ロシアのエリート調査

 ロシアの金持ちの出国が加速しているという報道があった。資産100万ドル以上を持っている人々がネットでどのくらい流出しているかを調べたデータによると、Covid-19以前の2019年のロシアは5500人の流出だったが、2022年には1万5000人にまで増える見通しだそうだ。もちろん西側の経済制裁などが背景にあるのだろうが、この数はロシアのミリオネア全体の15%に達するという。
 調査担当者によると「歴史上で大きな国が崩壊する時には、普通豊かな人々がその国を離れる動きが先行する」という。実はロシアではCovid-19以前から金持ちが去るトレンドが続いていたそうで、ロシアのウクライナ侵攻はそれを加速した模様。資本の逃避は制裁が厳しくなる前から津波のように起きており、「プーチン大統領のますます気まぐれになっている統治スタイルと、中間層や富裕層に求められる忠誠心」がその原因だという。エリートが収奪的な体制を嫌って逃げ出しているようで、以前計算したロシアの政治ストレス指数があまり上がっている様子がないのは、計算方法の問題だけでなく、対抗エリートの国外逃亡でエリート過剰になっていないのも要因かもしれない。
 ロシアのエリートについては、それ以外にも面白い指摘がある。Survey of Russian Elitesという、1993年から数年おきに行なわれているロシアの外交エリートを対象に行われている調査で、一番新しいものは2020年にまとめられている。基本的に米ロ関係を分析するためのアンケート調査が中心となっているが、例えばウクライナに関する質問なども含まれている。戦争が始まり、ロシアから伝わる情報がプロパガンダ一色になってしまった今では貴重な彼らの本音が窺える資料と言えるだろう。
 何よりも面白いそのウクライナに関する質問には、ウクライナとロシアが「完全に独立した国々」であるべきか、それとも「1つの国に統合」するべきかという問いがある。結果はFigure 6.1に描かれているのだが、相互に独立した状態を支持する比率が67%と調査開始以来の最高値を記録しているのに対し、統合を支持する比率はたったの5%しかない。プーチンはこの調査が行われるより前からウクライナとロシアの一体化を支持するような発言をしていたそうだが、そうした姿勢は2000年代の前半まではエリートたちにも支持されていたものの、以後はプーチンに同調する動きは極端に減っていたことが分かる。
 それに比べれば、ドンバス地域の「人民共和国」に対する姿勢はもう少しプーチン寄りに見える。例えば彼らがロシア領に併合されるなら軍を出すべきと見る人は22%、独立国家になるなら軍を出すが49%を占めており、プーチンがこの両国の独立を承認した時点で過半数は出兵を支持したであろう様子が窺える。ただし出兵反対もそれぞれ2%、28%おり、決して全面的な支持とまでは言えないようだ(Figure 6.2)。またソビエト時代へのノスタルジアも低下傾向にあり(Figure 7.1)、歴史に異様なこだわりを見せているプーチンの姿勢に対してエリートが本当に同意しているかどうか疑いたくなるデータだ。
 一方で外国に対するロシアの軍事力行使については支持傾向が強まっている(Figure 5.2)し、過去20年にわたるプーチンの実績についても、軍事力の強化や世界における影響力や敬意(!)の拡大を認めている声は多い(Figure 5.3)。ロシア国内の政治的安定や所得の平等も進んだと見られており、まだCovid-19が激化する直前のアンケートでは国内政治に関するプーチンの評価も高かったことが分かる。こうした過去の蓄積がモノを言う間は、プーチン体制はそう簡単には揺らがないかもしれない。
 西側に対する不信感も強い。米ロ関係悪化の責任を聞くと「大半が米国」との回答が「大半がロシア」より圧倒的に多く(Figure 3.1)、クリミア併合をすっかり忘れたかのようなグラフになっている。ロシアの安全保障に対する脅威としても、国内問題の解決困難が最も多いものの、「米国の軍事力増強」も高い割合を占めているほか、足元では「西側によるロシアへの情報戦争」も急増している(Figure 2.2)。おもわずこちらの質問コーナーを見せたくなる数字。エリートたちがこうした感覚を持っているのなら、そう簡単には音を上げない可能性が高そうだ。
 こちらのツイートでは第二次大戦後の「国家間戦争の平均期間が約1.1年」というデータを示している。戦争を仕掛ける側がもっとよい条件を引き出せると確信して戦いを続けるためだそうで、そう考えるとやはりこの戦争は長期化を想定すべきなんだろう。改めて、ごく短期間で終わった中越戦争が例外であったのだ。
