情報処理能力の進化 3

 Journal of Social Computingに掲載された「集合的計算能力の進化」特集の続き。前回はインカの事例を通じSeshatのデータに問題があるのではないかと指摘する論文を紹介した。今回は複雑な社会の進化において2つの閾値があるとの主張に対し、同じく新大陸の事例を基に「話はそう単純ではない」と指摘している論文を取り上げよう。

 Communication, Computation, and Governance: A Multiscalar Vantage on the Prehispanic Mesoamerican Worldがその論文だ。題名の通り、今度はメソアメリカが対象。Seshatで取り上げているメソアメリカ地域はオアハカのみであり、文字の使用で有名なマヤや、大帝国を築き上げたメキシコシティ周辺はデータ対象となっていない。この論文ではメソアメリカ全体やその中の各地域を見ることで、文字の使い方が「2つの閾値」で想定されたほど単純なものではないことを指摘している。
 この論文筆者たちはSeshatやその関連論文に関与しているメンバーでもあるが、同時にSeshatの問題点についても指摘している。その1つが、Seshatのデータの中には他地域の政治体に征服された結果として複雑さが上昇した事例が含まれている点だ。この問題は前にも指摘されていたし、こうした外生的要因をどう解釈するかはSeshatのデータを扱ううえで1つの課題であるのは間違いないだろう。
 こうした問題を少しでも解消するため、この論文ではメソアメリカ地域に関するデータを3つのレベルで集めたという。即ちメソアメリカ全体、6つの大地域(中央メキシコ、西メキシコ、メキシコ湾岸、オアハカ、太平洋岸、マヤ地域、Fig 1)、さらに比較的よく研究されている30の個別地域(テオティワカンやテノチティトラン、ティカル、カラクムルなど、Fig. 2)だ。対象期間は紀元前1500年から欧州人と接触する紀元1500年頃までの約3000年だ。
 アンデスと異なり、メソアメリカには明白な文字があった。それもマヤ文明だけではなく、オルメカやサポテコなど合わせて4種類の書記システムが存在したという。紀元前6世紀には暦も生まれており、260日と365日の暦を組み合わせて使っていた。また長期暦と呼ばれる、ほぼマヤでのみ使われていた暦もあった。この暦と、特徴的な象形文字を使う長い文章は古典期マヤの大きな特徴だったが、それらはマヤ以外ではあまり使われなかったそうだ。中央メキシコやオアハカといった高山地帯にも象形文字はあったが、これらは短く、マヤのものと違て個人名への言及は限られていた。
 各地域ごとにどのような文字や暦があったのかを調べるべく、論文では10種類の表現(Table 1)の有無を確認した。表現がすべてそろっていればWrighting Indexが10になるという計算で、マヤ地域が圧倒的に高いことはTable 2を見れば分かる。一方、同じTable 2にある政治体のサイズを見ると、アステカの都であったテノチティトランが圧倒的に大きく、マヤの各都市は狭い。Fig. 3にはこれらのデータ(プラス人口)が分布図として描かれているが、見ての通り人口や領土の広さとWrighting Indexの高さとは必ずしも一致していないことが分かる。
 6つの大地域で見ても同じ傾向はあり、「2つの閾値」で想定したような複雑化の過程が観察できるのは、メソアメリカ全体とアステカ帝国のあった中央メキシコのみ、というのが論文の主張だ(Fig. 4)。中央メキシコはテオティワカンの後で情報処理能力が高まり、その後でアステカという規模の大きな帝国が生まれた。メソアメリカ全体を見れば古典期に増えた人口はいったん落ち込むが、その後でネットワークの再編が進み、スペイン人が来た時には過去最多の人口に達していたという。
 この2つの切り口以外では、情報処理と規模の関係は強くない。人口とWrighting Indexの相関係数は弱く、テノチティトランを除けばほぼ無関係にある。政治体の領土とWrighting Indexとの関係に至ってはむしろ逆相関だ(Fig. 5)。またアステカが巨大化していった過程で、明白に情報処理能力が高まったという傾向も見られない(ただしアステカ以前の高山地帯よりは高いWrighting Indexを持ってはいた)。
 巨大化(複雑化)の度合いが低かったマヤで高度な情報処理が進んだのに対し、巨大なアステカではマヤに比べ低水準の情報処理で済んでいた理由は何か。筆者らは文字を使っていた各社会の使用状況を見る必要があると指摘する。簡単に言えば少数のエリートに向けて文字が使われたのか、あるいはもっと幅広い人々に対するコミュニケーション手段の1つだったのかによって、Wrighting Indexの違いが説明できるのではないか、との見方だ。
 統治に際して国家内のリソースに頼る割合の大きな政治体では、人々に対してその見返りを渡す必要があるためにより集団的な統治になり、富の格差は縮小する。一方で外部のリソースに頼る場合、統治はより権威主義的になり、パトロン=クライアント関係に基づく対人関係中心の権力が作られる。原油・ガスが歳入源となっているロシアなどは後者の事例だろう。欧州と接触する前のメソアメリカの場合、前者は大きな広場などを作る傾向があったのに対し、後者はより狭く限られた人間しか入れない空間で政治が行われていたようだ。
 論文ではこうした特徴に基づいて30の個別地域について独裁的(ゼロ)から集団的(3)までの間のどの地域に当てはまるかも調べており、その結果はTable 2のCollectivity Scoreに載っている。例えばテオティワカンは最も高い3.0であり、マヤのコパンはゼロとなっている。実際、22ヶ所ではこの数値が0~0.5か2.5~3.0に分布しており、大半の政治体が集団的か独裁的かの両極に偏っていた様子が窺える。そしてこのCollectivity ScoreとWrighting Indexとは、実は逆相関している(Fig. 9、ただし有意性は低い)。
 そして論文では、独裁的社会の代表マヤと、集団的社会の代表テオティワカンを比較している。前者がエリート内で読むことを前提とした形態で、かつエリートの個人的業績などを述べるために文字を使っているのに対し、後者はより幅広い人に読まれることを想定し、またあまり個人化されていない共同体の豊穣と繁栄などをテーマにした文字の使い方がなされている。暦も同じで、複雑な長期暦がエリート向けだったのに対し、儀式などに使われる単純な暦の方がテオティワカンでは使用されていた。
 複雑な文字の使用が急速に広まったのは、旧世界でも権威主義的な政治体で目立つ傾向だったと論文は最後に述べている。例えばメソポタミアの初期王朝、ミケーネ文明時代のギリシャ、殷王朝、初期エジプトなどだ。そして、昔のメソアメリカにおける独裁的か集団的かという社会の違いと文字の使い方の差が、アステカ帝国においてはそれほど明白ではなくなっていることも指摘している。閾値について考えるうえでは、こうした点も考えた方がいいんだろう。

