食糧60年史

 ウクライナ戦争で足元少しいい話なのが、ウクライナからの穀物輸出でロシアとウクライナが合意したというニュース。ただその直後にロシアがオデーサ港を攻撃したため、せっかくの前向きな話に影が差した。それでも調整機関が動き出したとの報道もあり、少しずつとはいえ事態の改善につながる期待が(私の中で)強まっている。

 ただし、足元の短期的なトラブルではなくもっと長期的視点で見ると、20世紀後半からの食糧の歴史はいわば人類勝利の歴史と言える。国連の食糧農業機関のサイト、FAOSTATは農業関連の統計を集めており、世界的な食糧生産やら輸出入やらのデータをまとめている。古いものだと1961年からデータが存在しており、この60年の動きを確認することも可能だ。実際、これを使って60年間に世界の食糧生産を見ると、その向上度合いには感心させられる。
 例えば主食類(穀物やイモ類)の中で60年前に生産量が最も多かったのは、実はジャガイモ(2億7055万トン)だったことが、このデータから分かる。三大穀物と呼ばれるトウモロコシ(2億503万トン)、コメ(2億1565万トン)、コムギ(2億2536万トン)のいずれも、ジャガイモには及ばない生産量だった。そして当時、ジャガイモ生産の最大の拠点だったのはヨーロッパ(2億2183万トン)。中でも東欧(1億3999万トン)と西欧(5452万トン)の両地域だけで合わせて世界の生産量の7割超を占めていた。ジャガイモの原産地は南米のアンデスだが、1961年時点の南米での生産量は677万トンしかなく、20世紀にはジャガイモが圧倒的に「ヨーロッパの作物」になっていたことが分かる。
 しかし2020年になるとジャガイモの生産量は三大穀物(トウモロコシが11億6235万トン、コメが7億5674万トン、コムギが7億6093万トン)から大きく離された3億5907万トンにとどまっている。60年かけて生産量は1.33倍にしか増えなかったわけで、トウモロコシ(5.67倍)、コメ(3.51倍)、コムギ(3.38倍)に比べて伸びが小さい。最大の理由は主要生産地だったヨーロッパで生産量がかつての半分以下(1億769万トン)まで減ったのが理由。今ではアジア(1億7860万トン)に生産量で抜かれてしまっている。世界の人口が60年で約2.5倍まで増えたのに対し、ヨーロッパでは1.2倍強しか増えなかったのが大きな理由だ。
 それでもジャガイモはまだ増えているからいい。サツマイモになると1961年に9819万トンあった生産量が2020年には8949万トンと、僅かではあるが減少している。こちらの主要産地は昔から東アジア(1961年当時で8483万トン)だったのだが、その東アジアで生産量が往時の6割ほどまで減ってしまったのが響いている。東アジアはヨーロッパよりは人口が増えている(およそ2.1倍)ので、おそらくは同地域における食生活の変化も影響しているのだろう。経年の変化を見ると2000年頃までは東アジアで年1億2000万トン前後を生産していたのが、その後で急減しているので、21世紀に入ってからの変化が大きい。
 イモ類では同じアメリカ原産地でもキャッサバの増加が大きく、60年で4.2倍以上に増えて今では3億266万トンの生産量に達している。こちらはアフリカ(特に西アフリカ)とアジア(特に東南アジア)という熱帯地域が主要生産地だが、東南アジアは60年で人口が3.1倍、西アフリカに至っては4.7倍と世界平均より高い人口増を記録しており、そうした地域で食糧としての需要が増えたことがこの大きな生産量をもたらした要因だろう。このままだとジャガイモを超え、キャッサバがイモ類で最大の生産量を誇る作物になる時代も来るかもしれない。
 イモ類で最も生産量の増加率が大きいのはキャッサバではなくヤムイモ。元々の生産量が少なかったためだが、60年で9倍近くまで生産量を増やし、2020年には7483万トンに達した。こちらの主要産地もやはり西アフリカで、この地域に限れば生産量は60年で実に10.5倍まで膨れ上がっている。主食というより嗜好品として扱われることが多かったであろうサツマイモを除き、イモ類の生産量は人口増の影響をもろに受けたと考えていいだろう。

