SDTと国際紛争

 ウクライナでの戦争が続いている間に、他地域にも動揺が広がっている。直近で目立っているのはスリランカだろう。経済危機が続く中で大統領が国外に脱出する事態となり、混迷が深まっている。政権交代は不可避っぽいが、一方で政治家の動向に不満を抱くデモ隊が大統領公邸に続いて首相府になだれ込むなど、なかなかの騒動ぶり。治安部隊とも衝突しているようで、これも社会政治的不安定性を示す出来事と言えそうだ。
 背景にあるのは経済危機。インフラ整備のために借金を繰り返した一方、コロナによる影響で観光客が減ったことなどが響いて外貨不足に陥ったという。生活必需品の輸入が滞るようになった結果、政権への不満が爆発したというパターンのようだ。何しろガスが不足してまきや炭を使っての調理を強いられたほどだそうで、そりゃデモも起きるだろう。加えて昨年行われた有機農業へのシフトの失敗、あるいは中国の国営企業に港湾を99年譲渡した話など、過去の失政と思われる出来事もこうしたトラブルの背景にあるのだろう。
 もちろん足元のインフレも響いている。スリランカの物価上昇率は年率換算で54%、食品価格だと80%に達しているそうで、ドル建て債務の多さがこうした事態をもたらしている(アルゼンチンも同様に厳しいらしい)。そして米国務長官によると、ウクライナでの戦争もスリランカ危機の一因となっているそうだ。ウクライナ産穀物の輸出停滞が食糧不足やインフレを加速している、という理屈だろう。
 以前、コロナの感染が拡大し始めた時期に、食糧不足などの影響が最初に出てくるのは低所得国の方ではないかと書いたことがある。スリランカの1人当たりGDPは、コロナ以前は南アジアでも最も高かったそうだが、先進国に比べればずっと低く、世界経済の中では弱い鎖の1つであったと考えられる。JETROのレポートでも、長年放置されてきた「マクロ経済の構造上の問題」が表面化したと指摘している。
 その意味でスリランカの混迷は、自らの政策の失敗に加え、世界的な情勢変化の影響を受けていることも間違いない。コロナの大流行がなければ、足元の世界的インフレがなければ、まだここまで事態は悪化せずに済んでいたかもしれない。これまで親中国政権が存在していたスリランカでの政変はインド洋地域の国際情勢にも影響を及ぼすと見られ、つまり今度はスリランカ情勢が世界的な情勢に影響を及ぼす流れも考えられる。
 スリランカの混乱は永年サイクルとは関係するのだろうか。可能性はありそうだ。World Inequality Databaseによると、スリランカにおける所得上位1%のシェアは1980年当時の14.9%から2016年には20.6%へと上昇している。富の上位1%のシェアは20世紀末に26%ほどだったのが、現状は31%台だ。ジニ係数を見ても1980年代の32.5から2015年には38.7まで上昇している。
 ただし変化率はともかく、絶対水準自体はそこまで高いとも言えない。富のシェアで言えばロシアのトップ1%は50%近い数字を叩き出しているし、ブラジルや南アフリカのようにそのロシアより高い国もある。もちろん米国よりも高い点は注意が必要だろうし、それにボトム50%のシェアがたったの3.7%しかない点は生活苦から社会政治的不安定性が生まれやすくなる要因とも考えられる。永年サイクルの危機フェーズが訪れやすい条件があるとしても、他にも同じような国があると考えられる中でなぜスリランカだったのかを十分に説明できるかどうかを判断するには、さらに細かく調べる必要があるだろう。
 もう一つ、改めて感じるのは、構造的人口動態理論(SDT)と国際情勢との関係をどう見るかという問題だ。SDTが内戦や革命を説明する理論として持ち出されているのは間違いないが、対外戦争との関係を見ると必ずしも直接的な相関があるようには見えないという話は前にも指摘した。最近になって国際関係の緊張度合いが増し、それと相呼応するようにスリランカのような国で内紛が激化しているのには何か関係がありそうにも見えるものの、現状ではそこを上手く整理できていない。
 スリランカの内紛には外部要因(コロナ、ウクライナ戦争、世界的インフレ)も影響しているのは間違いないだろう。でもこうした外部要因が相次いでいるのは、世界的に永年サイクルの危機局面が迫っているためなのか、それともたまたま国際紛争が同じタイミングで起きているだけにすぎないのか。このあたりはぜひSeshatのデータなりCrisis Databaseなりを使って分析してもらいたいところ。最近では戦争と農業が社会の複雑さをもたらしたという話が日本語記事でも紹介されていたが、今後は永年サイクルと国際紛争との関係についてもきちんと整理した研究を読んでみたい。

