ユニバース25実験 下

 Calhounが取り組んだユニバース25実験について、なぜか他の実験と混同した話が出回っているということを前回説明した。彼がこの実験について記しているのは1973年に発表されたDeath Squared: The Explosive Growth and Demise of a Mouse Populationという論文なのだが、それとは別に1962年に発表されたPopulation Density and Social Pathologyという文章で紹介されている話もまたユニバース25実験に関する最近の記事の中に紛れ込んでいる。
 こうした傾向は足元で始まったわけではない。たとえば2013年のblogでは、「過密地域ではどういうわけか、同じ時刻に、皆いっせいにえさ場に行くようになった」という話を紹介している。こうした話は1973年の論文には特に書かれていないのだが、1962年の文章を見ると「個別のラットは他のラットたちの集団の中でなければ滅多に食事をしなくなった」とある。また「求愛ルールを無視したオスが増え始め、メスが巣に入るとその後を付いて一緒に入ってしまうというストーカーマウスが登場する」という話も、1962年の文章に出てくる「探査者」ラットを示す一文だ。ユニバース25実験について書いた論文に、こうしたマウスの行動は記されていない。
 一方でユニバース25の実験をきちんと反映した部分もある。時間経過に伴うマウスの行動変化や、引きこもったマウスが「床の中心部」に集まり、そこで「ときには他の仲間に対して悪質な攻撃を仕掛けることもあった」という記述は、確かにユニバース25実験についてCalhounが書いていた内容のままだ。中には「過疎地では13匹、最過密地域では約8倍の111匹の個体が窮屈に暮らしていた」という表記のように、生まれた子供の数を全個体数と勘違いしたかのような記述もあるんだが。
 複数の実験を混同した記述が昔からあるのに対し、日本語サイトでこの実験に関して「格差社会」という言い回しが登場したのは割と新しい。例えば2021年2月のblogには「ネズミの間に階層ができ、いわゆる『のけ者』が出現した」という記述が存在する。さらに同年8月のblogになると、「マウスの中に格差が生じてきました」という表現になり、メスの間で子供の死亡率に差が出てきたことも指摘されている。
 一方、同年6月の別の記事を見ると「格差」という文言は登場していない。あくまでマウスの異常行動に焦点を当てた記述が中心だ。それに対し、前回紹介した(格差社会を大きなテーマに据えている)こちらの記事は、同年10月のもの。もしかしたら2021年のうちに急速に「格差社会」という言葉とこの実験を結びつける動きが広まったのかもしれない。
 格差ネタにつなげやすい「オスの5つのタイプ」については、2021年2月のこちらの記事で既に詳しく紹介されていた。しかもその中ではCalhounの紹介と順番を変えて「引きこもり」を一番最後のEタイプとしている。格差という言葉は使っていないが、このランク付けっぽい言い回しが「格差社会」という発想につながったのかもしれない。英語サイトだが、同年9月の記事では引きこもったマウスたちを「カースト外」、縄張りを巡って争うオスたちを「アルファ」と呼んでおり、これもまた格差社会を連想させやすい説明がなされている。
 だが遡ればCalhounの研究は「格差社会」とは違う切り口で話題になることが多かった。つまり過密とか個体数の急増といった切り口だ。そもそも1962年の文章が「個体数密度と社会的病理」という題名だし、文中でも過密さがいかに「行動の沈下」と関係しているかについて色々と指摘している。1973年の文章だと論文後に載っているCalhounと研究者たちの議論の中で香港の人口密度にまで話が広がっている。2008年にCalhounの研究について記したEscaping the Laboratory: The Rodent Experiments of John B. Calhounでも、都市の持つ破壊的な力といった話に彼の研究が引き合いに出されたと指摘している。
