家畜馬の先祖

 Seshatのデータを使った分析では、馬と鉄に代表される軍事革命が社会の複雑さを増すうえで大きなインパクトを与えたとされている。その馬を最初に家畜化したのはポントス・カスピ海ステップ地域であり、時期は今から5000~6000年前。この馬を家畜化した人々はインド=ヨーロッパ祖語を話しており、彼らはやがてヨーロッパへ、またインドへと勢力を広げていった。かれら「ヤムナヤ文化」の担い手に関する話は、こちらなどで紹介されている。
 一方、昨年Natureに載ったThe origins and spread of domestic horses from the Western Eurasian steppesという論文では、実は上記の「馬を利用したヤムナヤ文化が東西を征服した」という見解を否定するようなことが書かれている。それによると、ヤムナヤ文化の象徴としてよく取り上げられるボタイ遺跡で骨が見つかった馬や、それと共通するゲノムを持つモウコノウマは、現代の家畜馬の直接の祖先ではないのだそうだ。
 実のところ、この論文の主要テーマは、現代の家畜馬の祖先がいたのが「ユーラシアステップ地帯西部(ボルガ・ドン地方)」だという点にある。それは邦訳されたこちらの記事にも書かれているし、あるいは英語で配信されたこちらの記事にもある。一方で「実はヤムナヤ文化の拡大は馬とは関係ない」というこの論文の指摘について紹介しているものは、こちらの記事など限られたものにとどまっている。
 一体どういうことなのか。論文のアブストを見ると確かに最初に出てくるのは家畜馬の先祖が西ユーラシアのステップ地帯、特にボルガ・ドン地方だったという指摘であり、これが論文の主題なのは間違いないだろう。ところがその後に論文では、この家畜化された馬は紀元前2000年頃、最古の戦車(チャリオット)を持っていたと見られるシンタシュタ文化の時代に急速にユーラシア各地に広まったのだと書かれている。そのうえでアブストの最後には「紀元前3000年頃にステップのヤムナヤ遊牧民たちが馬に乗って急速に拡大した」という説を否定する結果になったとしっかり書かれている。
 論文の本文を見ると紀元前2200~2000年頃に家畜馬の祖先が西ユーラシアのステップ外であるボヘミア、ドナウ下流域、アナトリア中央部に、それからユーラシア各地に広がり、それ以前にユーラシアの各地にいた他の馬の系統を一掃してしまったと書かれている。この馬たちはスポークのある車輪の戦車を曳いたり、もしくは乗馬したりするのに向いた人為選択を成されていたようで、そうした特徴がユーラシア各地の需要と見事にマッチし、他の品種に完全に取って代わった、というのが論文の結論だ。
 逆に言うならこの馬が急速に広まる前には、ヤムナヤ文化圏を除きユーラシア各地に家畜化された馬は存在しなかった、という理屈になる。ヤムナヤの馬たちはあくまでポントス・カスピ海周辺の狭い範囲でのみ飼育されていたローカルな家畜であり、ヤムナヤ文化の担い手たちである人間が紀元前3000年頃にヨーロッパ各地に広まったのが事実だとしても、その際に彼らが馬を連れて行った証拠はないわけだ。ヤムナヤが「世界最初の騎馬民族征服王朝」であったという説は、この論文を信用するなら成立しなくなる。
 論文では、ヤムナヤ人の荷車は馬でなく牛が曳いた可能性もあると指摘。一方でヒトの骨からはヤムナヤの人間がヨーロッパへと勢力を広げたことが確認されているため、「新石器時代末期におけるヨーロッパの人口減により、ステップ遊牧民が西方へ拡大する機会が開かれた」のではないかと推測している。こちらのエントリーで紹介した論文の付図を見ると、確かに6000年前に急増した欧州の人口密度が5000年前までには低下している。この空白を埋めたのが東方に住んでいたヤムナヤたちであり、彼らは別に馬に乗って攻め込んだのではなく、牛に荷車を曳かせて空いた土地に移り住んできた、という理屈だろう。

