続・ロシアPSI

 前にロシアの政治ストレス指数(PSI)についてざっくり計算してみた。かなり大雑把な計算だったが、潜在エリート動員力(EMP)の代理変数に学歴を取り上げた点について、ネット上で大学進学率が8割を超えているとエリートと大衆の境界が不明瞭になるのではとの指摘があった。これは確かにその通りで、Goldstoneが学歴を使った近代初期と違い、今だと高等教育をEMPの代理変数として使うのは難しいかもしれない。
 それによく見ると潜在大衆動員力(MMP)の計算に「下位50%の所得シェア逆数」を使っているのだが、下位50%だと大衆としてのカバー範囲が狭すぎるだろう。せめて下位90%くらいで見なければ、構造的人口動態理論が想定している「大衆」の動きを把握できない。彼らの所得シェアを、Turchinが使っている大衆の相対賃金の代理変数とすれば、比較的古い時期までデータを遡れる点もメリットだ。何しろILOのデータベースを使ってもデータが遡れるのは1997年までで、しかもかなり途中に抜けている部分が多い。World Inequality Databaseの方が長期間の数字が取れるのだ。
 また下位90%の所得シェアを相対賃金の代理変数として使えれば、Turchinが活用しているEMPの算出方程式をロシアにも適用することが可能になる。そう、前にも書いた通り、TurchinもEMPの計算に際しては結構モデル頼りだ。具体的には、例えばThe 2010 structural-demographic forecast for the 2010-2020 decade: A retrospective assessmentなどに計算式が載っており、それをロシアにも適用できる。
 Turchinは大衆の相対賃金を基にエリートの数やその収入を計算している。まずは大衆とエリートの数が安定するような相対賃金を想定。それより相対賃金が下がれば、それだけ余剰利得がエリートに流れるようになり、それが時と共にエリートの数の増加をもたらす。そしてその余剰利得額をエリート数で割れば、彼らの平均所得の数字も割り出せるという理屈。実際にその計算を成立させるにはいくつかパラメータを設定しなければならないのだが、ここではTurchinが20世紀の米国のPSIを計算する際に採用した数値を使う(Modeling Social Pressures Toward Political Instability, p270)。
 以前こちらで紹介したが、Turchinが算出するPSIのうち、MMPは相対賃金の逆数、都市人口割合、ユースバルジの3つ、EMPはエリート人口割合と相対エリート収入の逆数、そして国家財政難(SFD)はGDP比政府負債と政府への不振度を掛け合わせている。ロシアについても同様の方法を採用してみたい。

 まずはMMP。ロシアの下位90%の所得シェアを知るには上位10%のシェアを出せばいい。データが揃い始める1961年以降を対象にグラフ化したところ、下図のようになった。

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 見ての通り、90年代に急上昇し、その後はほぼ横ばいで推移している。次は都市人口割合で世界銀行のデータを使う。

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 こちらは旧ソ連時代に着実な上昇を続けたが、それ以降は横ばいになっているのが分かる。途上国以外ではどこも似たようなものだろう。次はユースバルジを示す20代人口割合で、こちらのサイトのデータから作成した。

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 米国の事例と同じように波打っているのだが、米国よりサイクルが短く、また割合が低い。直近では辛うじて1割を超えているレベルしかない状態。以上の3要素を合わせたMMP全体のグラフは下記のようになる。

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 見ての通りユースバルジの影響が大きい。ユースバルジは高いところと低いところで倍ほどの差があり、所得シェアの逆数よりも差が激しいためにこのようなグラフになってしまうのだ。これを見る限り、ロシアにおける大衆の困窮化は2008年頃がピークということになる。
 続いてEMPの計算。まずはエリート人口割合だが、エリートと大衆の割合が均衡する相対賃金の水準を、仮にソ連時代に多かった0.75と置いてみる。すると下図のようになる。