 ユニバース25実験がなされた20世紀半ば過ぎは、まだ世界人口が急激に増えており、また都市化がかつてないペースで進んでいた時期だった。当時の人々にとっては、まず何より人口増に対する懸念が強かったし、都市の密集した生活が果たして人間社会にとって望ましいものかという議論も多かった。Calhoun自身はヒトとマウスは別物と思っていたようだが、彼の研究から過密な環境が人間にとってマイナスだという主張を引っ張り出したい者も大勢いたことだろう。
 だが、それから半世紀ほどが経過し、状況は大きく変わった。人口はすでに一部の国では減少しており、世界全体でも頭打ちが近いとの意見が出てきている。都市化は継続中だが、それに伴う懸念よりはむしろ都市化と成長が連動しているといった点を肯定的に評価する動きが見られるようになっている。ユニバース25実験を基に、都市化や過密を論拠に将来への不安を煽ろうとしても、おそらく今の読者にはピンとこないだろう。
 そこで引っ張り出されたのが「格差社会」だ。こちらはむしろ今や大きな社会テーマと見られるようになっており、それだけ読者の関心を引きやすい。これに近い現象は英語のサイトでも見られるようで、少し前だが2015年の記事では既にユニバース25実験の問題は「人口問題ではなく公正な分配の問題」と指摘されている。Calhounが実験をやっていた1960~70年代のような「第二次好感情の時代」には、格差や公正な分配という言葉を出しても人目を引く見出しにはならなかっただろうが、時代が巡ってそのあたりの価値観が大きく変化したことが窺える。
 そう、最近になってこの実験を取り上げる記事の多くは、当時のCalhounらの問題意識とは違う切り口で実験を見ている。例えばこちらのblog。元の論文やCalhounが出てくる動画を確認し、25回の実験が行われたといっても「まったく同じ実験を25回やったわけではない」といった指摘をするくらいにはこの実験をきちんと調べた筆者が、一方で足元で起きている社会の変化とこの実験を比較する誘惑に駆られているのが興味深い。
 筆者がまず取り上げたのがインセル。このインセルと呼ばれる者たちとユニバース25実験のマウスたちの間には、全く同じではないものの「明らかにはっきりとした平行」関係があるという。続いて人口減。筆者は日本の例やミレニアルの結婚が遅れている点などを取り上げているが、豊かになり過去に比べれば楽園のような暮らしをしているヒトの数が頭打ちになっている現象は、確かにこの実験と比較したくなるものがある。
 もちろん、実際の実験結果をきちんと反映していない話をばら撒くのは拙いだろう。フィクションなら「面白ければOK」という理屈も成立するが、Calhounの実験はフィクションではない。その結果については嘘や誇張を交えることなく伝えるべきだし、それができていない事例はきちんと批判すべきだ。ネットで見つかりやすい日本語の情報は、その意味では質が低すぎる。せめてこちらこちらくらいの中身が欲しいところ。
 とはいえ、英語情報が全部まともというわけではない。前回、ユニバース25では「貧困層のメス」が90%の子育てに失敗したという話が出回っている一方で、元となる1962年の文献にはそういう数字はないことを指摘した。おそらくこの原因は英語サイトで行われた「伝言ゲーム」。こちらの記事が「死亡率は90%オーバー」と書いたら、それを見たこちらの記事が勝手にオーバーを削ってジャスト90%とし、円グラフまで記してしまったのが、おそらく「90%」という謎数字が出回るようになった原因だ。

 人間は割といい加減に孫引きをし、しかも勝手に文意を変える生き物だ。ユニバース25実験についても同じようなことが行われているし、面白いことにその変化はミームが強まる方向に「適応」しているように見える。いや、ミームがダーウィン的アルゴリズムに従う自己複製子だと考えれば、むしろ適応度が高まるように変化するのは不思議でも何でもないのだろう。だがそれだけに、よく出回っている話を鵜呑みにしてはいけない。自然科学関連の研究なのだから、きちんと事実に基づいて評価すべきだし、そのためにはまず事実を把握する必要がある。
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