 ロシアのエリート調査に戻ると、他にインターネットのコントロールに関する質問もなかなか興味深い(Table 9.2)。ペレストロイカ前のソビエト体制が望ましいと考えるエリートはインターネットのコントロールを否定する割合がゼロだったが、支持する割合も25%と限定的。もっと民主的なソビエト体制や現体制を支持するエリートになると反対の方が賛成より多くなり、西側のような民主制を望む人(ソビエト体制支持よりも多い)は7割が反対だ。今のロシアでは政府機関に至るまでVPNを使いまくっているらしいが、このアンケート結果を見る限り当然の反応だろう。

 ISWによると戦況は引き続き膠着しているもよう。15日の報告によると、ロシア軍はセベロドネツク攻撃を続けているものの、町全体を押さえているわけではないという。バフムート=リシチャンシク付近での攻勢も今のところは不成功のようだ。14日の報告を見るとベラルーシが指揮統制のテストに焦点を当てた訓練を始めることが伝えられているが、戦争に参加する見通しは低いようで、この方面で事態が大きく動くわけでもなさそう。
 ロシア軍は弱点となっている兵力を増やすべく、動員年齢の上限を40歳から49歳まで引き上げ、過去の軍務に関する条件も緩和しようとしているらしい。もちろんウクライナの状況も厳しく、こちらは西側に対する武器弾薬の要望を強めている。ただしその「必要数」については色々な意見があるようだ
 正面からの砲撃戦ではロシア側が足元では有利と言われている。ウクライナ側の大半を占める152ミリ砲弾の生産がおいつかず、その部分で圧倒的にロシア側が数的優位を確保しているためだそうだ。単純な火砲の比率はそこまで大きな差はついていないが、砲弾がなければ大砲はただの筒にすぎない。ロシア側も大量の装備を失っているのは確かだろうが、そもそもの国力差を考えた場合、何も考えずに砲弾を投げ合う状態になればロシア側が有利な面があるのだろう。
 実際にドンバスの戦争に従軍している人のルポルタージュでも、ロシアがすさまじい火力運用をしているという。もちろんウクライナ側も抵抗は続けているが、動員兵力の中にはやはり未熟な兵士もいるそうで、最前線からは量よりも質という要望が来ている模様。今回の戦争を見ると徴兵制の復活が世界で進みそうな気もしたが、これを見ると単に数を増やせばいいというものでもなさそうだ。こうなると真のゲームチェンジャーである「プーチン」のより積極的な現場介入を期待すべきかもしれない。
 戦況が膠着している中で、ここまでの経緯をまとめた視点について触れる人も増えてきた。こちらでは、兵器も弾薬も訓練された兵も全部必要との見方が記されているし、こちらでは独ソ戦など軍事史に詳しい著者の「戦争は惨酷さを増しつつ、長期化する」「ロシアか、ウクライナか、いずれかが戦争継続の負担に耐えられなくなるまで、終わらせることはできないのではないか」という、陰鬱な予想が示されている。
 そういった長期的な戦争に影響を及ぼすのは経済。ロシア産の石油を輸送する船舶に対する保険の提供が禁止されるという報道も、そうした経済の先行きを見るうえで重要だろう。実のところ、原油価格の上昇もあって戦争開始後のロシアの石油・ガス輸出収入は戦費を上回っていたようで、保険の禁止がこうした状況をどう変えるかは興味深い。
 石油やガスの輸出だけが経済ではない。ルーブルの下支えにはデメリットがあるとの指摘が出ていたり、失業率が大幅に悪化する恐れが言われるなど、ロシアの経済状況が厳しいとする意見も当然ながらある。トータルとしてどこが一番のダメージを受け、それが戦争継続の意思をどう損なうか、まだそのあたりまでは見えてこない。
 実際に惨劇を目の当たりにしていない人間は楽観主義に陥りやすい面があるんだろう。ラディカル思想に「感染」しやすいのは、国内の父―息子サイクルだけでなく、こういう主戦論になびく人々の間でも見られる現象ではないだろうか。ロシアでは2010年以降から「歴史修正主義本やヘイト煽動本」が出版界を席巻していたそうで、これも一種の「感染」だと思われる。
 なお、ロシアではなく日本での「地政学」ブームを批判する声もあるが、これも手軽に「軍師気分」になれるという意味で、ある種の感染(というかアルコール中毒のような依存症)に思える。こちらのような批判をワクチン代わりに接種しておく必要があったんだろう。もちろん、自分も同じ間違いをしていないか、常に自省する必要がある。
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