危機の深刻度分析 上

 以前こちらの記事で、Seshatの運営に携わっているDaniel Hoyerが過去の歴史上における危機の深刻度が低かった事例を4つ示していたことを紹介した。ただ彼がそう話していたのは時間の短いウェビナーであり、4つの例が紀元前4世紀のローマ共和国、1830年代の英国、1860年代のロシア、そして20世紀初頭の米国であることは分かったものの、それらの社会でなぜ危機の深刻度が低かったかについての言及はなかった。どのような条件が深刻度の高低と相関しているのか、その部分についてはいわば「今後のお楽しみ」状態だったわけだ。
 で、そのお楽しみについて少しばかりだが回答が出てきた。Hoyerが筆頭著者となっているプレプリント、Flattening the Curve: Learning the lessons of world history to mitigate societal crisesが閲読てきるようになっていたのだ。とはいえ内容はまだVersion 1であり、しかもアブストにはこのプレプリントについて「予備的な分析」と書かれている、つまり回答自体がまだ半煮え状態ではあるが、非常に知りたいテーマであったためにさっそく読んでみた。期待通り、なかなか興味深い内容となっている。

 プレプリントでは50の歴史的社会について危機の深刻度がどのくらいだったかを調べ、そのうち深刻度が特に低かった上記の4事例について詳細を述べて共通項を探る、という手順で分析結果が書かれている。50の社会についてはSupplemental materialsに記されているのだが、こちらの題名はBreaking the Cycle: Exploring Ages of Discord That Weren'tという、本文とは異なるものになっている(理由は不明)。具体的にどの社会について調べたかはAppendix 2に一覧が紹介されており、古いものは紀元前22世紀のエジプト古王国の崩壊から、最も新しいのは20世紀初頭の米国革新主義時代までカバーされている。
 一覧表(Table A2.a.)の右端に載っているのが深刻度(Severity)だ。その計算についてはそれぞれの危機が12の「結果」のうちどのくらいをもたらしたかで測っている。人口減、人口崩壊、疫病の発生、エリートの下方への社会的流動性、エリートグループのせん滅、大規模な大衆革命、内戦、1世紀以上にわたる戦争、政治的な断片化、外国勢力による征服、支配者の暗殺、制度改革がそれらの「結果」であり、多いものになると10個(11~12世紀のルーシ)や9個(8~9世紀の唐、13世紀の宋)の破滅的な結果をもたらしている。どのくらいの数の社会がどの程度の深刻度を記録したかは、プレプリント本文のFigure 2に記されている。
 その中で深刻度の低さが目立っているのが、紀元前4~3世紀のローマ共和国(1個)、19世紀のヴィクトリア朝英国(同)、アレクサンドル2世の改革期ロシア(2個)、そして革新主義時代の米国(1個)となる。これらの社会が危機の時代にどのような歴史をたどったかについては、Supplemental materialsのAppendix 3から6までに年表その他のデータという形で記されている。それらのデータを基に分析した内容は本文の方に含まれている。
 ただし本文内では個別事例を取り上げるまえに、危機局面の社会が一般的にどのような変化をたどるかについて図示している(Figure 1)。国家、エリート、大衆のウェルビーイングがそれぞれどう変わっていくのかグラフ化したうえで、Hoyerらはこれを5つのステージに分割している。TurchinらはSecular Cyclesで永年サイクル全体を4つの局面に分けてみせたが、プレプリントではあくまで危機へと至る局面のみをより細かく分けた格好だ。
 といってもステージ1はTurchinらの言う成長局面とほぼ同じ。人口や経済が成長し、また格差はそれほど大きくない状態を指している。ステージ2になると人口増は続くが領土や経済の成長はスローダウンし、結果として大衆の困窮化が始まる。しかしエリートたちは困窮する大衆の「安い労働力」の消費者として富と贅沢を享受できる立場となり、再配分についての改革には抵抗する。Hoyerらはこのステージについて「金ぴか時代」と呼んでる。
 ステージ3になるとエリートとエリート志望者の数が増え、一方で分割すべきパイの拡大は停滞する。また権力の座とそれを望むものの需給も締まってくるようになる。この局面はエリート過剰生産とエリート内競争の時代であり、しばしばポピュリスト、デマゴーグが力を増し、党派争いが激化する。ステージ4になると事態はさらに厳しくなり、大衆のウェルビーイングの低下、エリートの脱税行為の進展によって国家財政難が厳しくなってくる。
 そしてステージ5になると引き金となる出来事(暗殺や暴動、飢餓や自然災害)を通じて暴力的な時代に突入する。危機の到来だ。しばしば暴力を伴うこのステージの最後にようやくサイクルがリセットされるのだが、それは時には外国勢力による征服になるし、あるいは社会が争いに倦んで暴力が止まることもある(単に混乱を数世代先送りにする場合もある)。非暴力的な抗議や制度改革といった平和的な手段で危機が解決されることもあるが、それは「珍しい事例」というのがHoyerらの考えだ。