 一方ロシアとウクライナの戦争はかなり膠着状態に陥っているもよう。ロシア側がかなり戦況を立て直してきたとの見解がSNS上でも増えており、短期でのウクライナ側の崩壊がなくなったのに続いて短期でのロシア軍の崩壊も考えにくくなっているようだ。以前にも書いた通り、ロシア軍は装備(特に砲兵)で勝っている一方、兵数では劣っているわけで、双方とも十分な決め手を欠いた状態で第一次大戦のような消耗戦が延々と続く状態になる可能性が高まっているように思える。
 足元ではロシア軍が東部の掌握に向けて攻勢を続けている一方、ウクライナ軍は南部で反攻に出ようとしているところだという。またウクライナ側は新たに供与されたハイマースを使ってロシア側の兵站攻撃に力を注いでいるそうだが、こちらはそれなりに戦果を挙げている様子。戦況を示す地図には大きな動きが見られないまま、損害のみが積みあがる状況なんだろう。
 侵略を受けたウクライナ側の抵抗が激しいのは違和感はないが、ロシア側もしぶとく戦い続けている背景は何だろうか。一つ、歴史上の事例が参考になるかもしれない。エジプトのマムルーク朝だ。Turchinはマムルークの子供がマムルークになれなかったことを指摘。マムルーク朝では奴隷の購入数によってエリート数を制限できていたため、エリート過剰生産が生じることなく安定した政治体制を続けられたと指摘している。権威主義的、収奪的体制であっても、エリートの過剰生産を抑制してエリート内紛争を抑え込むことができれば、体制は維持できるという説だ。
 ロシアでこの役割を果たしているのは、もしかしたら富裕層の国外移住かもしれない。ミリオネアが1万5000人、ロシア国外に移住するとの予測がなされているが、この数はロシアのミリオネアのおよそ15%に達するという。もちろんウクライナはもっと高い比率(2800人で42%)が国外へ出ていくと見られているものの、ロシアでもかなりの割合で経済エリートが逃げ出す可能性が予測されているのも事実だ。
 こうした事態は一方では経済力のある個人の流出でロシア経済全体にダメージを与えるものの、他方において過剰なエリートが減るというメリットも想定できる。中世イングランドで修道院が果たした役割を、あるいはフィクションで言うなら銀英伝でハイネセンの長征がゴールデンバウム朝を長引かせたのと同じ機能を、ミリオネアの国外移住が果たしているという理屈。もちろん本当にエリートを十分減らせるかどうかは分からないが、大きな北朝鮮と化す覚悟で対抗エリートの排除を進めれば、体制を維持すること自体は可能かもしれない。

 とまあ足元の国際情勢についてもTurchin的な視点で見れば色々と考えるヒントが得られそう、な気がする。そういえば最近ではあるセミナーに登壇した人物がTurchinの話を紹介する、ということがあったようだ。そこで紹介されている内容について細かく言うつもりはないが、一点だけ。Secular Cyclesを「世俗的サイクル」と翻訳するのはさすがに違うんじゃないかな。「永年サイクル」とは言わないが、せめて「長期サイクル」とするのが妥当だと思う。
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