生煮え仮説本 上

 Turchinが今年にも新しい本を出すかもしれないので、その前にまだ読んでいなかったUltrasocietyを読了。Turchinの本としては珍しく、とても危なっかしい本だと思った。少なくとも安易に他人に勧めるのは躊躇する。
 この本は専門家向けではなく、大衆向けの本だとTurchin自身が述べている。実際、書籍の中でも大衆向けの本に数式を使うのはご法度だ、と言いながら敢えて1つだけ載せるとしてプライス方程式を紹介している。だがそれを除くと数式はもとより表もグラフもほとんどない。専門家向けの「テクニカル」な本ならともかく、一般向けの本でそのようなものを入れても読み手の邪魔になるだけという判断だろう。
 ところが一般向けの体裁にもかかわらず、内容はかなりマニアック。もっとはっきり言うなら、中身の大半はまだ生煮えの仮説だ。Ultrasocietyが出版されたのは2016年(執筆は2015年)なのだが、どう見てもその時点でTurchin自身がデータを使って確認できたとは思えないような主張が色々と紹介されている。果たしてこんな危なっかしい主張を、専門家でもない一般読者にもっともらしく示してしまっていいのだろうか。

 最も分かりやすいのは、第9章「歴史の軸」で紹介されている枢軸思想に関する説明の部分だろう。後にこの枢軸時代については彼のグループが調べた書籍が出版され、また枢軸宗教と密接な関係のある道徳的な神についてはNature誌に論文を出した(後に撤回)ほか、最近も別の雑誌に改めて道徳的な神に関する論文を出すなど、Turchinや彼のグループはこの件について相当詳しく調べている。
 それだけではない。こうした研究結果については自身のblogでも言及するなど、一つの学説として強く打ち出そうとしている様子が窺える。そこまで自信に満ちた態度で押し出しているのは、これまでも述べた通りこの説がSeshatのデータで裏付けられているからだろう。単なるチェリーピックではなく、大量のデータを背景にした学説であるため、容易にその見解が否定されるとは思えない。だから研究者としても強く主張できる説なのだと思う。
 でもUltrasocietyで言及されている枢軸時代の宗教に関する説明は、これら一連の学説とはいくつも違っているところがあるのだ。最も典型的なのはNorenzayanの唱えた「大きな神」仮説(日本でも彼の本『ビッグ・ゴッド』が翻訳出版されている)に関する評価だろう。Ultrasocietyの中でTurchinは「見られている人々はいい人々だ」というNorenzayanの考えを好意的に紹介し、「宗教は帝国の優れたイデオロギー的基盤であることが証明された」と記している。この時点で彼が、帝国を作り上げるには大きな神が必要だという「大きな神仮説」を受け入れているのはおそらく確かだろう。
 だがその後、Seshatのデータを使ってこの件について調べた彼はあっさりと手の平を返した。前にこちらでも紹介しているが、2020年に書いたblogの中で彼は、かつてはNorenzayanの本について肯定的なレビューを書いていたことを認めたうえで、「科学ではよくあることだが、美しい理論はしばしば醜い事実に殺される」と記している。もし彼が実際の執筆より5年後にUltrasocietyを書いていたのなら、大きな神仮説についてはより慎重な紹介をしていただろう。
 Norenzayanの本だけではない。Ultrasocietyの中で彼は、エジプト新王国の王であるラムセス2世について、アッシリアの王たちと同じ「アルカイック」な国王として描き出している。Turchinの言う「アルカイック」な王とは、大衆との極端な格差を持ち、しばしば人身御供を求めていたような王だ(実例として他にも欧州人と最初に接触した頃のハワイの王を挙げている)。確かにエジプトのファラオは現人神として大衆との間に大きな格差を持っていたのは事実であり、当時のファラオもアルカイックな王に見える。
 だがそれより、Turchinがラムセス2世(紀元前第2千年紀の人物)をアルカイックな王と見なした最大の理由は、枢軸時代が紀元前第1千年紀にあったとするヤスパースの主張をそのまま受け入れていたからだろう。同じことは中国でも地中海や中東、インドとほぼ同時期に変化があったと述べている点からも窺える。春秋戦国時代の諸子百家をもって枢軸時代とするというのは、一般的な説として知られているし、Ultrasocietyを書いた時点ではTurchinもそれを疑っていなかったのだろう。
 だがSeshatを使った分析を行った結果、話がそう簡単でないことが分かった。それを示しているのが、Nature論文の撤回を踏まえてまとめられたTesting the Big Gods Hypothesis with global historical data: a review and ‘retake’という論文だ。この中では道徳的な神の登場時期についてSeshatで取り上げている各地域別により詳細な研究がなされているのだが、それを見るとエジプトで道徳的な神(マアト)の概念が登場したのは紀元前第3千年紀、つまり古王国の時代となっている。逆に黄河中流域では紀元前5世紀から紀元4世紀初頭までの期間を通じて次第に「不在」から「存在」に変わっていったことになっている(Table S2)。
 つまりラムセス2世は枢軸宗教が生まれる前の「アルカイック」時代の王ではなく、むしろ枢軸宗教が生まれた後の人物になる。逆に春秋戦国の諸子百家たちは、その大半が道徳的な神の概念と親しんでいなかったわけで、彼らの多くはむしろ「アルカイック」時代に生きていた。このあたりはSeshatにあるMoralizing Supernatural Punishment Narrative Summariesにまとめられている通りで、中国で道徳的な神がそれなりに広く受け入れられるようになってきたのはやっと東漢(後漢)の時代になってから。間違いなく定着したのは仏教がやって来た時以降だという。
 はっきり分かるのは、TurchinはこれらSeshatの分析を通じた知見を持たないまま、Ultrasocietyの第9章を書き上げた点だ。Seshatデータを使ったより詳細な分析ができないから、道徳的な神と複雑な社会との関係についてあまり細かい分析をしないままNorenzayanの本を肯定的に紹介した。各地でどのように枢軸宗教が広まったかについてきちんと踏み込んだ知識をまだ手に入れていなかったから、ヤスパースの主張通り紀元前第1千年紀に思想が変わったという想定で文章を書いた。そのため、ほんの数年後、より詳細が分かった時点で彼は手の平返しを迫られることになったのだ。

