千の顔を持つ英雄

 キャンベルの「千の顔を持つ英雄」読了。有名な書物であり、どんな本であるかについてはあちこちで書評が書かれていたりするので、ここで内容について改めて詳しく述べる必要はないだろう。よく知られているのはこの本の中で英雄の旅という概念が取り上げられていることと、ジョージ・ルーカスがスター・ウォーズの脚本を書くに際してこの本を参考にした、といった話だろう。
 実際、こちらの図などに簡単にまとめられている「英雄の旅」については、あちこちにそれを元ネタにした物語論みたいなものを見つけることが可能。例えば最近で言えばこれとかこれとかこれが大ヒット漫画作品について「英雄の旅」に基づいて説明しようとしているし、他にも似たようなことを書いているサイトはたくさん見つかる。もちろんこの漫画以外にも当てはまる事例は多々あるだろう。
 ただし「千の顔を持つ英雄」は別にフィクションの書き方を記したノウハウ本ではない。いやまあ出版社の宣伝文句の中には「古今東西の神話や民話に登場する『英雄』たちの冒険を比較すると、心を揺さぶる物語の基本構造が見えてくる」と、まさに物語の構造を学ぶための本であるかのようなことが書かれているのだが、キャンベル本人の序文を見る限り彼の狙いは、宗教や神話の「真実を明らかにすること」である。宗教や神話が伝えようとしている本来の意味を「自然とわかるように」するのが本書の目的であるとキャンベルは明確に書いている。
 まずこの時点で、人によっては警戒感を抱くだろう。というか私は抱いた。世界中の宗教や神話に本当に共通した目的があり、「真実はひとつ」(某名探偵ではなくヴェーダの台詞)であると言われると、そう主張することで読者を「ぼくのかんがえたさいきょうの主義主張信仰」へと勧誘するのが裏の狙いではないか、と勘繰りたくなる。以前こちらで紹介した富永仲基の加上説によれば、例えば仏教について「前の説が詰らないとして、後の説、自分の考へたことを良いとするために、段々上に、上の方へ/\と考へて行く」という原則が働いているそうだが、複数の宗教や神話を「これはこういう意味だ」と一括りに説明してしまうのも、一種の加上に見える。
 まあそれでもその説明に説得力があれば受け入れるのはやぶさかでない。説得力を持たせるうえで必要なのはそれを裏付けるデータや情報、あるいは論理的な整合性といったものであり、それが整っているのならキャンベルの見解にも首肯できるだろう。GoldstoneやTurchinの唱えている構造的人口動態理論について私がくり返し紹介しているのも、彼らがデータを示して自説に説得力を持たせる努力をしているからだ。そのためにはどのような方法で、どういった論拠を示して説得力を持たせるかが重要である。
 で、キャンベルの努力はその部分で非常に残念な結果になっている。何しろ彼が持ち出す論拠はフロイトやユングの心理学だ。フロイトが始めた心理学にどれほどの疑問点、問題点があるかという点については、例えばこちらなどで指摘されている。フロイトのような論拠の乏しい心理学に対して、その後の心理学はよりデータ重視に移行したようだが、残念ながらその後も「再現性の危機」などの問題が続いている。
 もちろん仮説に誤りがあること自体は別に悪い話ではないし、フロイトについても「言っていることが間違い」と分かった点で何も分からなかった時代より一歩前進しているのは間違いない。ただし、今の時代にフロイトに基づいて云々と真面目に主張する人がいたら、耳を傾けるのはやめた方がいいと思う。それはキャンベルの本でも同じであり、彼が宗教や神話の象徴が何を表すかについて「この謎を解く鍵としては、精神分析ほど最新の方法はない」と書いている時点で、今の読者に対する説得力が消えてしまうのは当然である。
 キャンベルがこの本を出版した1949年には、まだフロイトの精神分析にももっともらしさが残っていたのだろう。だからキャンベルは各種の神話を紹介するのと同じノリでフロイトやユングが紹介している夢に関する逸話を載せ、その両者をほぼ等価に扱っている。彼はそれによって自作の説得力が増すと考えていたはずだが、現代から見ると意味のない文章を延々と読まされているだけ。夢と神話を比較して「疑問をさしはさむ余地はないだろう」とドヤ顔を決めるキャンベルを見せられても反応に困る。
 この夢分析に関する部分を読んで思い出したのは、フェルナン・ブローデルの「地中海」を2020年に読んだ人の感想だ。1940年代には彼の歴史把握それ自体が新鮮で革新的だったとしても、今では当たり前になってしまって目新しさはない。それに「この新しい見方ではどんなちがう知見が得られるの」かが不明、というのが評者の指摘だ。まあブローデルの視点はフロイトの視点とは異なり、広く受け入れられるようになった結果として凡庸なものと化してしまったわけだが、それでも旬を逃した読書体験が残念なものになってしまう書物があるという点ではキャンベルの本と共通している。あと「地中海」が巻を追うごとにつまらなくなっていくのは否定しない。
 要するにキャンベルの本は今の時代となっては著者自身の意図したように読むのは難しい書物になってしまっているのだ。だから出版社も「物語の基本構造」の部分を表に打ち出しているのだろうし、そういう切り口なら今でも使い勝手がいいのは上でも紹介した通り。巻末の解説にもある通り「行きて帰りし物語」を説明するうえでは実にもっともらしいネタ本になるし、フィクションと絡めて蘊蓄を語るツールと割り切るのなら、フレイザーの「金枝篇」と同じく今でも十分に活用できる本だろう。

 さらにこの本を読んで、もしかしたらこの本はかつて流行したニューエイジ思想(名前はニューエイジだがかぶれた人たちは今ではオールドエイジになっている)に影響を及ぼしていたのではないか、との感想も浮かんだ。キャンベルは宗教や神話の逸話を色々と紹介しているのだが、その中で妙に登場頻度が高いのがゴータマ・シャーキャムニ、即ちお釈迦様だ。キャンベルによれば釈迦が悟りに至る道筋はそのまま英雄の旅になるそうで、逆に英雄の旅とはそのまま悟りを開くことである、と結論づけたがっているように見えなくもないくらい。
 ニューエイジは東洋の宗教を重視する傾向があったと言われている。また両性具有的という特徴もあるそうだが、そうした相反するのを相補的に把握すべきだとの主張もキャンベルの本ではあちこちに書かれている。別にそうした感想を持ったのは私だけではなく、例えばこちらによればジジェクもそういったことは指摘しているそうだ。またこちらにも「薬が完全に決まったニューエイジヒッピーみたい」との感想が紹介されている。実際にヒッピーたちがキャンベルを読んでいたかどうかは知らないが、何か関係があったのではないかと思いたくなるような文章なのは間違いない。
 ベビーブーマーたちが担い手であったニューエイジ思想はその後どうなったかというと、今ではその一部が陰謀論業界に流れ込んでいる。足元の陰謀論の動向についてまとめているこちらの本の目次を見れば、第I部からいきなり「カウンターカルチャーとニューエイジ」が表題となっているし、ニューエイジは「現代社会に潜り込んでいる」といった文章も出てくる。スピリチュアルやら精神世界やらといった言い回しも、キャンベルの本で語られていた怪しげな精神分析の世界と非常に近しい印象がある。
 つまるところ「千の顔を持つ英雄」は、現代ではどうやら「光の戦士」としてDS(ディープステート)と戦っている、らしいのだ。彼らはデモを行い、時にネット動画で真実に目覚めたりしている模様。当然、彼らはワクチンとも戦っている。うーむ、頭痛が痛い
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