 一方、穀物の話はそう簡単にはいかない。上でも少し述べた通り、三大穀物はいずれも60年で人口増よりも高い伸びを示しているのだが、中でもトウモロコシの伸びが突出しているのがわかる。一方、穀物の生産地域を見るとコムギが広範囲に広がり、コメがアジアに集中しているのに対し、トウモロコシはアメリカが最大の生産地だ。60年前に比べて比重は減っているが、今でも全生産量のほぼ半分(5億8209万トン)はアメリカが占めている。
 南北アメリカの人口はこの60年で2.4倍になっており、世界全体と比べて伸び率はあまり変わらない。にもかかわらずトウモロコシがここまで急増しているのは、そもそも大半のトウモロコシはヒト用の食糧ではないからだ。米国では全生産量のうちヒトの食用に使われているのは40分の1にすぎないし、日本でも8割は豚・牛・鶏などの家畜の飼料として消費されている。つまり、トウモロコシの生産量について理解するためには家畜の数を見なければならないわけだ。
 こちらもFAOSTATでデータを取ることができるのだが、60年間に牛の数は1.6倍、豚は2.3倍、鶏に至っては実に8.5倍(ただしこちらは1961年時点とはデータの取り方が少し変わっている可能性あり)に膨れ上がっている。つまり家畜の数が急激に増えたのを賄うため、飼料となるトウモロコシが大量に必要になったと考えられる。コメやコムギに比べてトウモロコシの増加度合いが高いのは、おそらく肉食への需要が高まっている点が背景にあるのだろう。
 なお五大家畜と呼ばれるものの中で、唯一減少しているのが馬であり、1961年の6216頭から2020年には6000頭までわずかながら減っている(羊は1.3倍、山羊は3.2倍に増えた)。他の家畜が乳や肉といったものの活用を目的に飼育されているのに対し、馬は運搬や移動目的に使われていたため、化石燃料の使用が広まると育成するメリットがなくなっていったのだろう。馬の需要減は飼料として使われていたオーツ麦の生産減につながっており、60年前に比べその生産量はほぼ半減している。
 肉の需要は人口の増加より速いペースで膨らんでいる。世界の肉生産量は60年前の7136万トンから2020年には3億3718万トンへと4.7倍に達した。穀物全体は3.4倍、イモ類は1.9倍にしか増えておらず、穀物の中には飼料需要の増加もあると考えるなら、世界的に見て肉食へのシフトが進んでいるのは間違いないだろう。加えてこの60年間には大豆の生産量も269万トンから3535万トンへと13倍強まで増加しており、世界的に高たんぱくな食生活が進んでいると思われる。
 低緯度での栽培が多いイモ類に頼るのは新興国が多く、これらは人口増を反映する度合いが高い。中緯度が栽培の中心地である穀物はより先進国寄りで、人口自体の増減よりも肉食シフトによる影響の方が目立つ、といった傾向が窺える。

 なお注意が必要なのは、収穫量とカロリー量との間には結構差がある点だろう。例えばこちらのサイトで調べると、イモ類であるジャガイモのカロリーは100グラム当たり76kcal、サツマイモは132kcalとなっている。穀物であるコメが356kcal、コムギが337kcalであるのに比べるとずっと低い。実は乾燥重量当たりのカロリーは穀物もイモ類もそれほど変わらないが、水分含有量の多いイモ類はどうしても重量当たりのカロリーは少なくなる。肉類になるとさらに違いが生じ、鶏肉だと200kcal、牛肉は371kcalとなる。肉同様にたんぱく源となる大豆に至っては417kcalだ。
 ただし食物のカロリー量はデータによってかなり異なる。Energy Inputs in Food Crop Production in Developing and Developed Nationsという論文では、米国で生産されるトウモロコシ、コメ、コムギの単位面積当たりカロリー量が掲載されているが、トウモロコシがコメより大きな数字になっている。こちらのデータも同じだ。一方、こちらのQ&Aでは1977年のFAOのデータを基にコメの方が高いカロリー量であると指摘している。FAOのサイトにあるこちらのデータではコメよりトウモロコシやコムギの方が100グラム当たりのカロリーは大きくなっているなど、実に様々。食糧ごとに時系列でどのような変化が起きているかを見るうえでFAOSTATは役立つが、異なる食糧の間での比較は難しい。
 単位面積当たりのカロリーを見るうえでは単位面積当たり収穫量も重要なのだが、この変化も興味深い。この60年に穀物が2.5~3.2倍まで単位面積当たりの収量を増やしているのに対し、イモ類は1.2~1.8倍までしか増えていない。一方、単位面積あたりの収量の絶対値はイモ類の方が高い。1ヘクタール当たりの収穫量はキャッサバで1万トンちょっと、ジャガイモに至っては2万トンを超えるのに対し、トウモロコシだと5800トン弱、コムギは3500トン弱しかない。収量が大きく増えたにもかかわらずこの数字ということは、昔はさらに単位面積当たりの収量に大きな差があったことになる。
 実際にはイモ類は重量当たりのカロリー量が低い点も気にする必要がある。コメとジャガイモの単位面積当たり収量を単純比較すれば両者の間には4.7倍の差があるが、カロリーで見るとその差はほんの1.1倍になる。個人的には途上国ではカロリー摂取量を増やすような農業が、先進国ではカロリーの絶対値よりも肉食シフトなど高たんぱく化を進めるような農業が広まってきた印象がある。例えば日本ではコメの生産量が60年前に比べて4割も減っているのに対し、肉の生産量は実に6倍まで拡大している。
 いずれにせよ1つ言えることがある。緑の革命は20世紀半ばだけに生じた一時的な現象ではなく、今も継続中ということだ。特に穀物ではその傾向が明白で、21世紀に入ってからの20年でも単位面積当たりの収穫量は1.2~1.3倍に増えている。そして人口増にもかかわらず世界の1人当たりカロリーは右肩上がりを続けている。食に関する限り、複雑な社会はなお高い限界利益を生み出し続けているように見える。
 足元の問題は、この高い限界利益が戦争によってどんな影響を受けるかだろう。世界の穀倉地帯であるウクライナとロシアでの地政学的リスクが、具体的にどのような食糧リスクへと姿を変え、それが過去60年間に進んだ高栄養化の流れにどんな影響を与えるのか、気になるところだ。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント