イデオロギー統計 上

 TurchinのAges of Discordでは、19世紀以降に米国で永年サイクルに伴う不和の時代が2回来ていると指摘している。それを示すのが同書の表紙にも使われているグラフ(こちらに載っている)であり、そのグラフの論拠はこちらの書評でいくらか紹介されている。
 で、面白い切り口から似たような「2回の不和の時代」の存在を指摘する人がいる。ツイートで紹介されている画像を見れば分かる通り、イデオロギー不和指数(グラフA)と連邦政治の二極化(同B)とが似たような流れ、つまり19世紀から20世紀の変わり目にいったんピークをつけ、足元で再び急上昇するという動きを示している。Turchinのグラフに出てくるウェルビーイング指数とはちょうど真逆の動きだ。
 いったいこのツイートで紹介されているグラフはどのようなデータを使って作成したのだろうか。Have We Passed Peak Capitalism?というエントリーにその辺りの詳しい話が載っている。とても面白いのでここで説明しよう。

 このエントリーの主題は、足元で「資本主義のイデオロギー」がピークを迎えたのではないか、という筆者の仮説を統計的に立証する、というものだ。筆者は資本主義を経済的な仕組みではなく、あくまで現代の社会秩序を正当化するための一連のアイデアだと見ているようで(論拠となっているのはCapital as Power. A Study of Order and Creorderという書籍)、なおかつこの資本主義はかつて社会秩序の正当化に使われていた「封建主義」に取って代わったイデオロギーである、と解釈している。筆者によれば我々の行動はその多くが集合的なアイデアによって動かされているそうで、従ってイデオロギーの存在を分析するのは重要だ、という話になる。
 ただし筆者はそのイデオロギーの分析に際して昔から使われていた「哲学的なアプローチ」(ヴェーバーなどはこの枠に入るのだろう)は採用せず、「統計的なアプローチ」を使っている。その際に大活躍するのがGoogle English corpus。コーパスとはデータ集のことで、Google Booksに蓄積された文献データから集められる各種の単語を使い、イデオロギーの推移を調べようとしている。
 具体的にまずやっているのは、資本主義イデオロギーを文章で表しているであろう経済学の教科書を調べる取り組みだ。Table 1に載っている43冊の本で使われている単語を調べ上げ、それらが教科書内でどの程度の頻度で登場するかをX軸に、さらにEnglish corpus内での登場頻度と比べて多いか少ないかをY軸で示し、分布図としている(Figure 2)。さらにこの分布図を4つの象限に分け、それぞれの単語がイデオロギーの中でどのような位置づけになっているかを調べている。第1象限、つまり教科書内でもEnglish corpusとの比較でも頻度の高い用語はJargon(専門用語)、逆にどちらも低い第3象限をNeglected(無視)とし、それぞれイデオロギー内に占める単語のポジションを確認している。
 Figure 2を見ると分かる通り、経済学の教科書、つまり資本主義イデオロギーにおいては、需要とか価格、マーケットといった言葉が「専門用語」として使われているのに対し、儀式や魂、神といった言葉はむしろ「無視」される対象となっている。一方、特にどのような言葉が専門用語になっているかはFigure 3を、無視されている用語はFigure 4を見るのがいい。後者の中にはキリスト教関連の用語がいくつも入っている。
 次に筆者はそのキリスト教で使われる単語を封建主義イデオロギーを示す事例として分析している。英語圏ではキリスト教が封建制と結びついていたためだ。文献としては現代英語に翻訳された聖書22種類(Table 2)を使い、経済学の教科書と同じような分析を実施した。結果の分布図はFigure 5に示されているが、見ての通り専門用語のところには主、祭壇、司祭といった単語が入っているのに対し、無視されているところにはインフレ、投資家、イノベーションといったいかにも経済学的な言葉が顔を出している。聖書の専門用語にどのようなものがあるかはFigure 6を、逆に聖書イデオロギーが無視している単語はFigure 7にまとめられている。
 続いて筆者は、この2種類のイデオロギーが単語の位置づけの面で互いに対立しあう関係にあることを示している。経済学の専門用語トップ1000のうち、88%は聖書の世界で無視されている単語であり(Figure 8)、逆に聖書の専門用語トップ1000のうち実に90%は経済学の世界で無視されている(Figure 9)。一方のイデオロギーを象徴する文献では他方のイデオロギーが使う専門用語を極端に無視している傾向が窺える。
