ユニバース25と呼ばれる実験が、時々SNSなどで紹介されている。100万再生を超えている
こちらの動画などがその例。米国の研究者である
John Calhounが行った実験で、彼はそこで実験動物の起こした異常行動を観測し、それを
「行動の沈下」と名付けた。この異常行動の行き着く先は実験に参加した動物の滅亡であり、そのため実にシュールな実験として今に至るまで話題になっている。
一体どんな実験だったのか。例えば
こちらの記事によれば、Calhounの実験は「食料や水を無制限に与えて、病気を予防し、天敵のいない環境(楽園)にマウスを住ませると、どのように個体数が増え、どのような行動パターンによって社会を作り上げるのかを観察する」のが目的だったという。そして最大3840匹まで入る実験施設にマウスを入れて実験したが、2200匹まで増えた後は空間には余裕があるにもかかわらずマウスの数は減少に転じ、最後はゼロになった。
具体的には、最初は順調に増えていたこの施設でやがて争いが始まり、格差社会が生まれたという。オスは格差社会の中で、縄張り争いをするボスと中ボス、縄張りを持たない「愛に飢えたマウス」「ストーカーマウス」「引きこもりマウス」という5つのタイプに分かれた。メスも「富裕層のメス」と「貧困層のメス」に分かれ、そして双方の子供の死亡率に大きな差が出てきたという。特に貧困層のメスには子育てをうまく行わない異常行動が増え、それによってやがて個体数の増加が停止。さらには死亡率が出生率を上回り、やがては滅亡へ至った。実験によって生まれた特徴は、全く同じではないとはいえ現在の人類と似通っているのではないか、と記事では最後に指摘している。
なるほど面白そうな実験だし、何となく今の世相とも相通じるところがあるように思える内容だ。もしかしたらどこかのタイミングで今よりもバズったりする場面があるかもしれない。何より、人々がこうした科学実験に興味を持つのは、一般的にいいことだろう。あくまでその実験内容が正確に人々に伝えられているのなら、だが。
前者の論文はCalhounがノルウェー・ラットを使って行った実験だ。実験用の4つの部屋にラットを入れ、食糧や水などを十分に与えたうえで、彼らの行動がどうなるかを観察したという。こちらの実験はユニバース25とは異なるセッティングで行われた点に注意。ユニバース25という実験について書かれているのは2つ目(Fig 1にUniverse 25という文言が出てくる)の文章。1つ目の図と2つ目の写真を見れば分かる通り、両者は異なる施設を使った別々の実験だ。実験動物も後者はラットでなくマウスを使っている。
ユニバース25という実験について伝えるのなら、後者の話だけを紹介するのが正しい。ところがネットに出回っているデータには、あたかもユニバース25のマウスの間で観察された出来事であるかのような書き方をしながら、実際には最初の文章で紹介されているラットの行動を書いているものが多い。上に紹介した「格差社会」の存在などはその典型だろう。
1962年の文章に出てくるオスの記述を見ると、それがよく分かる。実験施設のうち両端に相当するブロックには「ボス」が陣取り、他のオスを相手に縄張りを守ることでこのブロックにいるメスや子供たちを守っていた。一方、中間部分のブロックはラットが自由に動き回れる状態だったために特定のオスが縄張りを守るのが難しく、ここでは「中ボス」が互いに競争しながら常に下剋上を繰り返すような権力争いが演じられた。
それに対し、権力闘争から脱落した「縄張り持ち」以外のラットにはいくつかのタイプがあった。1つは「ホモセクシャルというより汎セクシャル」、つまり誰が相手でも(オスでも発情期でないメスでも子供でも)交尾しようとする者だ。次はCalhounが「夢遊病者」と呼ぶタイプで、彼らはオスメスどちらにも興味を持たず、争いにも参加しないために太って毛並みのいい「最も健康な」ラットだった。
そして最後にCalhounが最も興味深い存在として紹介しているのが「探査者」。彼らもやはり縄張り争いには参加しないが、一方で非常に活動的なオスであり、これまたオスメス問わずに交尾したがるうえに、発情したメスを見るとそれを追いかけて巣の中まで入り込んでいったという。自然状態のラットは求愛行動をする際にも巣の中まではメスの後を追わず、入り口で待ち構えてメスにアピールする。この実験でも縄張りを持つボスや中ボスは同様の行動を取っていたようだが、「探査者」はそうした通常の求愛行動から外れた動きを見せ、メスの巣に入り込んだ際には子供を殺す事例も見られたという。さらに彼らはしばしば共食いも行っていた。
