道徳と戦争

 ウクライナ戦争ではロシアによるキーウ攻撃が完全に失敗に終わり、彼らは再編のためキーウ周辺から撤退していった。キーウの戦いでロシア側が失敗した要因についてはこちらで1つの見方が示されていた。プランAとして行った空挺作戦は失敗に終わり、プランBだった首都包囲作戦もウクライナ側による燃料輸送部隊への攻撃によって足止めされた、という説だ。ウクライナ側のたった30人ほどの特殊部隊が活躍したらしい。さらにその後の戦闘でもウクライナ側はロシアの攻撃を各所で食い止め、最終的にロシア側は撤退を余儀なくされた。
 問題なのはその撤退過程で多くの民間人が殺されている事実が判明したこと。当然、世界的に強い非難の声が沸き上がっており、日本でも首相をはじめロシアに対する批判が高まっている。戦争犯罪として糾弾する声も広がっており、既に大幅に低下していたロシアの評判が今やどん底まで転がり落ちている状態だ。
 こうしたあまりにも酷い行為を見て、ロシア人には基本的人権や倫理観という概念や知識がないとツイートする人も出てきた。ただ後ほどツイートは削除されているので、さすがに言い過ぎと思ったのかもしれない。実際、学校では普通に習うとの指摘もあるし、そもそも人権という概念すらなければ虐殺について否定すらしないだろう。ロシアの問題は、概念はあっても「実態がない」と言われてしまう部分。ロシアの道徳は、その意味で我々「西側」とは違う、ように見える。
 だが両者の道徳は、本当にそこまで違うのだろうか。少なくとも両者の間に違いが生まれたのは、実はそんな昔の話ではないのではなかろうか。例えばほんの200年ちょっと、ナポレオン戦争期まで遡れば、欧州の辺境たるロシアだけでなく、欧州の中心部でも今のロシア並みの道徳観がのさばっていたことが分かる。一例が当時ドイツの若者であったJakob Walterが記したDiary of a Napoleonic Foot Soldier。その中で兵士だった彼は民間人への残酷な虐待行為を淡々と記していた、と記憶している。別に彼だけでなく、他にもそうした事例は当時は珍しくなかった
 19世紀の後半になってもその流れは変わっていなかった。分かりやすいのがこちらで紹介したJohnny I Hardly Knew Yeという曲を巡る話だろう。怪我を負った兵を取り上げたこの歌は、最近では反戦歌だと認識されているのだが、19世紀時点では喜劇役者の歌うコミックソングだったのだ。戦争で障害を負った元兵士たちは、当時は同情される相手ではなく嘲笑の対象だったと思われる。当時の道徳観はその程度のものだったわけだ。いや20世紀に入ってもなお、人を人と思わぬ行為が繰り返されたのは広く知られている。
 そもそも道徳とは「協力を維持するための進化的な適応」ではないか、という話を前にした。道徳とは協力し合うグループの中で利己的な個体がフリーライドするリスクを減らすため、各個体に利他的な行動を促すものとして生み出されたのではないか、という考えであり、そうした道徳を作り上げたグループは他のグループとの競争において優位に立つことができたのだろう。枢軸宗教が地球上で広範囲に広まったのも、そうした「道徳」の存在がグループの生き残りにプラスだったからだろう。
 だが、もし道徳が本当にそういうものだとしたら、その道徳には当然ながら限界がある。グループの外にある存在に対しては、全く機能しないのだ。「ウチ」においては道徳が人の行動を規制する能力を持つとしても、その規制は「ソト」には働かない。トライバリズムに囚われた者が「ソト」に対してダブルスタンダードを平気で振りかざすのも、それが理由だろう。そしてトライバリズムとナショナリズムには、量的な違いはあっても質的な違いはない。敵対トライブのメンバーも、敵対国の人間も、要するに「余所者」なのであり、道徳が守るべき対象ではなくなる。今のロシアはまさにそうした「大きな部族」になっているのではなかろうか。
 いや、本当にロシアだけだろうか。西側の人間たちは部族の外にもきちんと及ぶような「世俗的啓蒙」、つまりどのグループに属していようと関係なく、普遍的に認められるべき「人権」があると、本当に心の中から思っているのだろうか。これは私自身の反省なのだが、ロシアがかつてチェチェンやシリアで同じことを繰り返していた点について、あまりにも無知だったし鈍感だった。いや、チェチェンやシリアだけではない。アジアやアフリカの各地でロシアとは関係なく、21世紀になっても人道の危機があちこちで起きている。でもそれは「ウチとは関係ないソトの出来事」と思って切り捨てていたのではないか。
 だからと言ってウクライナ侵略時のロシアの蛮行は決して許されるものではない。きちんと実態を調べ、戦争犯罪があったのならはっきりと法の裁きを受けさせなければならない。一部で言われているようにロシアが予め計画してこうした蛮行に及んだのだとすれば、誰がそう計画したかも明らかにし、責任を負わせる必要がある。そのためには、略奪物資を売りさばくという近代初期の軍隊のような行動を取るほど腐敗したロシア軍を、完膚なきまでに叩く必要があるのだろうし、それを支援するための経済制裁は欠かせない経済制裁が厳しいほどロシアにとって長期戦というオプションが高くつくようになる。残念ながらその道はさらに多くの死体を積み重ねる道になる可能性もあるのだが。

 それでもロシアを戦争で敗北に追い込める可能性は、戦前の予想よりは高くなっているだろう。ロシア軍はキーウやチェルニヒウ、スーミといった北方からは完全に引き上げ、今後は東部に数万人の部隊を展開するとの見通しだが、部隊の「再構成」には時間と労力が必要になりそうだ。フィクションより酷いとまで言われているこれまでの損害を踏まえると、ロシア軍にどこまで余力が残されているのか疑問視する声も出ている。
 ロシア軍の統一性のなさに関する指摘や、最前線における現場指揮官の能力への疑問が各所で指摘されているし、元CIA長官は「動きが悪い」「基本がなってない」「指示待ち」とその問題点を並べ立てている。引き続き装備の損失ペースは衰えを見せず、戦車の損失についてはウクライナ側が主張している676両という数字が結構現実的だとの声もある。ロシア軍の推定充足率、推定地上戦力を使い、公開情報から判明した消耗について計算している例も出てきたのだが、戦車や兵員輸送車の損害は2割を超えている。公開されていない損失や、損害を受けた後でロシア軍が回収した分の推計まで入れれば、その損失は下手をすると4割を超えているかもしれない。
 今後は兵站を立て直して東部ドンバスでの戦闘を中心に行うことになるのかもしれないが、ロシアではかつての兵站参謀長が汚職に手を染めていたそうで、経済制裁を受けながらきちんと兵站を再構築できるかどうかは不明だ。戦争は連絡線の確保がすべてなのだとしたら、長年にわたってその連絡線をないがしろにしてきたロシア側が一朝一夕に事態を改善できるとは思い難い。ミサイルが枯渇しているとの指摘も相変わらず出てきているし、ロシア軍の弱さに関するミリオタ嘆き節っぽいものもちょくちょく見かける。
 ロシア軍とウクライナ軍の現状について、前者は装備はまだ残っているが兵力が枯渇しており、後者は動員した兵力はあるが装備が足りないと分析している例がある。ロシア側には、特別作戦から戦争へと格上げすることで大幅動員をかける、という方法を使い兵力を補充する手は残されているが、それがロシア国内でどのような反動を及ぼすか、またろくに訓練を受けていない徴集兵で何ができるかを考えると、一筋縄ではいかないだろう。ロシアの人口ピラミッドを見ても、兵士に割り当てられる世代は実は人口に乏しい。とはいえ、昨年ロシアが予備役動員訓練をしているのはそうした事態に備えているためではないかとの指摘もあるわけで、どう転ぶかは分からない。
 短期的な予想についてまとめているツイートもある。北方から引き上げたロシア軍が東部に展開するには時間を要するのに対し、ウクライナ軍は既にそちらに向けて再配置を始めているそうだ。それにキーウ周辺から引き揚げてきた装備には使えないものも多いだろう。予備の装備も実は20~30年ほど放置したままのものや、横流しされているものがおそらくある。にもかかわらずロシアが東部で全面攻勢に出ようとすれば、彼らは大敗するかもしれない。逆にもしロシアが防御を優先するのなら、ウクライナ側に攻撃に出るだけの装甲戦力がないことも踏まえると、逆襲は簡単ではない。ウクライナが全領土を取り戻そうと願うなら、ロシア兵が完全に士気阻喪する必要がある、との見立てだ。やはり戦争が長引く可能性は考えておいた方がよさそうに思える。
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