 このヤムナヤ人に対する指摘は正しいのだろうか。個人的にはそうとも言い切れないと思う。以前にこちらで紹介した論文では、今から4500年ほど前に欧州に広がっていた縄目文土器文化の時代に、ドイツ南部でどのようなゲノムが見られたかについて触れている。それによると先祖にヤムナヤ文化の人間が含まれていた割合は3分の2に達し、かつ圧倒的に男性が多かったそうだ。
 ドイツだけではない。同じく今から約4500年前のイベリア半島にいた人々のゲノムを見ると、特にY染色体はヤムナヤ出身と見られるものにほぼ置き換えられたという。つまり「ステップ地帯から男性が大量に流入した」と考えられるわけだ。
 もし単純に新石器時代末期に人口が減った分をステップからの移民が穴埋めしたのだとしたら、この極端な男女比は一体どこから生まれたのだろうか。ステップ出身の出稼ぎ人口(大半は男性)が大挙して欧州を訪れ、そのままその地に住み着いた、という解釈もあるかもしれないが、それなら元からヨーロッパにいた男性たちのY染色体が消え去るのはいくら何でもおかしいだろう。それに出稼ぎならいずれ故郷に帰るはず。逆にヤムナヤの故地では極端な男性不足が起きていたのだろうか。
 正直、こうした事態が短期間に起こるのを説明する方法として「戦争による征服」以外を持ち出すのは簡単ではないと思う。むしろ戦争で征服したという前提から、ヤムナヤたちは馬に乗っていたはずだと思い込んでいた部分が間違いなのかもしれない。人口減により社会が荒廃し、組織的に戦うことが困難になった地域に向けて、馬車ならぬ牛車という一種の先端技術を持っていたヤムナヤたちが侵入し、一方的に勝利したと考えた方が、まだ一連の考古学的証拠と辻褄が合うように思われる。
 そうではなく、やはり彼らは馬を使って征服した可能性も皆無ではない。彼らが征服を成し遂げた数千年後、より家畜として適した新しい馬がボルガ・ドン地方で生まれ、それらが今度は交易を通じてユーラシア各地に広まった。かつてヤムナヤたちが連れてきた馬の子孫は、この新しい品種に取って代わられ姿を消した、という可能性もあるんじゃなかろうか。

 馬に関しては少し前になるが、Late Quaternary horses in Eurasia in the face of climate and vegetation changeという論文もある。こちらは馬に関する考古学的資料を基に、4万4000年ほど前から最近に至るまでの期間にユーラシアのどの地域に馬が生息していたかを調べている。
 見て分かるのだが、馬の生息数は完新世に入る直前に一度急減し、それから急回復している(Fig. 1A)。論文によると氷河期が終わり、馬の生息に向いたステップ=ツンドラ地域が森林地帯となったために、馬にとって生息が厳しくなったのだそうだ。ただし彼らは森林に分断されて取り残された草原などに残ってはいたそうで、やがて生息数は回復。最終的にはおそらく家畜化による個体数増もあって数はさらに増えている。
 馬というと中央アジアの寒冷な乾燥帯にあるステップが生息地という印象が強いが、過去の出土状況の分析と当時の気候とを照らし合わせた場合、馬が生息可能な地域は必ずしも寒冷な場所でなくでも可能だったようだ。Fig. 3Aを見ると分かるのだが、アジア地域の出土状況は寒冷なところに偏っている一方、欧州の出土状況に合った気候地域を見ればむしろ東南アジアや南アジア、サブサハラのサバナ地帯など、かなり温暖なところでも生息できたとの結果が出ている。
 馬の近縁種であるロバの野生種であるアフリカノロバ、及びシマウマは元々アフリカに住んでおり、奇蹄類がすべて寒いところの出身というわけでもない。そう考えると馬にしてもかつては割と幅広い気候の下で暮らしていた可能性はある。移動できない植物と異なり、動物は多少の気候の違いにも適応しやすいのだろう。
 この論文の最後では、5500年前にヤムナヤで家畜化された馬(アジア系)が欧州に伝わり、それが改めて欧州の気候に適応したか、あるいは既に適応している地元の野生馬と交配したのではないかとの推測を述べている。残念ながら最初に紹介した論文を見る限りこの仮説は成立せず、ヨーロッパ系の馬はボルガ・ドン地域で人為選択された家畜馬に完全に取って代わられたことになる。それでもヒトと初めて接触した時期の馬の生息域が、今我々の知っている生息域よりも広かったかもしれないという知見は、なかなか面白いものがある。
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