 論文で取り上げている情報処理は、あくまで文字や暦といった特定の技術だけであり、閾値論文で取り上げた幅広いジャンルにわたっているものではない点に、まず注意が必要だ。もちろん文字は前々回の論文でも取り上げたようにグループ2の社会に大きな影響を及ぼす要因であり、その点でこの論文の指摘は無視できるものではない。さらに政治体が独裁的か集団的かによって文字の使い方が変わるという点もなかなかに興味深い。同様に古い社会での文字の使い方を調べるうえで、メソアメリカにおけるこうした特徴が分析のヒントになる可能性もある。
 ただ論文の最後まで読めば分かるのだが、文字を含む情報処理能力が複雑な社会の進化において閾値を形成している可能性を全面的に否定しているわけでもない。アステカもインカも欧州と接触したのは急速に帝国を形成し始めたばかりの時期だった。アステカの領土(16万8000平方キロ)は前々回に述べたグループ3の平均値よりは低いものの、グループ2の平均よりは桁1つ大きいわけで、彼らもまたインカ同様に情報処理の閾値を超えた帝国だった可能性が生まれる。もし欧州人の到来が1~2世紀遅れていたなら、この2帝国のさらなる発展により、新大陸にはもっと豊かな文字文化が花開いていたのではないか、と考えることも可能だろう。
 もう一つ、興味深いのは、マヤの国家は果たして情報処理の閾値を超えていたのかどうかだ。広さで見ると、例えばティカルが2万平方キロ、カラクムルが8000平方キロと、超えていない可能性が高い。一方、人口ではカラコルが10万人に達しており、Social Scale and Collective Computation: Does Information Processing Limit Rate of Growth in Scale?に書かれている閾値の首都人口(平均1万4000人、中央値7000人)は超えているものの、全体人口(同30万人と8万7000人)には及ばない。それに対し、アステカのテノチティトランは都市だけで21万2500人に達しており、グループ3に達した可能性はより高い。
 つまり、複雑な文字は複雑な社会の必要条件かもしれないが、十分条件ではない可能性がある、と解釈できる。エリート間のやり取りに特化した形で書記システムが発達するのは小さな社会でも生じ得る現象だが、帝国と呼べるような大きな政治体を作り上げるうえでは他に何か必要なものがあるのだろう。それが何であるかは分からないが、マヤはその条件を達成できず、逆に文字を多少簡素化しても他の要素をきちんと満たしたアステカの方が、帝国を築き上げることが可能だったと推測できる。
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