これまで2回にわたってTurchinの
Ultrasociety に関する批判点を述べた。初心者向けの体裁なのに中身は生煮えの仮説が中心でバランスが悪い危うい本になっている、正当派進化論に対する批判が印象付けなどレトリックに偏っていて学術的には見えない、といった問題は、正直この本のみならず、これまでモデル化とデータ活用でかなり厳密な議論をしようとしていたTurchin自身にとってもマイナスのイメージをもたらすのではないかと思えるほどだった。
例えばこの本を読むまで知らなかったアジア戦争複合体。コロンブス以前のアメリカ大陸に4回にわたって弓矢が伝わったと主張している
The Bow and Arrow in Northern North America の中で、最後の4回目に伝来したとされているものだ。アジアのステップ地帯で発明された複合弓が、ベーリング海峡を経由しておよそ1300年ほど前に北米にやって来たという説で、その際には弓だけでなく小札を使った鎧など他の武器も伝わったという(だから複合体と呼ばれている)。
一方、
「『アジアから来た戦争』と北極圏の弓」 という論文では、アジア発とされる弓について疑問を呈している。アジア戦争複合体のものとされる弓は、もともと北米北極圏に存在していた(遡ると中石器時代の欧州にあった)ケーブルバック弓の一種であり、ユーラシアで新たに発明された複合弓(弓の両端にシヤと呼ばれるパーツがある)とは異なる、というのがその主張。アジア戦争複合体と呼ばれるものは、実際には「ベーリング海峡戦争複合体」ではなかったかと指摘している。「戦士集団は武器をめぐって基本的に保守的」という主張も含め、これまた色々と考えさせられる話だ。
それ以外にも飛び道具の話はUltrasocietyの中にたくさん出てくる。つまりそれだけ飛び道具を理由として過去の歴史を説明しようとする傾向が強い。飛び道具については私も
その影響力が大きかった のではないかと
見ている し、火薬兵器についても
色々と述べてきた 。飛び道具という視点から歴史を見るのは実に好みである。
何より面白かったのは第6章「人間の戦争方法」のところで妙に詳しく書かれている飛び道具と白兵戦に関する学説の紹介だ。ある米国の人類学者は、第一次大戦で銃弾の負傷者が圧倒的に多く、銃剣の負傷がずっと少なかったのは、後者は病院に運び込まれるより前に死んでいたからだと主張。「戦いは常に人と人の間で行われたし、今もなおそうだ。火器は衝撃のための準備などをするにすぎない」と書いているという。もしこれが事実なら凄い話なのだが、Turchinは続いて実際に軍人が調べた結果を紹介。銃剣で負傷や死亡した兵はほとんどいないとの証言を集め、そもそも接近戦になると人はライフルを撃ち手榴弾を投げて戦うものだと指摘している。
実はこの件については、昔
こういうエントリー をアップしたことがある。21世紀になっても銃剣突撃が行われたという話で、これを見ると今もなお人が白兵戦をしているとの主張を裏付ける事例にも見える。ただしこれは滅多にないことだからこそわざわざ報道されたのだろうし、また銃剣突撃が持つ意味が「心理的」なものであった点もUltrasocietyの中で紹介されている研究結果と一致している。
さらにTurchinは、
「西洋の戦争方法」 という本でギリシャ・ローマ時代の白兵戦こそ西洋が世界を支配することになった淵源だと主張されていることを紹介。これをバッサリと切り捨て、飛び道具と機動力の組み合わせこそが「人間の戦争方法」であると強調している。正直、ここまでの一連の話はUltrasocietyの主題とはあまり関係ない気もするのだが、そういう部分について長々と書いてしまっているあたり、この本はやはり生煮え仮説の羅列という性格が強いと思わざるを得ない。
また飛び道具の重要性を強調するあまり、そこまで言うかという部分もある。Turchinによれば狩猟採集社会が平等だったのは、アルファオスが好き勝手やろうとすると周囲の者が飛び道具を使って彼を処刑してしまったから(つまり
処刑仮説 )。実際、そうした事例もいくつか紹介されているのだが、これ、本当だろうか。そうではなく、例えば脳の肥大化によって未熟児を生まざるを得なくなった結果、特に子供の養育に父親の多大な助力が必要となり、オスの間の格差が縮小したと考えることもできそうに思える。ゴリラのようにハーレムを築いても、個々の子供の面倒は母親に投げっぱなしになるため、実際に育つ子供は少ない、むしろ一夫一妻で少数の子供に多くのリソースを投入する方が、オスにとっても包括適応度が高い行動であり、だから近縁の類人猿より平等な社会になったと考えても問題はなさそうに思える。
飛び道具だけでなく、この本ではとにかく戦争の役割を極端なほどに重視している。Turchinによれば実は農業の開始も戦争のせい。完新世に入って気候が安定した結果として各地に狩猟民があふれ、縄張りを確保するための戦争が広まり、そこで生き残るため農業を始めて数を増やす取り組みが広がったという説だ。農業の開始前に2000年にわたって気候が安定する必要があるとの説を
こちら で紹介したが、その2000年の間に狩猟民が地上を覆いつくしたのかもしれない。
農業が始まってしばらくは格差の大きな「アルカイック」社会が広まったのだが、それについてもTurchinは戦争が理由だとしている。平等好きな社会が戦争の必要性から軍事リーダーを受け入れ、それらがやがて「成り上がり」としてやがては現人神まで上り詰めていくという流れについて、彼はゲルマニアの事例を論拠として示している。でも、1つの事例だけで結論を出すのは正直
チェリーピック 。このあたりのデータはもしかしたらSeshatにもあるかもしれないし、そちらを使って調べてもいいんじゃないかと思う。
というか既に「複雑な社会」についてはSeshatで調べ、
生み出した原因として戦争関連だけでなく、農業生産性と農業の持続期間もある ことをTurchin自身が立証している。しかしUltrasocietyの段階でTurchinは「経済や情報処理の優位が大規模な社会への移行をもたらす主要な原動力であったと信じるのは難しい」と記しており、つまり農業のような戦争以外の要因をかなり軽視していたことが分かる。やはり彼がUltrasocietyに記していたことは生煮えの仮説であり、それがどこまで正しいかを調べるにはデータと突き合わせる作業が必要だった、と考えるべきなんだろう。
それ以外では、以前に
こちら で紹介したが、スポーツと格差の話もUltrasocietyの中で触れられている。Turchinは野球やサッカーの事例を取り上げ、チーム内のサラリー格差が小さいほど高い成績を残せるという話を紹介している。Ultrasocietyの要点はグループ間の競争とグループ内の協力がヒトの文化進化をもたらしたという点にあるので、スポーツの話はその分かりやすい裏付けに仕えると考えたのだろう。
基本的にその主張に反対はしないのだが、求められる平等の度合いはスポーツによって違うのではないかとも思う。特に最近そう感じることが多いのは、NFLのQBサラリーが激しく高騰しているためだ。
サラリーキャップ全体に占めるQBのサラリーの割合 を見ると、歴代トップ9のうち実に8人が「現時点での契約」となっている。もちろんここに載っているデータはおそらく完全ではなく、古い時代に同じくらい高額の契約をしていたQBが他にいた可能性はあるが、それにしてもかなり高い割合なのは間違いない。Turchinはスポーツ全体をまとめて結論を導き出そうとしているが、実際にはこちらも細部に色々と検証すべき問題が残っているようだ。
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