジャポニカ米が誕生したと思われているようだ。
だが異論もある。一例が
こちらで紹介されている2012年の論文。世界各地から集めた栽培品種と野生種のゲノムを詳細に分析した結果、栽培種と近縁なのは中国の野生の稲で、中でも広西チワン族自治区の系統が最も近かったという。ここからこの論文では、長江流域ではなくもっと南方の
珠江流域こそが稲作の故地だったのではないかと主張しているようだ。
広西チワン族自治区は珠江の中流から上流域に相当する地域で、例えば首都の南寧市は気候的には温暖冬季少雨気候または温暖湿潤気候に属する。長江流域(温暖湿潤)より少し冬場の雨が少ないといった印象だが、稲の育つ時期を考えればそれほど大きな違いはなく、似たような気候条件の地域だと思われる。それでも稲作の故地がこれだけずれるとなればそれは当然、論争を呼ぶ。
現時点でどちらの説がもっともらしいかと言われれば、個人的には長江説を取る。野生種の生息地は確かに時とともに移動する可能性があるのに対し、地面の下にある考古学遺跡は時間とともに移動するような性質のものではないだろうからだ。場所を決めるうえでどちらの方がより古い史料になるかと言えば、それは考古学遺跡の方だと思わざるを得ない。もちろん、珠江説を裏付けるような遺跡が今後増加してくるような事態になれば、話は変わってくる。ただし現時点では長江説ほどの説得力は感じない。
バルサス中流域は「山頂が1,500~1,800m、谷底では標高700~900m」で、気候はサバナ気候あるいは温暖冬季少雨気候だと言われている。これまたオアハカと似た気候であり、どちらで栽培植物化されたのだとしてもそれほど気候条件は変わらなかったと思われるが、稲作とは異なりこちらではゲノム分析と考古学史料との間にあまり矛盾がないためか、今では基本的にバルサス峡谷がトウモロコシの故地として広く認められているようだ。
時にゲノムと考古学のずれが生じてしまう根本的な理由は、栽培植物化や家畜化といった現象が長期にわたり、またおそらくは一定の広さを持った範囲で進むからだろう。ここまでいくつか紹介しているblogが
イヌの起源について記したエントリーでは、イヌの野生種であるオオカミがヒトによる「無意識の選択と繁殖」の対象になっていたのではないか、との考えを述べている。
オオカミはもともと自ら獲物を狩るハンターだが、ユーラシアへと進出してきたヒトが大型動物の狩猟を行なうようになると、その際に出てくる残飯をあさる形で食料を手に入れるオオカミも出てくるようになった。そうやってオオカミがスカヴェンジャーになることを、このblogではオオカミとヒトが「延長された表現型」の関係になると表現している。ドーキンスがビーバーの作るダムなどを説明する概念として持ち出した表現だが、ヒトは別にオオカミを家畜化しようと考えていたわけではないが、結果としてオオカミの行動を変えるような影響を及ぼしていたわけだ。
植物についても同じような傾向がまず事前に存在し、それがやがてより意識的な「栽培植物化」に進むというのが、こちらのblogで主張されている内容だ。あらゆる家畜や農作物にこの原則が当てはまるかどうかは分からないが、そのような段階を追って次第に家畜化・栽培植物化が進んだ事例があることはおそらく確かだろう。考古学史料やゲノム分析で幅のある結論が導かれるのも無理はない。
野生種の段階ではまだ栽培植物化されたとは言えない、サブサハラ・アフリカでの農耕という点では、例えば
こちらの論文中にはソルガムが5000~6000年前に栽培植物化されたとの研究が紹介されているし、
こちらの論文ではトウジンビエが4900年前に西サハラで栽培植物化されたと分析している。アフリカの農耕の起源がいきなり1万年前まで遡ったわけではない。今ほど乾燥化する前のサハラの遺跡で見つかった穀物は、まだ「無意識の選択と繁殖」段階のものだったのではなかろうか。
論文では最初の農業の証拠が現れる時期について欧州は7800年前、西アフリカは5000年前、東南アジアは4400年前になるのだが、これらは人口増加が始まると推計された時期とほぼ重なっている(Table 1)。この推計が正しいのであれば、農業の開始はまさに人口の増加という形で人間社会に大きな影響を及ぼしたと言える。一方、その前段階にあたる「延長された表現型」が及んだ時点でそうした明確な変化は見られなかったわけで、一般に栽培植物化がなされたと見られる時代の方が重要なのは間違いない。
農業は一日にしてならず。とはいえ農業が歴史的に意味のある閾値を超えた瞬間は間違いなくあった。それをどう見極めるかも考えるべきなんだろう。
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コメント
因みに原人からの全ゲノム解析も完了していて。あのデニソア人やネアンデルタール人の全ゲノム解析から、アフリカ人以外の現代ユーラシア人にはネアンデルタール人のゲノムが全ゲノムの2~3%程度伝えられていることすら知られているとか。
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12700696198.html
2022/09/03 URL 編集
国内でも10年前に出土炭化種子を使ったゲノム分析の論文が出ていました。
https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010831342.pdf
まだ結論が出ていないのか、それとも調べたうえでなお議論が続いているのかは分かりませんが。
2022/09/03 URL 編集