ばら戦争中の1471年に起きたテュークスベリーの戦いについて、
日本語wikipedia に奇妙な記述を見つけた。ランカスター軍が「弟グロスター公リチャード(後の国王リチャード3世)によって近くの森に密かに配置されていた騎兵200が自軍の側面を充分攻撃できる位置に布陣してしまった」という部分だ。どこが奇妙なのかというと、
英語wikipedia と比較すれば分かる。そちらによると左翼の森を占拠すべく「200人の騎乗した槍兵に命じ」たのはエドワード4世だ。森に兵を配置したのが誰であるかについて、双方の記述が矛盾しているのだ。
「彼[国王]は、敵の布陣の右翼に木の多い狩猟場があることを考慮し、この森に敵が待ち伏せを置いている場合に対応することを考えて、仲間たちの中から200人の槍を持つ騎兵を選び、戦場から4分の1マイル近くの場所に彼らをまとめて配置し、もし必要ならこの森の一角をしっかりと見張って軍務を果たすように、そしてもしそこに何も見なければ、時と場所において最もふさわしいと考える方法で、できる限り最良の手を打つよう命じた」
p29
見ての通り、Arrivallには明白に国王、つまりエドワード4世が200人の兵を送りだしたと書かれており、グロスター公リチャードの名はどこにもない。同時代の、しかも戦いに参加したと思われる人物の残した史料にそうあるのだから、おそらくそうであったのだろう。つまり英語wikipediaが正しい。
もちろん他の史料にグロスター公が命じたとあるのなら、それが反論材料として使える。ではそうした史料はあるのだろうか。例えばヘント手稿と呼ばれる手書きのフランス語史料が同時代のものとして存在しており、
The History of Tewkesbury の中にはその英訳が採録されている。この手稿はwikipediaにも採録されているミニアチュールが載っていることで知られているが、戦いそのものについてはヨーク軍が「5月4日に攻撃し、我ら祝福された造物主の助けを得て、国王はこの反徒を相手に勝利を得た」(p333)といった短い記述しかない。
要するに英語圏ではこの件について矛盾した記述自体が存在しないと考えられる。そもそもこの森に関して言及している同時代史料が1つしかないのだから矛盾しようがないし、そして21世紀に至るまでその史料に書かれていたのと同じ説明がずっと繰り返されている。英語wikipediaも単純にそれを踏襲しているだけだ。矛盾は英語ではなく、日本語wikipediaで発生したと考えるしかない。
ではいつ矛盾が発生したのか。幸いにも、と言うべきか、wikipediaには履歴表示機能があり、過去にどのように記述が変更されてきたかを調べることが可能だ。テュークスベリーの戦いについて見ると、最初に書かれたのは2006年3月で、その時点では「ヨーク派は大砲で優勢だったのだがサマセット公はそこを読み違え、王弟(後の国王リチャード3世)がサマセット公の側面を充分攻撃できる位置に布陣してしまった」と書いてあったようだ。
この一文は当時の英語wikipediaの記述、The Yorkists were superior in artillery, and Somerset misjudged his battle position just enough to allow the king's young brother, Richard, Duke of Gloucester (later King Richard III of England), to attack their flank.の部分をそのまま翻訳したのだと考えられる。そして日本語wikipediaはその記述を10年以上そのままにしていた。一方、英語wikipediaは2006年12月に「さらに戦術的な狡猾さを示すように、エドワードはランカスター軍の背後で待ち伏せするために200人の騎乗した槍兵の一団を配置させた」との一文を追加している。
その後も英語wikipediaは様々な修正を反映し、文章は膨大に膨れ上がっていった一方、当初存在した「サマセット公が読み違え、側面を攻撃される位置に布陣した」という表現は消えた。一方、原文から消えた文言をずっと残していた日本語wikipediaでは、2017年3月になって突如として文章が書き換えられた。即ち、「サマセット公はそこを読み違え、王弟(後の国王リチャード3世)によって近くの森に密かに配置されていた騎兵200が自軍の側面を充分攻撃できる位置に布陣してしまった」という表現がこの時点で初めて登場したのだ。
英語wikipediaではエドワードが行ったはずの配置が、この唐突な日本語wikipediaの変更ではリチャードの行為として記されている。ただし脚注などは存在せず、論拠は不明。従って日本語wikipediaが何を根拠にこのような文言を入れたのかは推測しかできないが、おそらくこうなってしまった原因は「ばら戦争」を題材とした、いや正確には
「ばら戦争を題材としたシェークスピアの戯曲」を原案としたマンガ の出版にある。
こちら ではそのマンガに出てくるテュークスベリーの戦いについて感想が書かれているのだが、それによると「森に潜ませた伏兵」など「ヨーク側の不利な状況を好転させる戦略を提案し実行するのがリチャード」として描かれているそうだ。どうやらフィクション内ではエドワードではなくリチャードがこの「狡猾な戦術」を編み出したことになっている模様。もちろんフィクションなんだからそんな嘘八百が書かれていても、全然OKである。
しかしマンガに描かれているのは史実ではないし、史実について説明するサイトに採用していい話でもない。にもかかわらず、この逸話を含む単行本が出版された時期(2017年1月)から2ヶ月後、日本語wikipediaにフィクションと辻褄を合わせた記述が登場している。英語wikipediaを見ればこの時点でも森に兵を配置したのがエドワードであることは容易に確認できたはずだが、そちらを調べて裏を取った様子はない。もちろんこのマンガが日本語wikipediaの元ネタであるというはっきりとした証拠はないのだが、一方で私が探した範囲でこのマンガ以外に元ネタと思われるものは見つかっていない。現時点ではマンガを基に日本語wikipediaが修正されたのではないかとの疑念を、私は抱いている。
元々wikipediaが信用ならないソースであることは、
以前にも指摘してきた 。テュークスベリーの戦いについても同じ。まして日本語wikipediaのようにろくに参考文献も載せてない項目は、辞典としての最低限の機能すら果たしていない。ただ幸いにして英語wikipediaのこの項目にはArrivallを含めたより充実度の高い脚注がついている。
脚注が多くてもダメな例 もあるが、この項目について言えばそこそこ役立つと判断できる。
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