1つは「より希望に満ちたポジティブなもの」。4つの事例すべてにおいて大衆のウェルビーイングを回復させ緊張を緩和した主要な要因は制度改革だった点がそれにあたる。共和政ローマでは代表制の拡大(平民階級の政治参加)やリソース再配分が、19世紀英国や20世紀米国では賃金や雇用の保護などが、そして19世紀ロシアでは農奴解放や教育・司法システムの規制などが、そうした制度改革の例だ。いずれにおいても改革は大衆の困窮化と不安定性の増大というトレンドを逆転させ、人口の大半でウェルビーイングの進展につながった。また貧困や労働条件の改善プログラムといった新たな舞台をエリート志望者たちに与え、エリート内の緊張を解きほぐすこともできた。
こうした改革を成し遂げることができた社会では、危機の接近を予測できたエリートの能力が重要だったように見える。4事例のいずれもステージ3や4まで進んだ様子はあるし、社会の分断も進んでいたようなのだが、彼らは改革のために必要な支援を集めることはできた。共和政ローマでは平民階級の懸念に対応でき、英国と米国は経済エリートらが改革を支持した。ただしアレクサンドル2世によるロシアの改革では地主エリートたちの反発が強く、それが改革の効果が持続した期間を短くした要因ではないかと見られている。
つまりこの「ポジティブな解釈」によれば、エリートが自らの身を切る改革に同意することが危機の深刻度を下げる大きな要因だった。さらにこうした同意は「金ぴか時代」に相当するステージ2か、遅くともステージ3の早い段階までに確保しておく必要がある。それ以降になると改革を成し遂げるために必要な財政と権威を国家が失ってしまい、エリート内競争が激しくなりすぎてしまうから、だそうだ。
一方、より悲観的な解釈もある。改革の成功と深刻度を下げるのに主に役立ったのは、エリートの行動ではなく「いささか外生的な要因」だったとの説だ。実はこの4事例すべてにおいて、危機の数十年前に主に軍事的成功を通じて領土の拡大が成し遂げられている。この領土拡大は、政府が改革を行ない不安定性を鎮圧するのに必要なリソースを与えてくれるうえに、戦争によって人口増をスローダウンさせ政治ストレス指数のカーブを平らにする効果ももたらす。要するに国内の不満を国外へと逸らす「外部化」に成功したのがこの4事例だった、という理屈だ。
確かに共和政ローマは紀元前500年頃の支配領域(800平方キロ)を2世紀後にはほぼ倍(1500平方キロ)まで拡大している。英国はフランス革命戦争からナポレオン戦争期に植民地を増やし、アメリカは
Manifest Destiny と称して太平洋岸まで領土を広げていた。ロシアもまたナポレオン戦争後にヨーロッパ方面に領土を拡大していた。加えてローマと英国は広げた領土に多くの植民者を送り出し、また改革後も領土を広げるのに成功している。
領土拡大と対外戦争は国内のエリートに対し、戦争努力に大衆を巻き込むための配慮を強いた。彼らは戦争の果実を使って大衆の困窮を救う方策を取るようになったというわけだ。もし対外戦争がなければエリート内で必要な改革への支援を得るのは難しく、それは結果として革命や内戦にまで至る内部対立を招いていたのではないか、とHoyerらは記している。このあたりは
ScheidelがEscape from Romeで使った「反事実」を使った考察法 と似た手法だ。
そしてもう1つ、論文中では政府機関の強さも重視している。ローマとロシアは改革前後も政府機能はあまり強化されることはなく、その結果として改革によって得られた利点は完全に制度化されなかったという。ローマでは引き続き貴族階級が権力を持ち続け、紀元前2世紀半ばにはまたもや大衆の困窮化が進むことになった。これがやがて内乱の一世紀をもたらしたのはよく知られており、最終的に帝政ローマという形の新しい制度化が成し遂げられるまで不安定性は残った。またロシアでは改革後も農民の負担が重く、エリートも収奪的な行動をやめなかったため、ほんの数十年後には革命が引き起こされている。
逆に英国と米国は改革を制度化し、それを支える国家機関も揃っていたため、危機の先送りをせずに済んだ例となっている。英国は18世紀の軍事=財政国家が改革を担うことになり、それが20世紀には最低賃金法や老齢年金、健康保険といった新たな改革ももたらした。革新主義時代に改革を行った米国はニューディールでさらに失業対策や年金の拡大を進めた。先送りした同じ問題にやがて見舞われたローマやロシアと異なり、英米は政治ストレスを効果的に抑え込むのに成功していたわけだ。
そのうえで論文は、危機というのをどのような時間軸で捉えるべきかという論点を提示。現時点での結論として、特に格差の拡大が危機の動因であり、エリートと政府機関の役割が改革には必要であると指摘している。また、改革に必要なリソースを考えると、いかに早い段階(ステージ2)で問題を把握し対処するかが問われているとも指摘。対応が遅れると改革は一時しのぎとなってしまい、より破滅的な結果を導きやすくなると記している。エリートが短期的な利益を犠牲にすることで長期的な危機の回避が成し遂げられるという意味で、一種の
「囚人のジレンマ」 問題と言ってもいいかもしれない。
だがその解釈よりも力を入れて書かれているのは、エリートや国家という主体の自律的行動に可能性を見出す解釈だ。つまりこの論文で言いたいのは「お前ら(エリート、国家)がやる気を出せば危機は避けられる」という主張なんだろう。エリートが血を流し、国家がきちんと制度化する仕事をこなせば、惨劇は起きない。それもできるだけ早いタイミングで、まだ大衆の困窮化やエリート過剰生産、政府の機能不全といったトラブルが生じるより前に、すぐ行動を始めなければならない。遅れれば遅れるほど危機への対処能力は奪われ、破滅は拡大する。だから急げ。そうすればまだ間に合う。
もちろんこれは予備的な論文であり、よく調べれば危機を抑制する方法がきちんと見つかる可能性はまだある。また実際には複数並んでいる解釈の中間あたりに真実が転がっていることもありそうだし、今は見過ごされている成長の種がどこかで芽吹いていることだって考えられなくはない。希望に満ちたポジティブな将来を思い描くだけの論拠がまったくないとは言えないだろう。
それでも個人的には、あまり明るい将来を感じさせる研究には見えなかった。だが重要なのは見え方がポジティブかネガティブかではない。歴史的に事実がどうであったかを知るヒントが、この研究の中にどこまで含まれているか、だ。その意味では非常に面白くためになる研究だったと思う。
スポンサーサイト
コメント