ここで紹介したオスたちの行動が、上に載せた「格差社会」の「5つのタイプ」と同じなのは分かるだろう。ただし格差社会で一番最後(ピラミッドの最下層)として紹介されていたのが「引きこもり」であるのに対し、Calhounは「夢遊病者」について「探査者」より先に言及しており、彼がこうしたオスのタイプについて、あまり「格差」という切り口で考えていなかった様子がうかがえる。Calhounの視点に従うのなら、これらは階層ではなく、あくまで特徴のある行動に基づいたタイプ分け、にすぎなかったのだろう。
オスだけではない。メスについての説明も、実はユニバース25のマウスではなく、その前に行なったラットの実験結果を踏まえた話が載っている。例えば「富裕層のメスが生んだ子供の死亡率は50%」という部分。これはCalhounの1962年の文章を読めば分かるのだが、ボスが守っていた両端のブロックで出産していたメスの子育ての数値だ。彼女らが子供を離乳まで育て上げた割合が50%だったという(Calhounは半数だけしか育てられなかったと書いている)。
それに対し「貧困層のメスが生んだ子供の死亡率は90%」という記述は、ユニバース25の説明としてだけでなく、1962年の文章の紹介としても間違っているという困った一文だ。Calhounによればラットを使った実験では「行動の沈下」が起きたケースと起きなかったケースがあり、個体数の多い真ん中のブロックで子育てをしていたメスのうち、離乳まで育て上げられなかったケースが「沈下」の場合は96%、「沈下」しなかった場合は80%になったと書いている。見ての通り、どちらも「90%」という数字とは異なるデータが出ている。
伝言ゲームのように孫引きを繰り返しているうちに間違った数字が記されてしまった事例なのだ。
というわけでユニバース25の滅亡をもたらしたと紹介されている「格差社会」は、実はユニバース25実験とは別の実験で発生した現象なのだ。ではユニバース25のマウスたちは、ラットたちとは違う行動を見せたのだろうか。2番目の論文の後にはCalhounと他の研究者たちとの質疑応答が載っているのだが、その中でCalhounはマウスが3つの「グループ」に分けられると言及している。縄張り持ちのアグレッシブなマウス、「社会的に引きこもった」もののしばしば他のマウスを攻撃していたため生傷の絶えなかったマウス、そして「美しい者たち」と呼ばれる、飲食と毛づくろい以外に全く興味を持たず、争わないために怪我もしていないマウスだ。
「美しい者たち」という言葉は1962年の文章には出てこないが、怪我をしていない点では「夢遊病者」ラットと似ている。ユニバース25では個体数の増加ペースが落ちた場面(フェーズC)で「引きこもり」のオスが登場しているが、彼らは施設の真ん中の広場にかたまり、ちょっとした刺激で互いに攻撃しあうといった非常に殺伐とした行動を取っていた。それに対して「美しい者たち」が出てきたのは個体数が減り始めた時期(フェーズD)であり、彼らは他者に全く興味を持たず、何ら社会的に意味のありそうな行動はとらなかった。つまりこの3グループは、どちらかと言うと時系列を追って順番に登場してきたと考えられる。
メスについてはさらに格差らしいものが見当たらない。当初はボスに守られたメスがボスの縄張り内に、それ以外のメスが利便性に劣る高い位置の巣に住み着くといった差があったそうだが、多すぎるオスを前にあらゆるオスの縄張り行動が低下した結果、代わりにメスが攻撃的になるという現象が発生。結局はあらゆるメスが自分の子供まで含めて他者を激しく攻撃するようになり、全体の子育て自体がうまく行かなくなった。フェーズCの最後の方に生まれたメスは、ほとんど妊娠すらしなかったという。
要するに「ユニバース25実験」に限るなら、格差社会云々よりも時間とともにマウスの行動がどう変わっていったのか、の方が研究の大きなテーマになっているわけだ。もちろんマウスたちも個体数の急増期(フェーズB)には縄張り争いを派手にやっていたし、その結果としてのステータス格差も存在した(Fig 4)。しかし
「行動の沈下」が始まって以降は、異常行動を取る個体が圧倒的多数になってしまっている。ユニバース25の研究で「格差社会」が大きな注目点であると紹介するのは、おそらく筋違いだろう。
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