ある意味、ロシアと比較できそうな米国の話があったので紹介しよう。
こうした
「不和の時代」ならではの動きが、典型的な「確固たる民主主義国」である米国の自由民主主義を掘り崩しており、今や米国は民主主義と権威主義の中間である
「アノクラシー」になっているのではないか、というのがKorotayevらの問題意識であり、では具体的にどういった要因がどんな順番で働いてこのような事態が生じているのかについて調べたのがこの文章だ。彼らは色々なファクターに関するデータを紹介し、そのデータを分析することで各要因の関係を探ろうとしている。
まず最初に出てくるFigure 1は、米国の民主主義レベルが低下しているというデータだ。次のFigure 2は米国政治や社会の両極化を、Figure 3では米国政治の腐敗度合いが悪化(数値は減少)していることを示し、欧州と比べても事態が冴えないことをFigure 4で紹介している。Figure 5では政治システムの実効性を、Figure 6ではトップ1%とボトム50%の所得を比べる形で格差の実態を提示している。Figure 7では民主主義を支持しない人の割合が増えていることを、Figure 8では政治制度への不支持も同じ傾向にあることを同じくグラフで示している。Figure 9では米国内で左右両極にシンパシーを持つ人の割合が増えているグラフを出し、最後に政治的紛争に対する平和的な解決法を好む人の割合をFigure 10で紹介している。いずれの要因も民主主義の悪化(解体)を示すような数字があふれている。
以上のデータに基づいたうえで、Korotayevは各要因がどのような経路を通って働いているかを調べる
経路分析を行なっている。実際に分析対象としているのは、民主主義指標、両極化、政治の腐敗度、政治システムの実効性、格差、民主主義の不支持、政治システムの不支持、過激なセンチメント、政治的な暴力を容認する傾向という、これまで紹介してきた各要因に、さらに何らかの知られざる外部要因もあると想定している。各要因が相互に影響し合うという想定をすると分析がうまく行かないようで、この文章ではあくまで一方向での影響のみを想定している。
結果はFigure 11に載っている。矢印の向きを見るとスタート地点となっているのは「知られざる外部要因」なのだが、おそらくこれは「その他」とでもいうべき要因をざっくりまとめた分析上の手法だと思われるので、あまり重視する必要はないだろう。一方、矢印の終着点となっているのは「民主主義」の部分。米国の民主主義指標が低下しているのはそれ以外の様々な要因が重なってもたらされている現象であることが分かる。
矢印の起点として重要なのは、両極化と腐敗だ。政治の両極化と政治の腐敗という、要するに政治エリートの抱えている問題こそが、米国で民主主義の足元を掘り崩す根本的な要因、と推測できる。両極化は政治スケジュールをしばしばデッドロックにぶつけさせることで、また腐敗は政治的リソースをエリートの利己的な目的に誘導することで、いずれも政治システムの実効性を低下させる。
実効性の低下は国民全体を包摂するような政治の機能(希少価値の分配)を低下させ、格差の拡大につながる。また実効性の低下は国民の民主主義や政治システムに対する支持も失わせてしまう。格差拡大で不満を募らせた人々は、民主主義を支持しない姿勢とも合わせて過激なセンチメントを強化させ、そうしたセンチメントは政治システムに対する不信と合わせて政治的な暴力をより容認する姿勢を広めさせることになる。こうした多様な経路を通じ、ただし相互に影響をしあいつつ、民主主義を認める価値観が各所で綻んできている様子が、この図から窺える。
Korotayevらは結論の中で、不和の時代が到来したのは「政府と政治的エリートの質の低下」にあると指摘。彼らが政治システムと社会とのバランスが取れた相互関係を破壊し、国家機関の実効性を低下させたのが始まりであり、それによって民主主義体制に幻滅した大衆が不信感を持って過激化や暴力容認にシフトしたのだと見ている。そのうえでこうした分析は構造的人口動態理論(SDT)と整合的だと述べ、結局のところエリート過剰生産が背景にあると記している。
エリート過剰生産という切り口以外の説明要因として、Korotayevは冷戦終了がアメリカのエリートたちを遠心化させたと指摘している。敵がいなくなったとたんに内輪揉めが始まったという理屈で、なるほど
「君らは自らの天敵をもっと大事にしなければならんのだよ」といった考えなんだろう(Korotayevはロシア人)。ただそれが政治体制そのものへの不信に至るまで激化していった背景を考えるなら、エリート過剰生産という構造的な理由を想定した方が説得力はありそうに思える。
各要因がどのように働きあった結果として現在のような状況に陥ってしまったのかを知るうえで、ここで行われている経路分析はなかなか面白い。何より重要なのは政府の実効性を保つことであり、そのためにはエリートの振る舞いが重要になる、という理屈が分かりやすく示されている。エリートの手前勝手な行動は最終的に体制そのものを危機に陥れるのではないか、という話は
板垣退助の言葉を紹介したころから繰り返し述べているが、その実例がまた一つ積みあがりつつある、とも言えるだろう。
同時に、政治における清廉さというのが、決して馬鹿にしてはならない価値であることも改めて感じさせる研究である。政治家は結果責任さえ取ればいいのであり、清廉さなど求められる職種ではないと考える人もいるだろうが、一方で腐敗が体制そのものへの不信を招く行為であることを忘れてはならない。少なくとも外面的な清廉さを保つ努力はしなければならないし、そう見えない政治家をかばうのは、やりすぎると贔屓の引き倒し(体制そのものの崩壊)へと至りかねない。トライバリズムに目がくらんでいる人々の中にはリーダーの悪徳について見て見ぬふりをする者も大勢いるが、そうした行為自体が体制を壊すための後押しになっている、という意識は持った方がいいんじゃなかろうか。
もっと興味深いのは、民主主義体制が細かい「信頼感の網の目」によって支えられている様子が浮かび上がっている点だ。どこか一部で信頼が失われると、その影響は当該部分だけにとどまるのではなく、様々な波及効果があちこちに及び、トータルとして体制への信用が損なわれていく。
ロシアのような不信感に基づいた権威主義体制の場合、そもそも多くのメンバーが囚人のジレンマで「裏切り」を選ぶことを想定した政治システムになっているのだろうが、民主主義国家は「協力」を選ぶメンバーたちが集まってトータルの利得を増やすよう設計された政治システムなんだろう。だとしたらそうした体制の方が、不信が広まった時には脆弱度合いが高まるかもしれない。信用という価値は損なうのは一瞬で、築き上げるには長い時間がかかるものだが、しばしばそれを壊す人間はそうした事実を理解していなかったりするようだ。
つまり信用というのはそれだけ貴重な資源なのに、今のアメリカエリートたちはそれをあまりに無造作に捨て去ろうとしているように見える。最高裁の行動も、その本音は知らないが、傍から見れば選挙年に自らの党派を有利にするような判決を相次いで出すことで、制度そのものへの信頼を叩き壊そうとしているように思えてならない。目先の金欲しさに金の卵を産む鶏を縊り殺そうとしている真っ最中ではないだろうか。
あくまで絶対値ではなく相対値で見た場合、米国のような体制の方が解体時のダメージは大きい。ロシアのプーチン体制が壊れて次の権威主義体制に変わった場合でも1が0.5になる程度の違いだろうが、米国の民主主義体制が壊れて権威主義体制になれば10が1になるくらいの衝撃がありそう。本当にそうなるかどうかは分からないが。
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