 もちろんより正確な情報が分かった時点で手の平を返すのは間違いではない。むしろ間違った仮説にいつまでもしがみつく方が研究者としての適性には欠けるだろう。君子は豹変すだ。それに第9章で書いている話のすべてが間違いというわけではない。実はこの章でTurchinは枢軸宗教だけでなく、ユーラシアのステップ地帯で進んだ馬匹の利用(つまり騎兵の誕生)についても言及している。騎兵に代表される戦争の激化が、より複雑な社会の必要性につながり、それがメガ帝国とそれを支える枢軸宗教を生み出したというのが、Ultrasociety内で彼が唱えている仮説だ。このうち道徳的な神が複雑な社会をもたらしたという因果の流れは見つからなかったが、複雑な社会や道徳的な神の原因に戦争が絡んでいることは、Seshatを使った研究で判明している。仮説のうち、戦争が大きな役割を果たしたという部分は合っていたわけだ。
 それに、実はUltrasocietyの中でTurchinは手の平返しを余儀なくされる可能性についても予見している。最終章で彼はSeshatが完成に近づいていることに言及し、このデータベースを使えば「過去の説明の大半はこの破壊的創造のプロセスを生き残れないだろう」と述べている。そして実際、他ならぬTurchin自身の枢軸宗教絡みの仮説が、Seshatを使った分析によってあちこちに傷を負った格好となっている。その意味では、たとえもっともらしい仮説でもやはりデータと照らし合わせる作業は重要であることが分かる。Ultrasocietyは、データで確認する前の仮説には色々な穴があることを示す分かりやすい事例となっているのだ。
 もちろん仮説が間違っていること自体には別に何の問題もない。科学的手法とは仮説を立て、その妥当性を調べるという作業の繰り返しであり、たとえどれほど的外れな仮説であっても、それが間違いであることが分かるだけで科学としては「一歩前進した」と言える。TurchinがSeshatを使って実際に分析を始める前に、まず何を調べるかを決めるために様々な仮説を立てたのは、研究者として当然やるべきことをやっただけだ。問題はその仮説の公表方法にある。
 本来こうした生煮えの仮説は別に外に出す必要はないものだろう。出すにしても同じ研究者に提示し、彼らの批判なり助言なりをもらうという方法がより妥当だ。だが一般読者にこうした仮説を出すのは果たしてどうだろうか。彼らから深い洞察や役に立つアドバイスが来る可能性は極めて低い(大半は専門家でないのだから当然)。むしろ彼らに間違っているかもしれない仮説を無防備に提示することで、一般読者を間違った方角に誘導してしまう可能性がある。意図的にやればこういう批判を浴びてもおかしくないやり方だ。
 ここからはあくまで個人的な勘繰りにすぎないが、Ultrasocietyを敢えて出版したのは、Turchinが自分で立ち上げた出版社のラインアップを手早く増やすのが狙いだったのではなかろうか。自由に出版できる体制づくりのためにまずは実績が欲しい。そのためあまり準備に手間のかからない簡単な本を。生煮え仮説をざっくりまとめたような内容になってしまったのは、中身より出版すること自体が目的だったからではなかろうか。
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