論文で言う「多数経路予測」(Multipath Forecasting, MPF)モデルとは、要するに
構造的人口動態理論 と、
父―息子サイクル を使って、社会政治的不安定性がどのような変化を見せるかを予測する手法だと思ってもらえばいい。Turchinはここでその簡易版について説明しており、より本格的なモデルはまだこれからとしている。ただ、この簡易版モデルでも米国史についての説明には役立つし、今後の予測もできるのではないか、とTurchinは見ているようだ。
論文ではまずSDTについて説明。その理論を使うと2020年にかけて不安定性が増すと予測でき、実際にそうした動きが観察できたと指摘している(Figure 1)。次にAges of Discordでも紹介している米政治暴力(USPV)データベースに基づくデータと、政治ストレス指数(PSI)モデルの数値を並べ、両者が相関している様子を示している(Figure 2)。さらにおよそ50年ごとのサイクル(父―息子サイクル)の存在についても言及している。
このあたりの内容は基本的にAges of Discordなど彼がこれまで説明してきた話のくり返しである。USPVを応答変数、SDT絡みの各種変数(相対賃金、ユースバルジなど)を予測変数として「不和の時代」を説明するのは、彼の議論の骨子だ。ただ、あまりこれまで説明していなかった話もあり、その1例がFigure 4。Turchinは相対賃金のみならず、1945年以降のデータがある世帯所得についても相対所得を調べ、両者がかなり相関していることを指摘している。ただデータの振幅は個人の相対賃金に比べ世帯の相対所得の方が小さいそうだ(これは女性の労働市場参入が増えたのが一因だと見ている)。
またユースバルジについてもTurchinが言及している例はそれほど多くなかったと記憶している。Figure 5を見ると米国の場合、ベビーブーマーが20歳前後を迎えた1960年代が最もユースバルジが大きく、後は1920年代や2000年代に少しばかり高い数字が出ているが、1960年代に比べるとこれらは小さい。父―息子サイクルによる過激派の増える時期とユースバルジがちょうど重なっていたのが1970年頃であったことが分かるデータだ。
続いてTurchinは、モデルを構成する2つの要素について説明をしている。父―息子サイクルについては、前にも触れた通り感染症の拡大について説明した
SIRモデル の応用だ。もう1つのPSIモデルについては、簡易版ということで国家財政難(SFD)を除いた潜在大衆動員力(MMP)と潜在エリート動員力(EMP)のみを反映したモデルになっている。さらにモデルのパラメータとして、相対所得が安定するのは0.9という設定をしている。GDPの9割が大衆の家計に、残る1割がエリート(全人口の1%)に入る時、エリートの過剰生産が起こらず社会政治的な安定が生じる、という想定だ。
以上がMFPモデルの説明だ。このモデルを使い、Turchinはまず過去の米国史においてモデルの計算結果と実際に生じた現象との辻褄が合っているかを調べている。まず最初に計算したのが、1830年代から相対所得が均衡点である0.9より低下し、およそ0.75になったケース。大衆の懐に入るのがGDPの10分の9から4分の3まで減ると何が起きるかをFigure 6に示している。当初エリート平均収入(オレンジの線)は上昇するが、後にエリート数(青い線)自体も急増するため、やがてエリート平均収入は減少していく。また父―息子サイクルによって過激派(赤い線)が増加し、南北戦争期にPSI(緑の破線)がピークになる。
問題はその後。このモデルでは過激派が増えて政治社会的な不安定性が増せば、争いやエリート志願からの脱落などを通じてエリート数がいったんは減ると想定している。だがその後も相対所得が増えないとどうなるか。ほぼ50年ごとにくり返し「不和の時代」が訪れるだけでなく、その時期のPSIが過去よりも高くなり、一方で中間期である「好感情の時代」におけるPSIの最低値も1820年代の水準よりずっと高くなっているのが分かる。つまり平和な時期であっても不安定性は高く、不和の時代になると一段と事態が厄介になることを示している。