 以上の分析を踏まえたうえで、このエントリーではそれぞれの専門用語が時代に応じてEnglish corpusの中にどの程度登場してくるかを調べている。Figure 10の線は10年移動平均を示しているが、見ての通り聖書の専門用語がずっと右肩下がりを続ける一方、経済学の専門用語が19世紀後半から上昇傾向を強め、ちょうど20世紀との境目に逆転したことが分かる。この時期に米国では資本主義イデオロギーが封建主義イデオロギーより支配的な存在になったと考えられるわけだ。ただし1980年以降、両者の向きは変わり、経済学用語が減る一方で聖書用語が再び増える傾向が見て取れる。
 さらに別の分析法も使い、この傾向が間違いなく存在するのかも確認している。1つは類似性指数というもので、English corpus全体が聖書あるいは経済学教科書とどの程度似ているかを時系列で追ったものだ(Figure 11)。見ての通り、聖書とEnglish corpusの類似性は時代ごとにあまり変わっていないが、経済学教科書との類似は19世紀後半から急上昇して聖書との類似を超え、しかし1980年頃からはその類似度合いが低下に転じている。
 Google English corpus以外のデータとの比較もしている。1つはSci-Hub、もう1つはLibrary Genesisに収録されている学術論文のタイトルを使った分析だ(Figure 12とFigure 13)。一般書籍まで含んだEnglish corpusとは異なり、これらのデータを見るとどちらも足元では経済学専門用語の登場頻度が聖書専門用語よりも高くなっているが、1980年以降は横ばいが続いており、学術的文章の世界でもこの時期から流れが変わった様子は窺える。Figure 14では資本主義イデオロギーのピークと封建主義イデオロギーのボトムが1980年頃であったと示している。
 さらに筆者はここでTurchinのAges of Discordを紹介。彼が調べ上げた様々な「不和」がイデオロギーの変化と関係しているのではないかと指摘している。そこで筆者が提示する仮説が、イデオロギーの遍在と不和との関係だ。1つのイデオロギーが広く行きわたっている場合、誰もがそのイデオロギーに違和感を覚えなくなるため不和の程度は低い。一方、2つのイデオロギーが拮抗している場合、敵対するイデオロギーの存在がはっきりと目に入るようになり、両者の対立が強まるため不和の度合いが高まる。そういう想定の下に「イデオロギー不和指数」(Figure 15)を作成し、時代ごとにそれがどう推移したのかを調べたのが、最初に紹介したツイートに出てきたグラフだ。
 Figure 16に描かれたグラフを見ると、好感情の時代であった1820年代は聖書の専門用語がEnglish corpusを支配していた時代、つまり封建主義イデオロギーが圧倒的に強かった時代だ。だがその後で資本主義イデオロギーが強さを増すに従って経済学専門用語の頻度が増し、両者の割合がほぼ均衡するに至ったのが世紀の変わり目である1900年頃。筆者が調べた連邦政治の二極化指数がピークを迎えたのと同じ時代だ。
 その後、経済学の専門用語が聖書を圧倒するに従い、イデオロギー不和指数は、どんどん低下を続ける。1980年代は資本主義イデオロギーが一方的に強かった時代で、不和指数は19世紀以降で最低水準まで落ち込むと同時に、連邦政治での二極化も最も低くなる。だが1980年代以降、両イデオロギーは再び拮抗へ向かって進み、政治の二極化も再び進んで19世紀以降で最も高くなる。不和指数と政治の二極化指数の相関係数は0.53となり、そこそこの相関が見られる。
 レーガンやサッチャーが登場し、ソ連を追い詰めることで資本主義がイデオロギーとして最も強さを見せつけていた1980年代は、同時に資本主義イデオロギーのピークであった。新自由主義はその有効性を喧伝した政治家が権力の座にあった時代に頂点に達し、だがその後になって彼らが約束した資本主義のユートピアが実現しないことが明らかになるにつれて、イデオロギーにおける支配力を失っていった、と筆者は見ている。
 問題は資本主義イデオロギーに取って代わろうとしているのが反動的な封建主義イデオロギーに見える、という点だ。中絶の権利を巡る連邦最高裁判決が覆された最近の事例などは、確かにこの懸念を裏付ける動きにも見える。かつては富という麻薬が「宗教という麻薬」(byマルクス)に打ち勝つ要因となったが、今のように鈍化する成長の果実が全て金持ちに流れ込む状態が続けば、本当に反動的イデオロギーが勝利を収める可能性がある。そうなると未来は、キリスト教原理主義が支配するディストピア小説「侍女の物語」のようになってしまうのでは、というのが筆者の結論だ。

 以上、非常に面白い取り組みだと思うのだが、長くなったので感想については次回に。
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