 その珍しいケース、危機を回避し、政治ストレス指数のカーブを平らにできた4事例について、論文は個別に色々と説明している。興味深いのは各事例の冒頭に記されている構造的人口動態理論と関連しそうな各種のグラフだろう。政治ストレス指数は潜在大衆動員力(MMP)、潜在エリート動員力(EMP)、国家財政難(SFD)という3つの要素で構成されているが、例えば共和政ローマのグラフ(Figure 3)では全人口(MMP)、貴族階級が持つ公職の割合と上級職を手に入れた新たな一族の数(EMP)、そして蜂起や抗議といった不安定性イベントの推移が載っている。
 共和政ローマでの危機の時代は紀元前500年頃から300年頃まで。さすがにこれだけ古い時代になると十分なデータを揃えるのは無理だったようで、グラフは密度が薄く、カバーできていない時期も多い。ただ見る限り危機の時代に入ると大衆の人口増はペースが落ち、またその時代の特に前半はかなりエリート内競争が激しかった様子は窺える。不安定性イベントで見ると後半になってもトラブルが多い時期はあったようだが、大爆発は避け小規模なトラブルのみに抑え込んだとも解釈できそうなグラフではある。
 次に19世紀英国のグラフ(Figure 4)を見ると、人口が急増し、身長は危機の時代に右肩下がりとなっている。だがこの時代に実質賃金はむしろ上昇を始めつつあるわけで、必ずしも大衆の困窮化が一方的に進んだとは言い難い面もある。身長についてはこちらでも指摘したが、志願兵制を取っている国のデータは全体像を把握するには適切でないとの指摘もある。EMPで見るとエリートの高学歴化は確かに危機の時代に進んでいるが、その後の方がペースは早まっている。むしろSFDと不安定性イベントがその序盤に高まったものの、その後は落ち着くか横ばいになっているのを見る限り、政治ストレス指数はそれほど上がらなかったようにも見える。
 同じく19世紀ロシア(Figure 5)だが、こちらは確かに危機の時代に人口が増え、実質賃金が低下している。ただ英国とは逆にこちらではむしろ身長が伸びているわけで、やはり単純に大衆の困窮化が進んだと見ていいかどうかは不明だ。エリート過剰生産が危機の前に進んでいた様子は窺えるが、危機の最中にそれがどう変化したかは不明。SFDの数字はカバーしているのが危機の序盤までであり、不安定性イベントは危機の前半に増えたが後半にはやはり落ち着いている。英国と似たようなグラフと言えるだろう。
 そして最後に20世紀初頭の米国(Figure 6)だ。こちらについてはTurchinがAges of Discordで詳細に分析しているのだが、見るとそもそも危機の時代には(人口は増えているものの)平均賃金も身長も上昇し続けているし、富の格差はその直前に急速に縮小している。SFDは戦争の影響で増えている場面があるが、急増したのはむしろ危機の時代よりも後だし、不安定性イベントは危機の序盤に急増した後は逆に急低下している。Hoyerらは文中で、危機の時代とされる1914-1939年よりもその前の革新主義時代に大きな変化があったように見えると指摘しており、それはまさにその通りだろう。
 この4事例についてはグラフだけでなく文章でその政治ストレス指数の動向、危機の結果を形作った要因、PSIのカーブが平らになったその概要などについて説明している。個別には自動翻訳でも使って読んでもらいたいのだが、その際にはSupplemental materialsへの言及もあるのでそちらも参照した方がいいかもしれない。例えば共和政ローマについていえば外国との戦争、19世紀英国なら近代初期から19世紀にかけての政治ストレス指数の推移、ロシアのSFD、米国での百万長者の数や失業率といったデータも掲載されている。
 こうした事例研究を経てHoyerらがどういう結論を導き出したかについては次回。
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