だが実際にはそうはならなかった。史実では革新主義時代からニューディール時代にかけて米国では大衆の取り分である相対所得が増えている。これをモデルで計算したのがFigure 7。1900年を過ぎてから少しずつ相対所得が増えた場合にそれぞれの指標がどう変化するかが分かる。見ての通り1910年代に迎えたPSIのピークを回避することはできなかったが、その後の違いは大きい。不和の時代を通じて減ったエリート数はその後は増えることなく、エリートの平均所得も一時的に急増するがその後は均衡点に戻る。父―息子サイクルによるピークは1970年代に再び訪れるのだがその水準は極めて低く、PSIのピークも1960年代にはかなり低くなっている。
というわけで相対所得の変化を反映させたモデルが、過去の米国についてそこそこ実態を反映できている様子が窺えた。それを踏まえたうえで、Turchinはさらに将来予測のためにモデルを動かしている。ただ、過去の歴史においてはSIRモデルで人々が現役で活躍する期間を35年と設定していたのに対し、将来予測の際にはこれを45年としている(20歳から65歳まで社会にかかわる、という設定だ)。そのうえで、1970年から再び相対所得が0.9から0.75まで低下した場合の結果を示しているのがFigure 8である。
基本的な流れは19世紀に起きたのと同じ。最初にエリート平均収入が、次にエリート数が増え、父―息子サイクルによる過激派の増加と相まってPSIが2020年代にピークを迎える。不和の時代を通じてエリートが減ればいったんは安定が取り戻されるが、大衆の所得が低いために再びエリート過剰生産が進み、次の父―息子サイクルによる過激派ピークとなる2080年頃にはPSIの数値もさらに高い水準を記録している。まさに
「歴史は韻を踏む」 だ。
この残念な予想を避けるにはどうしたらいいのか。Turchinが考えたのは2025年までの短期間に相対所得を0.9まで戻すというシナリオ。非現実的な想定だとTurchinも認めているが、その効果は明白にFigure 9に表れている。やはり2020年代の不和の時代は避けられないが、騒動を通じてエリート数が減ればその後はその数が上向くことなく、過激派も急減した後はかなりゆっくりとしか増えない(モデルでは過激派と接触しなくても一定の割合で過激派になる人間がいるという想定)。そしてPSIは好感情の時代レベルまで低下し、そのまま底這いを続けている。
もう少しゆっくりと相対所得を引き上げた場合(つまりより現実味のある設定)でも、効果は似ている。違いは一時的にエリート平均収入が増えるくらいで、後は同じ。足元の不安定性を避けることはできないし、短期的にはエリートたちの不満がさらに高まるリスクはあるが、長期的に見れば社会の不安定性が再度上昇するリスクをそれだけ抑え込めるという結果を導ける。
もちろんそれはモデルが正しい場合。このモデルは各要素間の相互作用を十分に反映しているかどうかわからないし、現実には設定したパラメータが途中で変わっているかもしれない。2020年の予測が当たったことですら「単なる偶然」の可能性は否定できない。従ってもっと多くの事例を調べる必要があるし、そのためにCrisis Databaseの充実が必要となる、というのがTurchinの結論だ。
永年サイクルと父―息子サイクルを示すそれぞれのモデルを組み合わせ、今後の予想に役立てるという発想はとても面白い。実際、どのタイミングで父―息子サイクルのピークが訪れるかは結構重要で、米国の場合は両方のサイクルがきれいに一致した南北戦争の惨劇と、見事に逆になった1970年前後とで、被害の度合いがかなり異なっていた。2020年代については人的損害はまだそれほど大きくなってはいないが、モデルが正しいなら警戒すべきタイミングで重なっていることになる。
とはいえこのモデルはTurchin自身の言う通り簡易版だ。本格的なモデルがどんなものになるかはとても楽しみだし、今後とも注視しておきた。一方でモデルは複雑になりすぎると応用が効かなくなる恐れもあるため、やりすぎないでほしいという気もする。まあこのあたりは実際に本格版モデルが出てきてから心配すればいい話だが。
そしてもちろんCrisis Databaseがどんなものになるかも気になる。というか歴史好きからすれば、モデルもさることながら、事実を積み上げたデータベースの方がよほど重要かもしれない。Hoyerらのプレプリント論文にしてもそうだが、データベースを作るとそこから色々な考察が生まれてくると期待できるのがいい点だ。いやあ楽しみ楽しみ。
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