ロシアの誤算

 ロシアのウクライナ侵攻は彼らにとって誤算ばかりのようだ。もう6月になるというのにいまだに2月の侵攻開始時に着用していた冬服のままだそうで、兵は暑さと水不足に悩まされているという。独ソ戦のモスクワ攻撃時にドイツ兵がろくな冬服もないまま戦わされたという話があったが、それと逆の事態が引き起こされているらしい。
 今となってはそもそもウクライナ侵攻を決めたこと自体が誤算だったのだろう。ただそうした誤算をしていたのはロシアだけではなかった。Putin's Bad Math: The Root of Russian Miscalculation in Ukraineという記事では、「熟練した軍事評論家の多くが開戦1週間でロシアが勝つと予想していた」と指摘。その予想が無残にも外れた理由について色々と言及している。記事中で主張されているのは、ロシア軍が相手の抵抗手段ではなく意思を打ち砕くことに頼った「勝利の方程式」を使っていたためだそうだ。
 記事中ではJ. Boone Bartholomees jrのTheory of Victoryという概念を紹介している。それによると抵抗力は利用可能な全手段と意思の強さの積で表されるそうだが、一方でこの意思の力というのは非常に推測が難しい。そのため実際の戦略を立てる際には手段の方が尺度としては使い勝手がよくなるのだが、かといって意思を無視するのは拙い。敵を過大評価するのは拙いが、一方で特に自国での防衛にあたる敵に対しては意思の力が大きくなる可能性もある。
 実際、この戦力の事前評価という意味で面白い記事が昨年12月に掲載されている。「ウクライナとロシアの戦争を想定した戦役分析をやってみた」という題名の通り、当時の両軍がどのくらいの戦闘力を持っているのかを調べた内容だ。あくまで予備的な分析だそうであり、また結論については有料部分に書かれているので確認できないが、筆者本人のツイートを見ると「ウクライナは国力でも、軍隊の戦闘力でもロシアに劣勢で、戦闘力の差は4.5倍くらい」になったという。
 計算に際して取り上げられているデータを見ると、国内総生産や両軍の総兵力とそのうち実際にこの戦役で使われるであろう兵力、また装備品の持つ価値や威力といった要素を考えて計算したことが書かれている。注目すべきなのは「意思の力」といった要因を入れている様子はない点だ。純粋に装備や経済力で計算すれば、ロシアの戦闘力はウクライナの4.5倍になったということなんだろう。これは攻撃する際に必要とされる戦闘力(防御側の3倍以上)を満たしているが、一方でウクライナの意思の力がロシアの倍あれば2.25倍と必要な数値を下回るという、微妙な数字だ。
 それを踏まえ、この計算をした筆者はキーウまでに進軍にかかる時間を2週間から3週間と想定している。この期間は、例えば2月上旬に米紙が報じた「キエフは2日以内に制圧」といった予想に比べればずっと慎重だ。さらに筆者は、実際に戦争が始まった時点で「燃料と糧食の補給がどこまで維持できるのかについては私は疑問が残っています」とも指摘しており、専門家の中ではおそらくロシア側にからい評価をしていたと思われる。それでも今の状況に至るほどロシアの誤算が酷かったとは思っていなかっただろう。
 英文記事に戻ると、敵の過小評価はヒトラーもやっていたそうで、有名な「腐った納屋」というフレーズは今回のウクライナ侵攻でもちょくちょく取り上げられている。ナポレオンの侵攻に対してアレクサンドル1世がカムチャツカまで逃げてでも抵抗するとの姿勢を示したのも、過去にあった「意思の力」を読み損ねた事例の一つだろう。プーチンは戦争の素人であり、ナポレオンのような戦争の天才ではないが、やらかした失敗という点では「著しい類似点」があると、記事は指摘している。
 ロシア軍の失敗の原因について、この記事では「戦争の開幕時点でウクライナの戦力を圧倒するのに必要な質量を火力を動員せず」「何万人もの兵に作戦を知らせずに士気の危機を招き」「不必要なほど複雑な機動作戦を選び」「その勢いを維持するのに十分な補給と弾薬を備蓄するのに失敗した」点などを取り上げている。ロシア軍の失敗は彼らの軍事的能力の欠如ではなく、「勝利の方程式」の計算ミスに由来する、というのがこの記事の評価だ。
 ウクライナの抵抗の意思がここまで強固になってしまった以上、たとえロシアが総動員をかけて勝利をつかんだとしても、その果実は惨憺たるものでしかないだろう。専制政治家が相手の意思を見誤り、希望的観測で始めた戦争は、たとえ交渉による和平が最も合理的であっても終わらない可能性が高い。改めて「兵者國之大事死生之地存亡之道不可不察也」という孫子の言葉の正確さを思い知らされる展開になっているのが、今回のロシアによるウクライナ侵攻だ。
 なお話が少し横にそれるが、こちらでロシアのウクライナ侵攻と孫子の言葉を絡めていくつか言及している中に、「兵聞拙速未睹巧之久也」がある。この言葉について「短期決戦に出て成功した例は聞くが、戦いを長引かせて成功した例は見たことがない」と書いているのだが、誤訳じゃなかろうか。兵聞拙速は「短期間で拙い戦い」という意味はあるが、「成功した」とはどこにも書いていない。短期決戦であっさり負ける「拙速」は聞いたことがあるが、長期戦で上手くいくという「巧久」は見たことがない、というのが孫子の言いたいことだと思う。