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 エリートが増え始めるのは下位90%の所得シェアが75%を下回るようになったソ連崩壊後だ。その後、下位90%の所得シェアはずっと低い水準で安定しているため、エリートの割合も増え続けている。次は相対エリート収入の逆数だが、ここでは計算に必要な労働力参加率を70%と置いている。

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 見ての通り、ソ連崩壊直後には彼らの収入は増えているが、すぐにエリートの数自体が増えたためにその平均収入はどんどん減っている。21世紀に入って以降、ずっとエリート内競争が激化する一方に見える。結果、EMP全体は下図のようになる。

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 大きく増えている、ように見えるが、こちらはせいぜい低い時の3.5倍だ。MMPが低いところと高いところで2.5倍の差だったのに比べれば大きいが、それでも差は限定的と言える。
 最後にSFDの計算なのだが、こちらはデータを遡るのが困難だった。仕方ないのでソ連崩壊後の数字のみを見る。まずはGDP比の政府負債だ。

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 見ての通り、短い期間で大きく変動している。最小値と最大値の差は10倍以上もあり、ロシアPSIの計算にSFDが大きな影響を及ぼしているのが分かる。
 TurchinはSFDを算出する際に世論調査に基づく政府への不信度を計算していた。残念ながらそれに相当するデータは見つけられなかったが、ここは代理変数として犯罪絡みの数字を取り上げる。一応Ages of Discordでも、犯罪も社会政治的な不安定性とある程度は連動していると指摘しているし、政府への不振と治安の悪化に一定の相関があると考えることは可能だろう。残念ながらこちらも1990年までしかデータを遡れないが、世界と比べたロシアの犯罪頻度をグラフ化すると下図のようになる。

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 見ての通り90年代から00年代初頭までが高く、その後は次第に下がっている。治安の回復は政府への信用度の回復、と見るのなら、政府負債と同じく足元でロシア政府への信頼は増していることになる。そしてSFD全体は下図の通りだ。

sfd03.jpg

 このグラフ、最小値と最大値の差は実に17倍以上もある。MMPやEMPに比べて圧倒的に格差が大きい。だからSFDにMMPとEMPを掛け合わせたPSIのグラフは、圧倒的にSFDの影響が大きく出てきたものとなる。

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 前に算出したPSIのグラフと、全体の傾向はそう変わっていない。90年代にピークを迎えた後で2008年にかけて低下し、後は低い水準を動いている状態だ。このグラフを信用するなら、ロシアはまだまだ長期にわたって戦えるという結論になるのだが、こうしたグラフが出来上がった要因としては、上にも書いた通りSFDの変化が大きすぎたためとも考えられる。
 今回のPSI算出でもっとも疑問を感じたのは、このSFDの影響が大きすぎる問題だ。ロシアだけでなく、例えば日本でこの計算をしようとすれば、1965年時点の国債残高(GDP比較で0.6%)が2021年には300倍近く(同177%)にまで膨らんでいるわけで、日本のPSIはほぼイコール国債残高を示すグラフになってしまう。わざわざPSIと称して計算する意味があるのか、疑問を覚える状態だ。
 正直、管理通貨制度を導入し多額の国債を発行できる能力を持つ現代国家への信用度を示すのに、政府負債残高を使う方法は適切ではないと思う。かといって犯罪頻度のみで国家への信用度を代表させるのも怖い。というわけでSFDを外し、MMPとEMPだけでグラフを作ると以下のようになる。

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 この場合、ロシアは少なくとも2012年までは国内で歪みがたまっていたと想定できる。それ以降の下落傾向が一時的なものなのか、それとも社会が課題解決に向かっているのか、そこを判断するのは難しい。ただ今の時点ではまだ社会にたまった不和のエネルギーは高水準だと考えられる。そうするとロシアでは今後何かのきっかけでそのエネルギーが噴出する可能性が高まる。
 私の計算が間違っている可能性もあるので、あまり信用してもらわない方がいい。だがもし計算が正しい場合、SFDを入れたデータと外したデータ、どちらがロシアの実態に近いのだろうか。今回の戦争の行方を見守ると、そのあたりが見えてくるのかもしれない。
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