ロボー軍団

 ナポレオン漫画の最新号ではリニーとキャトル=ブラの戦いが描かれているが、内容的には引き続き「ワーテルロー・インダストリー」に沿った展開が続いている。例えばデルロン軍団の彷徨について言えば、以前こちらこちらで説明した通り、ナポレオンはこの軍団のみをリニーに回せとは命令してはいない。そもそも彼はデルロン軍団の移動について全く知らず、だから実際に彼らが戦場近くに現れた時にはフランス軍はパニックになった。従って漫画の中に出てくる「デルロンの第一軍団だけでもこちらに回すようにネイに伝えろ」という台詞はフィクションと見た方がいい。
 加えてもう1つ、今回の話にはいかにも「ワーテルロー・インダストリー」らしい話がある。ロボー伯の第6軍団に関する以下のやり取りのところだ。

ナポレオン「…待て! ロボー将軍の第6軍はどこだ?」
スールト「えっ? ロボー? おそらくシャルルロワの近くで…」

 この話は、入門書として知られているOspreyシリーズの中にも出てくる。Geoffrey WoottenのWaterloo 1815: The Birth of Modern Europeの中には、リニーの戦いが午後2時半に始まったところで「戦闘の興奮と熱狂の中でシャルルロワにいたロボーの第6軍団1万人はすっかり忘れ去られていた(中略)。その日のうちに、ナポレオンはこれら2つの戦力[ロボーとネイの一部]のどちらか一方だけでも使えたならと心の底から望むことになる」と書かれている。
 もう1つはワーテルロー200周年に出版されたNick LipscombeのWaterloo: The Decisive Victoryだ。ここでもリニーの戦い関連して「もしロボーが――ナポレオンは彼のことをほとんど忘れ去っていたようだが――リニーの戦いにおける重要な瞬間に手元にいたなら、彼はデルロンと同じくらい効果的に介入することができただろう」と記されている。どちらの場合もリニーの戦場にロボーがいなかったのが失敗であり、その理由としてナポレオンが彼らの存在を忘れていた可能性が指摘されている。
 でもこれらの話は、実際にこの日(1815年6月16日)にロボーとナポレオンの司令部との間でどのようなやり取りが行われていたかを踏まえての議論ではない。デルロン軍団の彷徨に合わせてついでのように言及されているものにすぎないし、ではどうすればロボーがもっと早くリニーの戦場に到着できたのか、そうなるための実現可能性がどのくらいあったのかといった課題についてろくに考えている様子がない。実に紋切り型の批判であり、はっきり言ってむしろこういう批判をする側の方が思考停止に陥っていることがよく分かる事例と言える。
 では実際には帝国司令部とロボー軍団の間でどのようなやり取りがあったのか。詳しく調べているのはやはりde Witなのだが、彼のサイトでは以前見ることができた文章が見られなくなっている。というわけでできる範囲で他の文献などからこの日のやり取りを引っ張り出してみよう。

