批判的と言っても書評を寄せたメンバーによって批判の度合いは違っている。Ian Morrisはかなり控えめな物腰での疑問点提示を中心にしているし、最後に出てくるGary FeinmanもGraeberとWengrowが「近代と西欧の台頭を自画自賛するような枠組みに挑戦している」点を評価している。少なくとも野心的な取り組みを進めた点は賞賛すべき、というスタンスだろうか。一方、Scheidelよりもさらに厳しい批判を浴びせているのがMichael E. Smith。彼によればGraeberとWengrowの仕事はそもそも学術のレベルに達していないそうだ。
そして、これまたScheidelと同じであるが、GraeberとWengrowが定量的分析を軽視している点もSmithは批判している。どうやらGraeberとWengrowは「もし世界史をジニ係数にまとめてしまうなら、間違いなく愚かしい事態になるだろう」と述べたうえで、その手のデータを完全に無視して議論を進めているようだ。これについてはMorrisも「ジニ係数を完全に無視するのはさらに愚かしい事態を招くのではないか」(Stop making sense, p13)とツッコミを入れている。Smithはさらに人文学者たち全体のデータ軽視の姿勢を「馬鹿げている」とまで書いている。
ここまで手厳しいことを書いている書評はそこまで多くはないと思うが、Smithが危機感すら感じさせるような書き方をした一因は、おそらくこの本が英語圏でかなり歓迎されている点にあるのだろう。Hoyerによれば彼らの本はダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」、ピンカーの「暴力の人類史」、ハラリの「サピエンス全史」などと並ぶほど話題になっているのだそうだ(Introduction to Special Issue: Leading Scholars of the Past Comment on Dawn of Everything)。Morrisもダイアモンドとハラリの本を引き合いに出している。正直、ダイアモンドとピンカーの本はまだしも、ハラリに続いてこの本が話題になるというあたり、英語圏における人気本の質が低下しているのではないかと疑いたくなるところだ。
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