 誤算から始められた戦争であっても始めてしまった以上は簡単には終わらない。ロシア軍はとにかくウクライナに兵を展開するため「時代遅れの軍事装備」を投入している、というのがISWの指摘。何でもヘルソンではウクライナの反撃を足止めすべく1950年代の地雷を埋め込んでいるんだとか。ウクライナ側の指摘によれば、あまりにも古いため移送途中に爆発し、ロシア兵に被害が出ているという。T-62戦車の話も、こうした旧式兵器投入の一例としてよくSNSで話題になっている。最近は装甲も先祖返りしているっぽい。
 装備の問題はセベロドネツクでの戦闘にも表れているようだ。こちらのツイートによるとロシア軍の歩兵装備は貧弱で、特に夜間戦闘ではかなり不利な状況に置かれているっぽい。当初は「兵力に余裕のあるウクライナが装備で優れているロシアに抵抗」という構図だったのが、もしかしたらロシアは装備でも劣ってきているのかもしれない。もちろん兵力の状況が改善したわけではなく、ISWによればルハンスクの自称「人民共和国」では、住民の抵抗が激しくなったため動員を緩めざるを得なくなっているそうだ。ロシアの動員センターに対する攻撃も相変わらず続いており、戦争開始以来そうした攻撃は18箇所で発生しているという。
 そもそもロシアはBTGというシステムを採用しているものの、それに合わせた訓練をほとんどしていないのではないかとの指摘もある。にもかかわらず6月10日までにセベロドネツクを攻略せよという、戦況を踏まえているかどうか怪しい命令を受けているそうで、相も変わらず合理的とは思い難い戦い方をしているもよう。ロシア軍は全部機動兵力師団をウクライナに投入しているそうだが、こんな戦い方を続けていたのではその兵力もすり減らしてしまうのではなかろうか。
 これだけ長期化しても一向に戦い方を変えないのは、やはり戦争指導者たちが国内政治の方しか見ていないためかもしれない。例えばこちらのツイートを見ると、ロシアのシロビキはソ連時代よりも多く、実に労働人口の6%を占めているそうで、一種のエリート過剰生産が起きているとも考えられる。扇動者たちの中に民族的マイノリティが目立つのも、対抗エリートが過激な言動を取っているだけかもしれない。
 一方で世界的に戦争疲れと慣れが広がっているのも事実だろう。こちらでは戦局を伝えるアカウントからの情報が減っていると指摘しているし、例えばこちらのアカウントも当初は毎日のように戦況の変化を伝えていたが、最近は1週間に1回以下の更新度になっている。1番頑張って継続しているのは、当事国を除くとISW英国防省あたりか。こちらでも触れたように、国際的な関心がどんどん薄れているのは確かだろう。
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コメント

brkn
ロシアはとにかく「作戦」が杜撰で稚拙だった印象です。
歩兵を随伴せず戦車単体で撃破される、道路に部隊の長い列ができて補給がままならない、一般通信回線を使い傍受されて将校がバンバン殺られる など、機能不全は枚挙に暇が無さそうです。
逆にロシアにまともな司令官がいて、準備と作戦をしっかり行えば、ウクライナの意思がどんなに強くともロシア側が勝利する結果になったのではないか?と思います。

desaixjp
これまでの経緯を見ると確かにそう思えますね。
ただ、足元ではロシア側の火力がモノを言う場面も出てきているようです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220615/k10013672281000.html
細かい作戦を展開する余裕がなく、力押ししかできなくなった場面で、皮肉にも国力の差が出てきているのかもしれません。
とはいえここで勝っても、ロシアにとっては「ピュロスの勝利」のような気もしますが。
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