 まずは同日朝。帝国司令部から各部隊に出された命令の中には、ロボー伯宛てのものもある。ポワローが運んだこの命令(Mémoires du maréchal de Grouchy, Tome Quatrième, p165)には、第6軍団に対してシャルルロワとフルーリュスの中間地点に布陣し、ロボーが一時的にシャルルロワの指揮官となってそこを守るよう命じている。また捕虜や負傷者をアヴェーヌに送ることも求めている。
 次に司令部が命令を出したのは同日午後3時半、場所はフルーリュス前面だ(p167)。そこではロボーに対してフルーリュスに向かうこと、及びシャルルロワとそこにある砲廠を守るために1個大隊を残すことが命じられている。この砲廠に対しては同日朝に「ロボー伯の軍団の防御下でシャルルロワの背後に入れ」(p167)との命令が出されているため、その命令と平仄を合わせるために1個大隊を残したのだろう。とはいえこの2つの命令だけ見ると、ロボーについては朝の命令から午後3時半の命令までの数時間、帝国司令部がその存在を忘れていたかのように見えなくもない。
 だが実際の話はそう簡単ではない。そもそもこの時代の命令のやり取りにどれだけ時間がかかっていたかは、例えばバウツェンの戦い前の状況などからも推測がつくだろう。加えてこの時、紹介した史料には残っていないが、ナポレオンはロボー伯にもう1つの命令を出している。ネイが率いる左翼のところへ士官を送り出し、彼の正面にどのくらいの連合軍がいるかを調べて報告せよ、という内容だ。この命令を受け、ロボー伯はジャナンを送り出している。
 ジャナンが実際にこの役割を演じたのは、彼自身が1820年に記したCampagne de Waterlooの中に「16日朝、[ネイ]元帥が相手をせねばならない戦力を偵察するために私が送り出された」(p13)と記されていることからも裏付けられる。彼は「必要ならネイの左翼を助けに向かうため第6軍団はシャルルロワに残された」(p19)と記しており、その必要性を見極めるのが自分の任務の目的だったとしている。
 ジャナンは決して、回想録の中でいい加減な記憶に基づく適当な主張をしているのではない。de Witがアーカイヴから見つけた史料の中には同日、ロボーからナポレオン宛てに書かれたこの偵察結果の報告がある。ジャナンの判断によれば敵兵は少なかったが森のために正確な判断は難しく、また彼が偵察している間は小競り合いしか起きていなかったと、そこには書かれている。ロボーは次の命令があるまで現在地にとどまると伝え、またシャルルロワ守備の必要性などにも言及している。
 de Witによれば、この文章が書かれたのはおそらく午後1時頃であり、そして3時半前後にはナポレオンの司令部に届いた。さらに遡るなら、朝方の帝国司令部からの命令がまだモン=シュール=マルシエンヌにいたロボーの下に届いたのは午前7時頃であり、それから出発したジャナンはフラーヌ周辺に8時から11時頃までとどまっていたという。単に移動だけでなく士官による偵察まで含めた任務が一段落するには時間を要し、それが終わるや否やすぐにロボーは報告書を上げ、それを受けた司令部はすぐにロボーに移動を命じたことになる。この一連の流れのどこにも「忘れ去っていた」要素はない(もちろん、より素早く左翼の戦況を確認する他の手段はあり得るだろうが)。
 にもかかわらず、いくつかの「ワーテルロー・インダストリー」の中に、ナポレオンは第6軍団の存在を忘れていたという話が紛れ込んだのはなぜか。おそらく大きな理由は、同日朝にスールトがネイ(Mémoires du maréchal de Grouchy, Tome Quatrième, p223-224)及びグルーシー(同、p2-3)に宛てて出した命令の中に、他の軍団については言及があるのに第6軍団には触れられていなかった点にあるのだろう。de Witもこの理由は分からないとしており、もしかしたらロボー伯への命令はこの後に出されたのではとの考えを示している。その場合、ジャナンの偵察は上記の想定よりもずっと短時間で行われたことになる。
 部隊の動向に関する記述が曖昧なのは第6軍団だけではない。ユサール第1連隊については、グルーシーへの手紙とネイへの手紙で違うことが書かれていたりする。だからこれらの手紙に載っていないというだけの理由で、司令部が第6軍団を忘れていたと断言するのは無理があるだろう。ジャナンの言う通り、予備としてシャルルロワの守備も兼ねていた第6軍団を左翼と右翼のどちらに投入するかを見定めるためには彼の偵察が終わる必要があったのだとしたら、午後3時半の時点で彼らをフルーリュスへ向かわせたのはむしろ可能な限り最も早いタイミングであったとも考えられる。
 漫画では「俺もスルトもどうかしている、ロボー軍一万の存在を忘れていた」とナポレオンに述懐させ、さらに「彼らは方向も距離も不都合だ」としているが、一連の記録を見る限り、ナポレオンはロボーの位置についてもきちんと考えて命令を出していたと見る方が妥当だろう。ナポレオンが忘れていたのではないかと主張している者たちは、実際は単に「後知恵」に基づいて安易な批判を行なっているだけと考えられる。

 もちろん漫画で「ナポレオンがロボーの存在を忘れていた」ことにするのは全然かまわない。何度も繰り返している通り、フィクションはそもそもが嘘八百なのだから、史料と辻褄の合わない話がいくら掲載されていても全然OKなのだ。中には自分の考えるリアリティとの齟齬などに不満を述べる人もいるんだが、どうやっても「野暮」にしか見えないのが残念なところ。not for meと思ったなら黙って立ち去るのが、フィクションとの付き合い方だろう。
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