この話は、入門書として知られているOspreyシリーズの中にも出てくる。Geoffrey WoottenのWaterloo 1815: The Birth of Modern Europeの中には、リニーの戦いが午後2時半に始まったところで「戦闘の興奮と熱狂の中でシャルルロワにいたロボーの第6軍団1万人はすっかり忘れ去られていた(中略)。その日のうちに、ナポレオンはこれら2つの戦力[ロボーとネイの一部]のどちらか一方だけでも使えたならと心の底から望むことになる」と書かれている。
もう1つはワーテルロー200周年に出版されたNick LipscombeのWaterloo: The Decisive Victoryだ。ここでもリニーの戦い関連して「もしロボーが――ナポレオンは彼のことをほとんど忘れ去っていたようだが――リニーの戦いにおける重要な瞬間に手元にいたなら、彼はデルロンと同じくらい効果的に介入することができただろう」と記されている。どちらの場合もリニーの戦場にロボーがいなかったのが失敗であり、その理由としてナポレオンが彼らの存在を忘れていた可能性が指摘されている。
まずは同日朝。帝国司令部から各部隊に出された命令の中には、ロボー伯宛てのものもある。ポワローが運んだこの命令(Mémoires du maréchal de Grouchy, Tome Quatrième, p165)には、第6軍団に対してシャルルロワとフルーリュスの中間地点に布陣し、ロボーが一時的にシャルルロワの指揮官となってそこを守るよう命じている。また捕虜や負傷者をアヴェーヌに送ることも求めている。
ジャナンが実際にこの役割を演じたのは、彼自身が1820年に記したCampagne de Waterlooの中に「16日朝、[ネイ]元帥が相手をせねばならない戦力を偵察するために私が送り出された」(p13)と記されていることからも裏付けられる。彼は「必要ならネイの左翼を助けに向かうため第6軍団はシャルルロワに残された」(p19)と記しており、その必要性を見極めるのが自分の任務の目的だったとしている。
de Witによれば、この文章が書かれたのはおそらく午後1時頃であり、そして3時半前後にはナポレオンの司令部に届いた。さらに遡るなら、朝方の帝国司令部からの命令がまだモン=シュール=マルシエンヌにいたロボーの下に届いたのは午前7時頃であり、それから出発したジャナンはフラーヌ周辺に8時から11時頃までとどまっていたという。単に移動だけでなく士官による偵察まで含めた任務が一段落するには時間を要し、それが終わるや否やすぐにロボーは報告書を上げ、それを受けた司令部はすぐにロボーに移動を命じたことになる。この一連の流れのどこにも「忘れ去っていた」要素はない(もちろん、より素早く左翼の戦況を確認する他の手段はあり得るだろうが)。
にもかかわらず、いくつかの「ワーテルロー・インダストリー」の中に、ナポレオンは第6軍団の存在を忘れていたという話が紛れ込んだのはなぜか。おそらく大きな理由は、同日朝にスールトがネイ(Mémoires du maréchal de Grouchy, Tome Quatrième, p223-224)及びグルーシー(同、p2-3)に宛てて出した命令の中に、他の軍団については言及があるのに第6軍団には触れられていなかった点にあるのだろう。de Witもこの理由は分からないとしており、もしかしたらロボー伯への命令はこの後に出されたのではとの考えを示している。その場合、ジャナンの偵察は上記の想定よりもずっと短時間で行われたことになる。
もちろん漫画で「ナポレオンがロボーの存在を忘れていた」ことにするのは全然かまわない。何度も繰り返している通り、フィクションはそもそもが嘘八百なのだから、史料と辻褄の合わない話がいくら掲載されていても全然OKなのだ。中には自分の考えるリアリティとの齟齬などに不満を述べる人もいるんだが、どうやっても「野暮」にしか見えないのが残念なところ。not for meと思ったなら黙って立ち去るのが、フィクションとの付き合い方だろう。
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